日本に流通する衣料品のうち国産の割合はわずか1.1%(2025年の数量ベース)。コストの安い海外への生産移転に歯止めがかからず、深刻な人手不足にも直面する国内の縫製工場は、存続の危機にある。そんな中、三陽商会は中期経営計画で国内自社工場への再投資を打ち出し、成長戦略の柱の一本にしようと動き出した。(文中敬称略)
秋も深まった11月初旬、都内の百貨店にブラウンとグレーのトレンチコートが並んでいた。三陽商会の「サンヨーコート(SANYOCOAT)」とイタリア・パルマの名門テーラー「カルーゾ(CARUSO)」との協業品だ。27万5000円と高価ながら一部サイズで品切れになるほど人気を集める。
協業のきっかけは昨年1月に伊フィレンツェで開催された紳士服見本市「ピッティ・イマージネ・ウオモ」だった。「サンヨーコート」の“100年コートKIWAMI”の展示が、カルーゾ社CEOのマルコ・アンジェローニの目に留まった。一流の服を知り尽くした彼は、美しいシルエットを生み出す技術を「素晴らしい」と絶賛し、協業のラブコールを送った。約1年をかけて制作したコートは、欧州と北米の百貨店や専門店でも売られている。
1着のコートに140〜200のパーツ
イタリアの名門テーラーが惚れ込む“100年コート”のふるさとが、青森県にある。
東北新幹線・七戸十和田駅の駅前に立地する縫製工場「青森ファクトリー(以下、青森工場)」は1969年創立。三陽商会の子会社サンヨーソーイングが運営する日本で唯一のコート専用工場である。今年で80周年の迎えた「サンヨーコート」は全てここで縫われる。同社製品だけでなく、世界的に有名なデザイナーブランドのコート生産も請け負う。
5月末に青森工場を訪れると、9月から始まるコート商戦に向けた生産が佳境を迎えていた。
裁断機、ミシン、プレス機をはじめとした多種多様な機械がずらりと並ぶ。ミシンの横にはベージュやネイビーの綿ギャバジンのパーツがうず高く積まれる。それぞれがジグソーパズルのピースのようで、コートのどの部分になるのか見当がつかない。
50数人のエプロン姿のスタッフが黙々と手を動かす。大半は地元在住の女性だ。ミシンのスタッフは隣に積まれたパーツを、手際良く、リズミカルに縫い合わせていく。カタカタと鳴るミシン音と、USENから流れる大塚愛などのJ ポップが不思議に混じり合う。
「サンヨーコート」の代名詞であるトレンチコートは、一般的な洋服の中で最も複雑な作りと言ってよい。まず丈が長く、生地の面積がとても大きい。襟、袖、背中、ウエストベルト、エポレット(肩章)、ストームポケット、スリーブストラップ(袖のベルト)、ガンパッチ(胸の当て布)などなど――1着のトレンチコートに必要なパーツは140〜200に及ぶ。工程も300〜400を数える。生地の入荷から完成品が出来上がるまで最低でも1カ月。これだけ手間がかかるため、1日の平均生産数は56着にとどまる。
縫製の難易度も高い。部位によっては表地や裏地、芯地を含めて6枚もの生地を重ねて縫う。単に縫い合わせれば良いわけではない。部位ごとにテンションを変えながら縫い合わせないと、着心地や耐久性に影響を与えてしまう。手縫いが必要な部位も少なくない。エレガントに仕立てる上で、アイロンの技術も不可欠だ。作業は細かく分業化されている。要所要所を勤続年数20年を超えるベテランが支える。
トレンチコートならではの構築的なフォルムは、熟練の職人技の結晶なのだ。昔ながらの意匠やディテールを省略せずに作ることができる工場は、世界でも数少ない。イタリアで自社工場を運営するカルーゾ社CEOのアンジェローニも、その大変さを知っているから感嘆したのだった。
コートの命は「シルエットの落ち感」
サンヨーソーイング取締役の青木豪は「コートの命は、シルエットの落ち感にある」と説明する。「肩から裾にかけてゆがみなく、整然と生地が落ちるようなシルエットが理想で、そこに向けて各工程のスタッフが全力で仕上げる。工程の中で少しでも不備があれば、全体のバランスが崩れてしまい、美しいコートにはならない」。
例えばトレンチコートの印象を決定づける襟である。パターンの曲線と生地の風合いを見極めながら仕上げる。外側はミシンで縫い合わせ、内側はカーブに合わせて一針ずつ手作業のまつり縫いを行う。ミシンだけの縫製よりも柔らかく、襟が首になじむからだ。襟を立てた際の立体感も自然になる。
工場長の大浦広子は「同じ布でも部分によって微妙にクセが違ったりすることがある。同じ名前の生地であっても、同じロールに巻かれた生地でも、全てが同じようにいかない。だから細かな調整は欠かすことができない」と言う。簡単に行かないからこそスタッフ一人一人が作り手としての誇りを持ち、日々、技術を磨く。
“100年コート”という名前の通り、長い年月の着用に耐える設計にしている。新品のときよりも、年月を経ることで着る人の体になじみ、味が出て、愛着を深められるコート。モノ作りの技術の差は、着続けて数年後にはっきり出る。
“100年コート”には「100年オーナープラン」という制度がある。3年ごとに“定期検診”を実施して無償でボタンの緩み直し補修を行うほか、希望に応じて袖口や裾まわりの擦り切れ補修などを有償で行う。高級時計のオーバーホールのようなものだ。衣料品でこうした仕組みは極めて珍しい。品質に自信があればこその制度である。
2028年稼働の新工場から世界に発信
三陽商会の創業者・吉原信之(1916〜2007年)は終戦直後の物不足の時代、戦時中に夜間空襲から家を隠すために使われた防空暗幕用の生地を用いてレインコートを作った。これが今年80周年を迎えた「サンヨーコート」の起源である。戦後復興と高度経済成長の時代に、コートを足がかりにしてアパレル事業を拡大した。そして1970年に英バーバリー社とライセンス契約を結び、同社の代名詞であるトレンチコートを青森工場で作り続けたことで、同社は大きく発展する。このライセンス契約が2015年に終了したのは周知の通りで、工場も大きな打撃を受けた。
青森工場は最盛期には250人が働き、工場内には保育所まで設けられていた。現在、工場の規模は縮小したものの、三陽商会にとって戦略的価値は増している。近年は縫製・仕上げの技術に加え、新商品の開発や技術検証を行うR&D拠点としての役割を強めているのだ。“100年コート”だけでなく、祖業であるレインコートの防水性と上質な羽毛を掛け合わせた“青森ダウン”(中心価格20万円前後)などの新機軸を打ち出す。メード・イン・青森をマーケティングに活用し、青森工場をブランド化する。「カルーゾ」との協業もその一環である。
9月、三陽商会は青森工場の移転・建て替えを発表した。大手アパレルによる国内自社工場の閉鎖が相次ぐ中、業界にとって久々の明るいニュースだった。約20億円を投じ、隣接する十和田市に最新鋭の設備をそろえるとともに、ES(従業員満足)を高める働きやすい環境を整備する。コート専用工場のクラフツマンシップを知ってもらうため、一般の人の見学を受け入れることも視野に入れる。単に自社工場を守るのではなく、長年磨きあげた技術で世界市場を攻めるという意思表示である。28年前半の稼働を目指して、着々と準備を進める。
日本繊維輸入組合の調べによると、1990年に生産量10億点前後だった日本製の衣料品の生産量は、2025年には5341万点に激減した。国内に流通する衣料品のうちの国産比率は、50.1%から1.1%まで縮んでしまった。まさに風前の灯である。
国内縫製業が生き残るには、他が真似できない高度な技術で付加価値の高い商品を作り、それに見合った価格で売るためのブランディングを行い、グローバル市場を開拓するしかないだろう。5月末に三陽商会社長に就任した平林義規も「グローバル市場で戦える日本発のラグジュアリーとして、もっと自信を持つべき」と発破をかける。最も手間暇がかかり、最も高度な技術が必要なトレンチコートで青森からグローバル市場に挑む。