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トップメゾンが認めた日本人ハットクリエイター 快挙の理由は“やりたい事”より“やるべき事”の追求

 一つの道を究めた者にしか見えない世界がある。卓越した技術を磨き続ける職人の、研ぎ澄まされた感覚や特異な観点にはたびたび感銘を受ける。パリを拠点にハットクリエイターとして活動する日爪ノブキは、まさにそうした一人だ。彼はフランスのラグジュアリーブランドと言われて誰もが思い浮かべるトップメゾンのハットや、ヘッドピースを制作するメーカーに約8年勤め、自身のメンズ帽子ブランド「 ヒヅメ(HIZUME)」を今年スタートさせた。彼を職人と呼ぶのは筆者だけではない。フランス文化の継承者にふさわしい高度な技術を持つ職人に授与される称号「フランス国家最優秀職人章(Meilleur Ouvrier de France以下、M.O.F.)」を受章した、フランスが認める正真正銘の職人というわけだ。「M.O.F.」は日本の重要無形文化財(通称、人間国宝)認定制度に相当するといわれており、3~4年ごとに行われる審査では、各部門の出場者が3年ほどの期間をかけて技術を競い合う。帽子職人部門での受章は日爪が日本人初となる。同氏は「最高のクリエイターは最高の職人であるべき、という信念を持っている。『M.O.F.』にエントリーしたのは、その信念が机上の空論ではないことを証明するため」と振り返る。最終的な夢が何かを問うと「ばかげていると思うかもしれないが、全人類に帽子をかぶせるという“人類帽子計画”の実現。それは、僕が作る帽子に限ってという意味ではなく、極論を言うと葉っぱだろうが何でもよくて、帽子をかぶる文化をもう一度取り戻すことが夢だ」。大それた野望に聞こえるが、いたって真剣である。彼のこれまでの軌跡と見据える世界を聞くと、それが不可能な夢ではないように思えた。

 ハットに人生を捧げる彼だが、当初の夢はファッションデザイナーだった。滋賀県で生まれ育ち、大阪の大学へ進学すると、大学4年時に上京して文化服装学院に入学した。「ウィメンズの洋服以外は、全て邪道だと思っていた」と語るように、ハットには見向きもせず、コンセプチュアルでユニークな作品を制作してはコンテストに応募し続けるという学生時代を過ごした。「装苑賞」への2度のノミネートや、その他多くのコンテストでの成果がきっかけでイタリアの雑誌にも掲載され、伊アンダーウエアメーカーから「自身のブランドをやらないか」とオファーが届いた。現地に渡って経験を積み、1年後にビザの関係で帰国が決まったものの、転機が訪れる。「帰国前日に、日本のプロデューサーから『ブロードウエイミージカルの日本公演のためにヘッドピース制作を担当してくれ』と依頼された。帰国後の明確な計画はなかったため、深く考えずにプロジェクトを引き受けた」。作品は本国アメリカではヒュー・ジャックマン(Hugh Jackman)が主演を務めて「トニー賞」を受賞したミュージカル「ボーイ・フロム・オズ(原題:THE BOY FROM OZ)」で、日本では坂本昌行主演で大ヒットとなった。ハットやヘッドピースの制作は初めてだったにもかかわらず、舞台に携わる一流のプロフェッショナル全員から作品を称賛されたという。周囲に才能を見いだされ、その後も舞台を中心にハットクリエイターとして活動を続けたが、本人はまだ洋服のデザイナーに未練があり、絶えないオファーとは裏腹に葛藤を抱えていた。

最大の転機は、恩師の涙

 そして、クリスタルメーカー「ホヤ クリスタル(HOYA CRYSTAL)」との出合いが人生を変えた。当時、同社のアートディレクターを務めていた恩師から「リブランディングに伴うコンセプチュアルストア開店のために、唯一無二の帽子を作ってほしい」という依頼を受けた。日爪は「デザインチェックのためにデザイン画を100枚以上提出するという過程を3度繰り返すも、全て却下された。最終の策として絵ではなく現物を作ってくるように言われ、3点の帽子を持参してプレゼンした。そうすると恩師はその作品に感動し、涙を流してくれた。この時、僕は自身のクリエーションの世界観の原点を手に入れることができた」と、脳裏で鮮明に蘇るその瞬間を興奮気味に語る。さらに、「その経験以降、自分のことをハットクリエイターであると認められるようになった。人は人生において“やりたい事”と“やるべき事”には差異がある。それが偶然にも一致している者が、世に天才と呼ばれる。ほとんどの人は、それが一致しない事の方が多い、だから葛藤が生まれる。逆に考えると、“やるべき事”を追求していけば、後天的にでも人は天才になれるという持論が生まれた。僕にとって帽子作りが“やるべき事”と気付けたのは、帽子制作のプロジェクトに携わる全ての人が幸せになってくれるという経験から。洋服を作っていた時は、どれだけ質の高い努力をして臨んでも理想には到達できなかった。帽子ではたとえ経験・時間・資金が不十分でも、皆が作品を認めてくれた」と続ける。

 “やるべき事”を見つけた彼は、ハットクリエイターとしての道を堂々と歩み始めた。本場であるフランスで帽子作りの技術を磨くため、文化庁主催の新進芸術家海外研修制度で2009年に渡仏する。同制度は、日本の文化庁が芸術分野における新進芸術家に海外での実践的な研修に従事する機会を提供し、渡航費や滞在費を助成する制度だ。過去には狂言師の野村萬斎も同制度により渡英した。前の年まで8年間勤めていた帽子アトリエでは、トップメゾンのショーピースやパーソナルオーダーのハットを制作し続けた。日中はアトリエでの仕事をこなし、その後作品の制作や舞台・映画用の特注品の製作などに時間を割き、文字通り四六時中ハットに向き合う日々だったという。「人が見たことのないものを創るのが、真のクリエイションだ。それを実現するためには、クリエイターは現物を作れる職人であるべきだ。たとえPCの中でイメージを作ったとしても、最終的に人が求めるものは現物だから。『ホヤ クリスタル』でのプロジェクトで、現物の説得力を実感した。無意識のうちに時勢や環境の変化などを感じ取って変化する、人間の気まぐれな感覚ほど役に立つものはない」。無意識に感じ取ることができるのは、彼が熟練した職人であるという証しだろう。

壮大すぎる夢は
限界を超える糧になる

 夢に“人類帽子計画”を掲げるのには理由がある。「35歳前後で技術的に著しく伸び悩んだころ、圧倒的な夢を掲げるようになった。世界一のハットクリエイターになるのは目標で、“人類帽子計画”の実現は夢だ。全地球人70億人に帽子をかぶせるなんて少しファンタジーも含んでいるが、その夢に比べたら目標は小さなことに感じられて、道を外れずに限界を超えていく努力を続けられる」と笑顔交じりで真面目に語る。「多くの人に手に取ってもらい、帽子をかぶる楽しさを味わってほしい。ブランドとのコラボレーションなども積極的に取り組む予定。これからは、人生を彩ってくれた帽子に恩返しするような気持ちだ」。自分のエゴのためではなく“やるべき事”という使命感に突き動かされ、夢の実現に向けて「ヒヅメ」はスタートを切った。今後さまざまなところで見かけることになるだろう彼の帽子を通して、あなたもいつの間にか“人類帽子計画”の一員になる時が来るかもしれない。

ELIE INOUE:パリ在住ジャーナリスト。大学卒業後、ニューヨークに渡りファッションジャーナリスト、コーディネーターとして経験を積む。2016年からパリに拠点を移し、各都市のコレクション取材やデザイナーのインタビュー、ファッションやライフスタイルの取材、執筆を手掛ける