山梨県・富士北麓に位置するレストラン&オーベルジュ「ノウトリ(Notori)」は、フランス、ニュージーランド、東京でシェフ、ソムリエとして経験を積んできた堀内茂一郎と浩平の兄弟が、2024年8月に開業した。1日1組限定の宿泊施設も併設しており、四季や自然の息吹を感じさせる物語のある料理とペアリングドリンクが織りなす調和は、訪れる人に親しみを感じさせながら新しい体験を届けている。
店名にもなっている農鳥は、春に富士山の北側で見られる、鳥の形をした残雪の名前に由来する。昔から田植えなどの農作業を始める目安とされてきた象徴的な存在だ。雄大な富士山に抱かれ、樹海や富士五湖に囲まれたこの土地は、神秘的な自然と人々の日常の営みが交差する場として古くから親しまれてきた。旅するようにキャリアを積んできた兄弟が、食を通して故郷の未来への思いを語った。
PROFILE: (右)堀内茂一郎/レストラン&オーベルジュ「ノウトリ」オーナーソムリエ(左)堀内浩平/レストラン&オーベルジュ「ノウトリ」/オーナーシェフ

富士山の風景とともに記憶に残る場所を目指して
――まずは、兄弟でレストランを始めることになった背景を教えてください。茂一郎さんは、長年ニュージーランドのレストランで働かれていたそうですね。
堀内茂一郎(以下、茂一郎):ニュージーランドでの生活は、競争が少なく、人々の消費欲も強くない、とても心地よいものでした。永住権も取得し、このまま暮らしていくのだろうと考えていた矢先、2011年の東日本大震災のニュースを職場の大きなテレビで見て、言葉にできない衝撃を受けました。「なぜ自分は異国で、この光景を見ているのだろう」という思いと何もできない無力感が胸をよぎりました。その体験が、日本のために少しでも行動したいという気持ちにつながり、帰国を考えるきっかけとなりました。
もう1つの理由は、ニュージーランドのゆったりとした暮らしに身を委ねている中で、このままでは自分が成長しなくなるのではないか、という危機感でした。在住10年目を迎える頃、「そろそろ自分をアップデートしなければ」という思いが確かなものになり、帰国を決断する後押しにもなりました。
――そこから茂一郎さんは日本へ、弟の浩平さんはフランスへ渡ったのですね。
茂一郎:17年に弟がフランスへ渡った後も、互いに連絡を取り合いながら、将来、何か一緒にできるのではないかという話をしていました。帰国後に弟は、東京にある山梨の食材に特化したレストランで経験を積んでいたのですが、この頃にはすでに山梨で活動することを前提に準備を始めていました。本格的に動き出したのは20年のコロナ禍直前で、山梨の物件を探し始めました。
――「ノウトリ」のテーマ「土地と記憶の料理」について教えてください。
堀内 浩平(以下、浩平):“この土地で料理をしている“という感覚よりも、まずは“この季節にこの土地にあるもの“という必然が先にあります。そこから着想が広がり、子どもの頃の記憶や、その時期に偶然見つけた野草の香り、今まで使ってこなかった食材との出合いといった蓄積がインスピレーションとして重なっていきます。こうした記憶や出合いが組み合わさって、ある瞬間に無数の小さなパーツが結びつき、1つの料理として形になります。食材を味見して「もっと土っぽいニュアンスに寄せたほうがいいな」とか、「これには馬肉のほうが合うかもしれない」と思うこともあります。根本にはこれまで作ってきた料理がありますが、新しい感覚が加わることで表現の幅が生まれます。
――「土地の記憶」を郷土料理と解釈せず、“お母さんの料理“とする着想はどのように生まれたのでしょうか?
浩平:郷土料理の再構築は、ここ10~20年で多くの料理人が取り組んできました。原型が残らないものも多く、ただモダンに仕上げるだけでは、腑に落ちないと感じることもあります。この辺りで有名な郷土料理の「ほうとう」も、食材がクタクタになった食感に良さはありますが、レストランで再構築して提供するには違和感がありました。
そんな中で出合ったのが「やさいめし」でした。非常に限られた地域の郷土料理ですが、家庭ごとに特色があります。私たちの母の作るものは混ぜご飯の形で、子どもの頃からよく食べていました。母が作らなくなればもう同じものは食べられず、どこにも存在しなくなってしまうことに気づいた時、「これはレストランで出せる」と思いました。
兄とは9歳離れているため、子どもの頃はほとんど接点がありませんでしたが、母の味は当然のように共有していました。互いの記憶を頼りに母の味を再現するように試作を重ねて、オリジナルレシピとしてコースの締めに添えました。今では、他店にはないビジュアルと味わいでお客さんにも喜ばれる1皿になって、「ノウトリ」のシグニチャーメニューになりつつあります。
――「土地の記憶」の料理を食べて、お客さんには「新しい記憶」を持ち帰ってほしいそうですね。
浩平:「やさいめし」は日本人にとってなじみのある、甘じょっぱい味付けにしていますので、故郷や子どもの頃に食べた母親の料理を思い出してほしいですね。実家で親しまれてきた料理をここでも同じようにみんなで楽しんでもらいたいですから、大皿で提供し、複数人分をシェアしています。同じ皿を囲むことで、ビーガンの方も、そうでない方も自然と食卓を共にするような雰囲気が生まれます。その上で、この土地の食材の記憶も重ねてもらえたらうれしい。海外の方が「うちの母親がこういう料理を作っていた」と声をかけてくれたこともあります。そういう声を聞けるのもとても嬉しいです。
――食を通して、若い世代に一次産業の面白さを伝える取り組みをされています。
浩平:北杜市などでは移住者が新規事業を始める例も多いですが、このあたりは土地が限られているため、観光が中心の地域です。富士五湖には豊かな自然がありますが、実際に料理で使える地元食材はまだまだ少ないのが現状。漁協の高齢化もあって、地元の魚はほとんど流通していません。観光客が「地元のものを食べたい」と思っても応えられないのはもったいないと感じています。それでも、地元の若者が一次産業や食に関わることで、地域資源の活用はもっと広がり、漁協の復活も期待できるはずです。
富士吉田や河口湖には県外から来た起業家やクリエイターも増え、地域の魅力を積極的に発信しています。移住してきた若い生産者が茶や発酵食作りなどの新しい挑戦を始めていることも大きな刺激になっています。土地に根ざしたモノ作りを続ける職人の仕事を、1人でも多くの方に知ってもらいたいという想いから、レストランや宿泊施設で使用する器やカトラリー、テキスタイルなどには山梨の作家の作品を選んでいます。山梨の魅力を感じてもらい、富士山の風景とともに記憶に残る場所を目指しています。
精神的、体験的な価値を重視する現代的な豊かさ
――地域の一次産業や観光の価値はどのように変わると思いますか?
茂一郎:これからはAIの発展によってホワイトカラーの仕事が減っていくと考えています。そのため自然に近い仕事や一次産業を軸にした仕事の価値はさらに高まるでしょう。それは生活のためだけでなく、楽しみや創造にも直結します。
東京で経験を積んだ若者が地元に戻り、地域の豊かな自然や資源を新しい形で活用する未来も十分に描くことができます。観光産業も外から仕入れた食材を加工して提供するのではなく、「ここから生まれるものをここで提供する」ことに価値がシフトしていくはずです。一方で、地元出身者は子どもの頃に地域の文化や歴史を学ぶ機会が少なく、自分たちが住む場所の価値に気づきにくい面もあります。最近では、小学生向けに地域の歴史や産業を教える取り組みも始まり、その変化が次世代の地域作りにつながると考えています。
――日常に溶け込みすぎて、地域の価値が見えにくくなることがありますね。
茂一郎:富士山へ続く「本町通り」には、昔からの富士山信仰を支えた御師の家が、今もいくつも残っています。そのすぐ横にドラッグストアやコンビニが建ったりすると「そこに建てる必要があったのだろうか」と疑問を感じます。商業施設の建設のために土地を手放すのは簡単ですが、同時にこの地域の文化を生かす方法も考えられるのではないでしょうか。
かつては経済成長の流れで開発を進められましたが、今は振り返るべき時代だと思います。その影響を受けるのは子どもたちであり、次世代に価値ある文化や伝統をどう残していくのかが問われています。私たちは、食を通じてこの地域を少しでも良くすることが、日本全体を良くすることにつながると考えています。大きなことはできなくても、地元に戻って向き合う意義は十分にあるはずです。変化は避けられませんが、「残す」と「生かす」視点の意味を大切にしています。
――かつては高価で希少なものが豊かさの象徴でしたが、今は精神的、体験的な価値が重視されています。豊かさをどう定義しますか?
浩平:高価なものは必ずしも必要ではありません。「ノウトリ」では高級食材はほとんど使わず、森の中で食事をする体験そのものを大切にしています。ただおいしいだけでなく、風が吹き、鳥が鳴き、ここでしか味わえない料理と時間を感じてもらうこと。ゆったりとした時間の中で、親しい人や家族と食事をすることこそ、豊かさの本質だと考えています。
茂一郎:全国に地産地消を掲げるレストランが増えてきて、それだけでは差別化が難しくなってきています。私たちは地産地消に加えて、時間や空間、移動の過程も含めて、東京からの旅全体が特別なものになるよう意識しています。豊かさとは、単に高価なものを所有することではなく、背景やストーリーを味わうことです。「ノウトリ」では、ここだけの特別な瞬間と体験を届けています。