6月3日に死去した長嶋茂雄さんは、三陽商会が1975年から販売していたスーツブランド「ミスター・サンヨー」のイメージキャラクターだった。ブランドの名付け親は同社創業者の吉原信之氏。長嶋さんの起用にちなんで“ミスター“を冠したスーツは反響を呼び、「電車1車両に10人のサラリーマンが着用している」と言われるほどの大ヒット商品となった。同社商品企画の2人のOBが振り返る。
「超一流とは、こういうことなのか」(谷口実さん=仮名)
長嶋さんが選手を引退して監督に就任した1975年に、三陽商会のスーツブランド「ミスター・サンヨー」のイメージキャラクターになってもらいました。
私たちが多摩川の巨人軍のグランドに赴くと、スポーツ刈りの長嶋茂雄さんが迎えてくれました。
この頃、競合各社の紳士服の広告塔はアラン・ドロン(「ダーバン」)やピーター・フォークら海外の超一流俳優たちばかり。スポーツマン然とした長嶋さんにスーツをビシッと着こなしてもらうことができるのか――商品企画の私たちには一抹の不安がありました。
しかし全くの杞憂でした。撮影時、スーツに着替えた長嶋さんには、近寄り難いほどの美しさがありました。スーパースターにしか出せないオーラです。
当時「コート屋」と揶揄されていた三陽商会が、初めてスーツ作りに挑んだのが「ミスター・サンヨー」でした。長嶋さんの惚れ惚れするようなスーツ姿のカッコ良さが、後の「脱コート屋」、そして総合アパレルへと発展する足掛かりとなったことは間違いありません。
その後、三陽商会のパーティーやレセプションで長嶋さんに着てもらうスーツを作る際、採寸すると現役時代と全く変わらぬ寸法に驚いたものです。「超一流とは、こういうことなのか」と感心しました。
「長嶋さんの存在が今の三陽の形を作った」(鳥飼信雄さん)
ポスターやテレビCMで長嶋さんが「よろしく!」とポーズをとる姿は、世間で大きな話題となりました。週末ともなると百貨店の売り場の「ミスター・サンヨー」のスーツは飛ぶように売れました。お客さまが「あの長嶋さんのスーツ」と指名するのです。
ご本人はゆったりとしたシルエットで色気のあるフレンチモデルのスーツを好んでいたようです。でも凛々しいブリティッシュスタイルのジャストサイズのスーツが、精悍な雰囲気を一層際立てて、立ち姿は後光が差して見えるほどカッコ良かった。「よくぞ、このモデルを引き受けてくださった」と心から思いました。
他社が起用するハリウッドスターたちを凌駕する圧倒的なオーラが、長嶋さんにはありました。当時「雨合羽屋がスーツを作った」と得意先に嫌味まじりに言われていた三陽商会は、長嶋さんの起用が契機となり、総合アパレルメーカーへの道を駆け上がることになります。
忙しい合間を縫って、全国の百貨店スーツ売り場を役員と巡ってくれた長嶋さんには感謝してもしきれません。今の三陽商会があるのは、長嶋さんの存在が大きくかかわっている。決して言い過ぎではありません。
小さい売り場でスーツを1日170着売る
三陽商会元社長の杉浦昌彦氏は、1976年に入社して設置されたばかりのスーツ課に配属された。当時のことを社史で回顧している。
「私は新宿伊勢丹の担当になりました。最初『ミスター・サンヨー』はパイプ8本の売り場。他社の30坪の売り場が羨ましかった。ところが半年過ぎた頃、突然、火がついたんです。指名買いのお客さまが増え、170着売った日もあります」「商品は社内でも奪い合い。商品を回してもらうために、社内営業も必要でした」
三陽商会は長嶋さんの訃報に際し、弊紙にコメントを寄せた。一部を抜粋して紹介する。
「当時を知る元社員から、その気さくで温かいお人柄について今なお語り継がれており、半世紀近く経った今でも当社の貴重な歴史の一部として大切に記憶されております。日本スポーツ界の発展に多大なる貢献をされた長嶋氏の偉大なご功績を偲び、心よりご冥福をお祈り申し上げます」