着物の産地として知られる新潟県十日町市に移住し、活躍する若手デザイナーがいる。彼が作るのは、タンスの肥やしになっていた着物を仕立て直したワンピースやシャツ、シューズ、ネクタイなど。SDGsや地域おこしの観点で注目を集め、自治体や有力企業からの仕事依頼が相次ぐ。
5月下旬、田植えを終えたばかりの水田が広がる十日町のアトリエで、杉浦充宜さん(34)はたくさんの古い着物を点検していた。自宅1階の農機具置き場を改装したアトリエには、主に市内で回収した古い着物が定期的に届く。鮮やかな柄の振袖、艶やかな友禅や上品な絣(かすり)の訪問着、金糸銀糸を使った帯などさまざまだ。
「十日町はふつうの家庭にも着物が浸透していて、母から娘へと受け継がれる。でも着る機会がなく、廃棄されてしまうケースが多々あり、非常にもったいない。洋服や小物に形を変えて、少しでも継承していきたい」
リメークした商品は主にEC(ネット通販)で売る。新潟伊勢丹ではポップアップストアを出店した。自治体からの依頼でイベントをする機会も多く、今年2月の十日町雪まつりでもランウェイショーを開いた。新潟県からのオファーを受け、7月には大阪・関西万博への出品を控える。
「着物にハサミを入れるのが怖かった」
杉浦さんは静岡県浜松市出身。「ダンヒル」のスーツをダンディに着こなす父を見て、幼い頃からテーラードに関心を持った。高校卒業後の2009年に渡英し、サビルローの職人に話を聞いたり、スーツを解体したり、貪欲に本場の紳士服を吸収した。日本の服飾専門学校で学んだ後、5年間在籍した「ルイ・ヴィトン」ではテーラリングスペシャリストとして各地の百貨店に勤務した。メンズ部門でキム・ジョーンズ、ヴァージル・アブローが活躍していた時期で、杉浦さんは「彼らが作り出すクリエーションに惚れ込んだ。魅力的なコンセプトを打ち立てデザインする手法に強い影響を受けた」と話す。
転機はコロナ禍の21年。妻・美紅さんの故郷、十日町に移住した。十日町は魚沼産コシヒカリの産地としても有名で、美紅さんの実家もコメ農家である。体調を崩した両親に替わって、杉浦さん夫婦が農業を引き継ぐことになったのだ。ファッションの仕事からは離れるつもりだった。しかし美紅さんから「母から譲り受けた着物を着る機会がない」と聞き、同じ課題を持っている人が周囲に多いことを知る。「着物再生プロジェクト」に挑もうと決意する。
葛藤もあった。スーツと着物は全く違う。着物はそれ自体が完成された美である。着物の知識がないよそ者の自分が、地域の宝である着物を洋服に仕立て直して良いのか。「着物にハサミを入れるのが怖かった」と振り返る。
少しでも地元の人たちの理解を得ようと、23年春に公民館でファッションショーを開催した。モデルも地元の人を起用するなど、手作り感あふれるものだった。50人ほどの観客を集めたショーは評判を呼んだ。地元でも着物のショー自体は珍しくなかったが、独自の感性とクオリティーで表現されたステージは若い世代から支持を得た。
市からは「(費用を出すので)ぜひ町おこしのためショーを開いてください」と頼まれた。着物集めや縫製などで協力を名乗り出る人も増えた。地元の着物企業からも「和装を盛り上げてくれてありがとう」「応援したい」といった声が寄せられた。「これほど喜ばれるとは想像していなかった。十日町の皆さんが笑顔になってくれることが一番うれしかった」。
2000年に比べて3割減という深刻な人口減少に直面する十日町市は、移住者の受け入れに積極的だ。杉浦さんは移住者による地域活性化の好例として、地元のテレビや新聞でもたびたび密着取材を受けた。十日町の若い世代によるSDGs発信という文脈で拡散されていった。
24年1月にMitsuyoshi Design Studio(ミツヨシデザインスタジオ)を設立。着物再生プロジェクトだけでなく、得意のテーラードスーツの制作、パッケージやロゴなどのデザイン、イベント企画など幅広い業務を手掛けるようになった。市内・県内だけでなく、東京でもショーを開いた。今年4月にはJR東日本・飯山線の観光列車に、着物を部分的に使った制服が採用された。杉浦さんのもとにはさまざまな案件が舞い込む。
「ようやく十日町の人間になれたかな」
農家としても奮闘する。浜松市の市街地近くで育った杉浦さんにとって農業は未知の世界だった。義理の両親や親戚、近所の人たちが、親切に根気よく教えてくれるので、少しずつ仕事に慣れていった。
今年も5月に田植えを終えた。これから暑くなると草取りや草刈りに汗をかく日が続く。アトリエに籠る時間よりも、田畑で長靴を履いている時間の方が長い。トマトやナスなどの野菜作りではイノシシ対策に頭を悩ませる。
それでも田舎暮らしが気に入っている。「農業はクリエイティブ。天候もそうだし、肥料のやり方一つで出来が変わる。愛情の掛け方で差が出る。服と同じように、僕は魚沼産コシヒカリに誇りを持っている。まだ修行中の身で偉そうなことは言えないけれど」と笑う。
冬になると雪が2m以上積もる豪雪地帯で、過酷な自然と向き合って暮らす。移住前は地元に溶け込めるのか不安だったが、着物のリメークでもコメ作りでも地域の人が手を差し伸べてくれた。着物もコメも厳しい自然とそこで助け合いながら暮らす人たちの営みから生まれる。「ルイ・ヴィトン」で働いていた頃とは何もかも違うが、都市生活では感じられなかった種類の手応えがある。杉浦さんは最近、ふとした時に思う。「僕もようやく十日町の人間になれたかな」。
メディアの取材で目標を聞かれるたび、「パリでショーを開きたい」と答えてきた。これを夢では終わらせない。今年秋に実現のメドをつけた。着物のリメーク品と自身の原点であるスーツを披露すべく、着々と準備を進める。移住先で少しずつ共感の輪を広げてきた着物再生プロジェクト。田んぼに黄金色の稲穂が実って、稲刈りを終えた後、杉浦さんはパリに渡る。