
ビューティ賢者が最新の業界ニュースを斬る
ビューティ・インサイトは、「WWDJAPAN.com」のニュースを起点に識者が業界の展望を語る。
今週は、偉大な足跡を残した仏メイクアップ界の巨匠の話。(この記事は「WWDJAPAN」2026年8月31日号からの抜粋です)

木津由美子/ビューティ・ジャーナリスト プロフィール
(きづ・ゆみこ)早稲田大学卒業後、外資系航空会社、化粧品会社のAD/PRを経て編集者に転身。「VOGUE」「marie claire」「Harper's BAZAAR」でビューティを専門に担当し、グローバルトレンドやウェルネス企画などを展開。2023年独立。早稲田大学大学院商学研究科ビジネス専攻修了、経営管理修士(MBA)。FASHIONSNAPにて香水連載を展開中
【賢者が選んだ注目ニュース】

オリヴィエ・エショードメゾンが8月12日に亡くなった。いつかこの日は来るだろうとは思っていたが、実際にその日を迎えてみると、想像以上にツライ。それほどに偉大なる人物だった。
2000年、「ゲラン」のメイクアップ クリエイティブ・ディレクターに着任してまもなく、新商品発表で来日した彼にインタビューしたのが最初の出会いだった。最初から波長が合い、以降数え切れないほどのインタビューをさせていただいたが、私にとって間違いなく、敬愛するアーティストの一人である。なぜか。それは彼の持つ圧倒的な“エレガンス”にほかならない。
彼は、「ゲラン」のメイクアップ商品をこの上なくエレガントかつクリエイティブに甦らせた。例えば、多くのブランドが追随した多色フェイスパウダー“メテオリット”、今やメゾンのアイコンとなった“キスキス”“ルージュ ジェ”、「セカンドスキン」などというありきたりな言葉を使うことなく、その概念を見事に体現した“ランジェリー ド ポー”、彼自身が「魔法の杖」と呼び、上まつ毛用と下まつ毛用のダブルエンドで非常に長いボディーが特徴的だった“ル デュウ”、アーカイブのマスカラに着想を得た“シル ダンフェール”、「ブロンズメイク」から「ヘルシーメイク」へとコンセプトを昇華させ、アフリカを思わせる大胆な木製パッケージでスタイリッシュに打ち出した“テラコッタ シリーズ”……すでに販売終了となったものも多いが、どれも今なおビジュアルとともに鮮明に思い浮かべることができる。商品のテクスチャーや仕上がりの美しさだけでなく、プロダクトデザインにも徹底してこだわっていたからだ。
その証しが、プロダクトデザイナーの起用である。“キスキス”はエルヴェ・ヴァン・デル・ストラーテン、“ルージュ ジェ”はロレンツ・バウマー、アラビア建築の透かし格子が施されたメタルケースが印象的だった“エクラン スィクルール”はインディア・マダヴィが担当。化粧品を専門としないデザイナーたちとの相次ぐコラボレーションには大いに驚かされたが、いずれもインスタグラム創業前のこと。単なる話題作りだけが彼の狙いではなかったことは明らかだ。
律することで拓かれるエレガンス
彼のエレガンスは、いわゆるラグジュアリー志向とは少し違っていた。インタビューを重ねるうちに食事をするようになり、やがて買い物に同行する機会もあったが、ある時連れて行かれた先は「オニツカタイガー」だった。2000年代初めのことだから、映画「キル・ビル」をきっかけに世界的に知られるようになった頃、スニーカーがラグジュアリーファッションアイテムとして認識されるずっと前の話だ。その日の彼はハイブランドの真紅のジャケットに同色のソックスを合わせていた記憶があるが、その絶妙なミックス&マッチに、ファッションの本質を見たような気がした。
その高度なセンスは、もちろん自宅にも溢れていた。パリ1区にある彼のアパルトマンは、豊かな緑が生い茂る中庭を持ち、室内には彼の審美眼にかなうものだけが置かれていた。アジアやアフリカ、中近東で購入したと思われるエキゾチックなオブジェ、リネンやクッションなどの多彩なカラー。それらがシックに融合し、何とも居心地のいい空間を作り上げていた。取材と撮影で9時頃に伺った記憶があるが、何種類かのデニッシュとコーヒーが用意されていて、あまりのおいしさに3杯目のコーヒーをいただこうとしたら「飲み過ぎはダメ」とソーサーごと取り上げられたことも、今では懐かしい。
彼のエレガンスは天性のみによるものではなく、自らを律することで培われたものだったのではないかと思う。スタッフに厳しく接する姿を見かけたこともあったが、それ以上に自分自身に厳しかったはずだ。そしてその根底には、いつも愛があった。会うたびに「恋愛はどう?充実してる?」と尋ねられたのも、ごく自然なことに思えた。だからこそ王室から信頼され、多くの著名人を顧客に持ち、名だたるクリエイターと仕事をしてきたのだろう。
オリヴィエと長く親交があり、最期まで何度も見舞いに訪れていたというパフューマーのフランシス・クルジャンは、こう語ってくれた。「オリヴィエは単なる友人や相談相手というだけでなく、数えきれないほど多くの場面で、私にとってメンターでもありました。彼ならではのパリジャンとしての精神、機知、そしてどんな会話にも表れていた彼らしさを、これからも心から恋しく思うでしょう。どう言葉にしたらいいのか、思いつきません。彼とは本当に深い友情で結ばれていました」
彼の作るアイシャドウの、どこよりも繊細なパールの光沢をもう一度まといたいと思う。享年84。心からのご冥福をお祈りいたします。
定期購読についてはこちらからご確認ください。
購⼊済みの⽅、有料会員(定期購読者)の⽅は、ログインしてください。
