PROFILE: 田中泯/ダンサー、舞踊家
2023年にこの世を去った音楽家、坂本龍一。その晩年に本人が綴った日記をもとにして、創作と闘病の軌跡を追ったドキュメンタリー映画「Ryuichi Sakamoto: Diaries」が11月28日に公開される。そこで日記の朗読をしているのがダンサーの田中泯だ。生前、坂本と交流があり、坂本がコンセプトと音楽を手掛けた劇場作品「TIME」に出演した田中泯は、坂本が遺した日記をどう受け止めたのか。映画について、そして、坂本について話を訊いた。
朗読で心掛けたこと
——今回、朗読の依頼をどのような想いで受けられたのでしょうか。
田中泯(以下、田中):まず、「僕でいいんですか?」と驚きました。そして、うれしかったですね。言葉を読む、というのは自分のためになる魅力的な仕事なので、ぜひやらせて頂きたいと思いました。何よりも死を意識した坂本さんが、どんな言葉を使うのか興味がありました。
——朗読する時に心掛けたことはありますか?
田中:坂本さんの日記に書かれた言葉が、そのまま人に届くようなしゃべり方を探りました。自分が勝手に言葉に意味を与えたり、自分の中で湧き上がる感情に支配されないようにして、目にした言葉をそのまま口に出す。自分の心の動きを眺めながら。自分が発している言葉を聞きながら朗読したんです。ですから、読むスピードは普段より遅くなりました。
——確かに。同じ言葉でも気持ちの込め方やしゃべり方によって伝わり方が変わりますね。
田中:言葉というのは、一つ一つがよく分からないものなんです。今こうやって言葉を使って話をしていますが、それを全部ひっくり返すこともできる。人間は言葉を通じて初めて、「あなた」と「わたし」を見つけることができた。言葉が生まれるまで、人は相手との距離で関係性を見つけていました。人と人との距離感みたいなものが言葉と一緒に育っていったんです。子供と接するお母さんはそういう距離感にすごく敏感で、自分の目の高さや子供の目の高さをとても意識している。僕は言葉以前のそういう感覚も踊りなんじゃないかと思っています。
坂本龍一の言葉
——坂本さんが日記に遺した言葉の中で印象に残ったものはありましたか?
田中:僕はそんな風に言葉を選択しません。そういう記憶の仕方はしないんです。本を読んでも、そこで書かれていた言葉はみんな忘れます。でも、忘れた言葉の中に僕の言葉として残さなければいけないものがある。それは書かれた言葉のまま僕の中に残るわけではないんです。ですから、僕の中に残っているとしたら、それは坂本さんの言葉ではあるけれど僕の言葉なんです。
——食べたものが消化されて自分の一部になる、そんな感覚なのでしょうか。
田中:そうですね。自分の体の中に入ったり、別れたりする。もしかしたら、昔の人はそういう風に感じる瞬間が1日の中にあったのかもしれませんね。今は言葉が先行しているので、そういう瞬間を感じることがないのかもしれない。今回、僕は相当の量の坂本さんの日記を読ませて頂いたのですが、映画で使われているのはその何十分の一くらいなんです。ですから、映画で朗読された言葉が坂本さんの全てを語っているわけではなく、そこには監督の「坂本さんをどういう風に見せるか」という演出の意図があったのかもしれません。ただ、坂本さんの日記を読んで感じたのは、彼は最後まで諦めなかったんじゃないかということです。生きる、という欲求が圧倒的に強かったのではないか。そして、人に読まれることを意識して日記を書いていたのではないかと思いました。
——それは家族に対してだけではなく、世の中の人たちに向けても?
田中:もちろんです。これは僕がそう感じただけで、本当にそうだったのかどうかは分かりません。でも、言葉だけを抽出して坂本龍一という人物を分かろうとしても無理です。私たちと彼とでは生きているスピードが違いますからね。例えば好きな食べ物の名前を書くとして、我々は何を選ぶか考える余裕がありますが、坂本さんは思いついた瞬間にパパッと書いている。そんな印象を受けました。それが本当に好きなものかどうかも疑わしいと思うんですよ。フッと思いついて書いたのかもしれない。誰もが理解できるものとして言葉はありますが、本当に理解できているかどうかは怪しいものです。しかも、坂本さんのような状況で書かれた言葉であれば、なおさらそれで坂本さんという人物を理解するなんてできない。言葉ではない無言のコミュニケーションを感じ取ることが必要なんです。
——映画の中で坂本さんがピアノを演奏する時、演奏が終わってもゆっくりと手を動かします。恐らく無意識に動かしていると思うのですが、それが坂本さんの無言のコミュニケーション、あるいは、坂本さんの踊りのようにも感じました。
田中:僕もそんな気がしました。譜面にはいろんな速度を表す記号が書かれていますよね。人間の身体にもいろんな速度があって、速度を変えることで、その場の空気は大きく変わっていく。それが僕にとっての踊りなんです。言葉以前の初源的な感覚。音を聞くということはどういうことなのかなど、いろんなことを坂本さんと話した気がします。無言の会話も含めて。
2人に共通する眼差し
——坂本さんが音楽になる以前の音。例えば雨の音や風鈴の音に病室で耳を傾けていたり、雲の動きや月の輝きといった自然現象に音楽を感じ取っていたことが日記から伝わってきました。きっと坂本さんは、そういう初源的な感覚を大切にしていたアーティストなんですね。
田中:彼はとても伝統的な芸術家だったと思いますね。僕もいろんなものからインスピレーションを受けます。ここに水が入ったコップがありますが、これが湖に見えることもある。コップにしか見えないとしたら、それは残念なことですよね。ダ・ヴィンチだったかミケランジェロだったか忘れましたが、壁のシミを見ているだけで1日過ごせる、と言っていました。僕は「あの雲を真似してやろう」と思って3時間くらい雲を見続けていたことがあります。だんだん雲が小さくなって無くなる瞬間を見た時は面白かったですね。
——田中さんは坂本さんの最後の劇場作品「TIME」に出演されました。2021年にオランダで初演されて、坂本さんが亡くなった後、2024年に東京でも上演されましたが、出演されてどんな感想を持たれました?
田中:踊る前、踊った後に会話できなかったのがとても悔しかったですね。オランダで初演をした時はモニターを通じてしゃべったり、練習している姿を映像に撮って彼が入院している病院に送ったりしていたんです。坂本さんとはこの作品について、いっぱいしゃべりたかったです。会話をして、回を重ねることでパフォーマンスは変化していくので。
——田中さんから見て、坂本さんはどんな方でした?
田中:今気がついたのですが、坂本さんと一緒にいる時は、たいてい横並びで会話していましたね。向き合っている時も体を斜めにしたり、体の佇まいを変えることで関係性を面白くしていたのかもしれないし、正面で向き合うのが照れ臭かったのかもしれません。話をしている時は、私たちの前に言葉の図書館のようなものがあって、そこから言葉をつまんでは手のひらに乗せて、「これ、どう思いますか?」という感じで会話をしていました。人が使ってきた言葉を、自分たちの会話の中で取り出して「美味しいね」と思ったり、「不味いね」と思ったり。2人で言葉を味わっていたのかもしれません。
——お2人とも、一歩退いて物事を観察する眼差しを持っていたんですね。
田中:そうかもしれません。大昔、集落が生まれて人の数が増えていく中で踊る人がだんだん決まってきて、そういう踊り手がトランスして踊るようになるんです。でも、本来の踊りはトランスに入らず、集中して覚醒した状態なんです。それをどういう風に言ったらいいのか……「眺める」ことができる状態なんですよ。
——坂本さんも演奏を通じて「集中して覚醒した状態」を体験していたからこそ、世界を「眺める」ことができたのかもしれませんね。
田中:絶対にそうだと思います。僕が踊っている時の感覚もそうで、それはとても素晴らしいものなんです。そういう状態を体験しているからこそ、踊れることを幸せだと思う瞬間がある。坂本さんも音楽を演奏しながら、そういう瞬間を感じていたのではないでしょうか。
PHOTOS:MAYUMI HOSOKURA
SYTLING:KYU(Yolken)
HAIR & MAKEUP:RAISHIRO YOKOYAMA(Yolken)
ジャケット15万7300円、シャツ 6万1600円、靴 9万2400円/全てワイズ フォー メン(ヨウジヤマモト プレスルーム 03-5463-1500)、パンツ 6万6000円/ヨウジヤマモト プールオム(ヨウジヤマモト プレスルーム 03-5463-1500)
映画「Ryuichi Sakamoto: Diaries」
◾️映画「Ryuichi Sakamoto: Diaries」
命が尽きるその瞬間まで音楽への情熱を貫き、創作し続けた坂本龍一。本人が綴った「日記」を軸に、遺族全面協力のもと提供された貴重なプライベート映像やポートレート、未発表の音楽を交え、稀代の音楽家の最後の3年半の軌跡を辿る。今なお国も世代も超えて我々の心を掴み続ける坂本龍一は、命の終わりとどう向き合い、何を残そうとしたのか——。誰しもの胸に迫るドキュメンタリー映画が完成した。
11月28日からTOHOシネマズ シャンテほか全国公開
出演:坂本龍一
朗読:田中泯
監督:大森健生
製作:有吉伸人 飯田雅裕 鶴丸智康 The Estate of Ryuichi Sakamoto
プロデューサー:佐渡岳利 飯田雅裕
制作プロダクション:NHKエンタープライズ
配給:ハピネットファントム・スタジオ コムデシネマ・ジャポン
2025/日本/ カラー/16:9 /5.1ch/96分/G
© “Ryuichi Sakamoto: Diaries” Film Partners





