PROFILE: 右:三宅唱/映画監督 左:シム・ウンギョン/俳優
「ケイコ 目を澄ませて」(22)、「夜明けのすべて」(24)など話題作を次々と世に送り出し、現代日本映画界をけん引している三宅唱監督の最新作「旅と日々」が11月7日に公開された。漫画家・つげ義春の真逆とも言える短編「海辺の叙景」と「ほんやら洞のべんさん」を組み合わせ、夏と冬をつなぐ一編の長編映画として再解釈した本作は、歴史あるロカルノ国際映画祭で日本映画としては18年ぶりとなる金豹賞(グランプリ)を受賞。人生に迷う脚本家の李(イ)を演じるのは、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞した「新聞記者」(19)など日韓で活躍するシム・ウンギョン。彼女が訪れる雪国でおんぼろ宿を営むべん造に扮するのは名優・堤真一。そこに河合優実や髙田万作、佐野史郎など、日本屈指の実力派俳優が脇を固める。一足先に世界で絶賛された本作はどのように生まれたのか。三宅唱監督と主演のシム・ウンギョンに話を伺った。
夏の話と冬の話を一つの作品で見せる
——まずはロカルノ国際映画祭の金豹賞受賞おめでとうございます。スイスの観客のリアクションはいかがでしたか?
三宅唱(以下、三宅):プレミアを行ったのは2800人ほど入る会場だったんです。ちょっと大きすぎて、当初はこの映画の空気やテンションが伝わるかなと少しナーバスでした。でもいざ上映が始まると、ものすごく大勢の人が集中して、時に笑ったり、時に息を潜めてこの映画を楽しんでくれていた。心地の良い緊張感がずっと続いていたので、この映画の初披露がロカルノという場所で良かったなと。本当に幸福な体験だった上に、さらに金豹賞とは思いもしなかったので、驚きました。
シム・ウンギョン(以下、シム):ロカルノのような世界の素晴らしい映画祭に行くこと自体が私にとって初めての経験だったんです。だからとても緊張していたんですが、「とにかく舞台挨拶がきちんとできたらそれで十分」という気持ちでいました。ただ、いざ上映が始まると皆さんすごい集中力で観ていて、「この映画に没頭している」というエネルギーのようなものが伝わってきたんです。それも含めてなんだか一つの映画のようでものすごく感動的でした。一生忘れられない経験になりましたね。
——アスペクト比(画面サイズ)に関して、「夜明けのすべて」ではアメリカンビスタ(横縦比が1.85:1)、「ケイコ 目を澄ませて」ではヨーロッパビスタ(横縦比が1.66:1)を使用されていましたが、本作ではスタンダードサイズ(横縦比が1.33:1)を採用されていますね。三宅監督の作品としては音楽ドキュメンタリー「THE COCKPIT」(14)以来かと思いますが、スタンダードを選択した理由を教えてください。
三宅:第一に自分はスタンダードサイズが一番美しいと思っているんです。ただ僕の一存ではなく、これまで同様、撮影監督の月永雄太さんと一緒に、ロケハンの最中に「どのフレームでいきますか」とあれこれ話しながら、決定しています。今回は2人とも、スタンダードが一番良いだろうと、すぐに決まりましたね。何か具体的な理由を積み重ねてその決定をしたという訳ではないので、スタンダードにした結果、今回学べたことをお話すると、スタンダードのフレームをうまく使えば、シネマスコープのような大きなワイドスクリーンより、むしろもっと広い世界を観客には感じてもらえるんじゃないか、ということです。
また、アメリカンビスタあるいはヨーロッパビスタは2人の人物を同時に撮りやすいと感じますが、スタンダードだと1人の人物を適切に撮ることができると感じました。言い換えれば、人物一人ひとりに正面から向き合えるフレームだと感じたんです。そして、だからこそ「どの瞬間に2人が同じフレームに入るか」ということも特別なものになるんじゃないかなと。人はそれぞれまったく別の人間としてこの世界に存在しているということがスタンダードだと自然に表現できますし、それはこの物語の主題とも絡んでいたかなと結果的に思いますね。
——プロデューサーの中沢敏明さんから「つげ義春さんの作品で映画化したいものを選んで欲しい」と依頼されたのが出発点だそうですね。「海辺の叙景」と「ほんやら洞のべんさん」は、「夜明けのすべて」同様に恋愛を伴わないボーイ・ミーツ・ガール的な部分やつげ義春さんらしい「旅」という部分は通底していますが、同時に正反対の作品でもありますよね。季節もそうですが、どこか死を感じさせる前者に対し温かく笑える後者というように。それが映画内映画というメタ的なアイデアでつながるわけですが、あえてこの対比的な2作を一つの作品として連ねようと考えたのはなぜでしょうか?
三宅:出発点は「夏の話と冬の話を一つの話で味わえたら、それはきっと楽しいんじゃないか?」という非常にシンプルなアイデアでした。例えばトム・クルーズの映画の予告編を観ていて「海の底も、空の上も、氷の上のシーンもある。どういうことなんだ?」とワクワクするように。そういう単純な着想から始まった組み合わせではありますが、この2作に共通するテーマや対比的な部分、またつげ義春さんの漫画のもっと大きなテーマなど、いろんなものがより際立たせられるかもしれない、というのは作品づくりを進める中で感じましたね。
念願の三宅作品への出演
——作品資料でウンギョンさんは「三宅唱監督とご一緒できたらいいなとずっと思っていました」と語られていましたが、三宅監督のことはどの作品で知ったのでしょうか?
シム:私が初めて観た三宅監督の作品は「ケイコ 目を澄ませて」で、すごく感動したことを今でも覚えています。それでどうしても「ケイコ 目を澄ませて」に関わりたいと考えていた時、釜山国際映画祭で上映されるというお話を聞きまして。私と同じ事務所に所属している岸井ゆきのさん主演の映画ということもあり、「どうにか自分にできることはないでしょうか」と動いたところ、上映後のトークショーで三宅監督、岸井さんと語り合う機会を頂けたんです。そこで三宅監督と初めてお会いしてからずっとご一緒したいと思っていたんですが、まさかこんな早くチャンスが来るとは思っておらず……。最初は事務所からお話を聞いたんですが、すごくびっくりして何度も確認しましたから。「え、本当に三宅監督ですか?」「間違ってないですか?」って。それくらい驚いたけど本当にうれしかったです。念願の三宅監督の作品に出られる日が私にも来たんだって。
——本作の台本を読んだときの感想はいかがでしたか?
シム:本当に素敵な台本で、初めて監督と「旅と日々」の打ち合わせをしたときに「ここ数年で読んだ台本の中で一番です」とお伝えしました。私が監督の映画が大好きなのは、今この世の中を生きている私たちのような人物が主人公だから。今回の「旅と日々」も、読んでいると「これはまさに今の自分の話だ」と思わされることがあったんです。3年前の釜山ではあまりたくさん監督と会話した訳ではないのですが、「監督はなぜ私のことをこんなに知っているのかな」なんて不思議な感覚にもなりましたし、だからこそ「これは私がやらなきゃ」と思わされる台本でした。その中には自分が映画を通して表現したいこと、伝えたいことがたくさんあったんです。そういったものを念願の三宅監督とつくることができたのは本当に幸せでした。
——主人公をウンギョンさんが演じることで、ある意味で外側の視点から日本を見ているような感覚がありました。「住んでいるけれど旅の途中のような感覚がある」という感情も韓国語のモノローグで語られることでより説得力を帯びていましたが、原作では男性であった主人公をウンギョンさんに委ねた理由を教えて頂けますでしょうか?
三宅:明確な理由があって……というより、最初に「この役をシム・ウンギョンさんが演じたらどうなるんだろう」ということをパッと思いついて、そこから考えていったんです。直感スタートですね。その後検討する過程で、「ほんやら洞のべんさん」の主人公は、都会から出てきた人物がそうじゃない土地にいる、つまりその土地に全然なじんでいない人物だと思いまして。一方のべん造さんは好き好んでそこにいたいわけではないけど、他にすることもないから仕方なくそこにいる。そういった場所をめぐる物語だなと感じたんですよね。
僕は借家なので分からないのですが、もし自分の土地や持ち家を持っていたら「これは自分の場所だ」と思うんですかね? 僕としては、どこまでいっても「あらゆる土地は誰ものもでもない」と感じるんですよ。どこへ行ってもよそ者だなと思うし、故郷に帰ったからといってそこが最も落ち着くかといえば決してそういうわけではない。いずれの土地に対しても「自分は後からやってきた人間だ」という感覚があると言いますか。その自分の感覚と「ほんやら洞のべんさん」にある感覚が、ウンギョンさんに演じてもらうことによって、より際立つんではないかなということは思いました。
——ウンギョンさんが演じる李の背景は詳しく語られません。分かるのは日本で脚本の勉強をして、何か健康面で不調があり、経済的にはあまり裕福ではなく、現在忍者の物語を書いているということ。描かれない彼女の設定などについてはお二人でお話をされたのでしょうか?
シム:私は撮影に入る前からとても緊張するタイプなので、事前に監督にいろいろ聞いておきたかったんです。ただ監督にお会いする機会もなかなかなかったので、監督に聞きたいことをメールでお送りしたところからやり取りが始まりました。例えば私の中で李さんは厭世的な人間という印象があり、作家の太宰治さんが思い浮かんだので「そういう影響はあるんですか」と尋ねて、監督から「ちょっと違うかもしれない」というお返事をもらったり。あとは細かいところだと李さんがうどんを食べる前に本を読んでいますが、何を読んでいるのかと聞いたりしました。
ただ監督に聞くばかりじゃなく、私も台本を読んで「李さんは普段こういう音楽を聴いているんじゃないかな」と彼女のプレイリストをつくったりもしつつ。あと韓国には私が演じた役と同じ名前の李箱(イ・サン)という作家がいて、中学生の頃から大好きなんです。この物語のような作風の人だったことに加え、本作の李さんも物書きだということで、李箱さんのことを思い出して監督にお話してみたり。そういうメールの交換をしていましたが、それはすごく楽しかったです。
——現場に入ってからもそういうやり取りは続けたんですか?
シム:現場に入ってからはより撮影に向けた会話をしていましたね。例えば毎回撮影の前にカメラの位置やアングルを見て、このシーンで李さんはどのタイミングでどう動けばいいのか、はたまた動かずにいればいいのかといったこと。映画において動きというのはとても大事なことなので、細かい動きなど繊細な部分は監督が知っているだろうと思い「どう動きましょうか」と聞いていました。
あと今までだと役者として「何かを表現しなくちゃ」という気持ちがあったんですが、今回はなるべくそれを捨てようと思いました。この映画においては、そのままその場面にいることが大事だと言われたので。
——李の動きで言うと、彼女が脚本を執筆するときに遠くを見て空中で手を動かしたり、たまに笑ったりしながら書き進めていきますよね。もしかしてあれは監督が脚本を書くときの癖だったりするんですか?
三宅:みなさん家でメールや文章を書いてるとき、どうなんでしょう? 分からないですけど、側から見たらきっと突然止まったり、あられもない姿で仕事をしてると思うんですよ。なんかニヤニヤしたり、意味不明な体勢になったり(笑)。僕の書き方、癖を投影したというわけではないですね。撮影で「とりあえず一回やってみて」という感じで始まったんじゃないかなと思います。
つげ義春作品の魅力
——つげ義春さんの物語を現代に落とし込みながらも、電子機器は脚本を書くパソコンくらいでほぼ登場しません。手持ちラジオ、フィルムカメラ、手書きノート、うどんを待つ間の文庫本など意図的にテクノロジーと距離を置いているように見えたのですが、いかがでしょうか?
三宅:何か明確な意図があったわけではないですね。実は李とべん造の2人がTikTokを見て、一時間くらい溶かしちゃうってシーンを考えたんですよ。実際物語の中で映っていないだけで、おそらくあの2人はTikTokで時間を溶かしていると想像してもらってもいい。まあ冗談半分ですけども。でも真面目に理由を考えるならば、夏編の台詞で2人の登場人物が「退屈」について話し合う場面となにか関連しているのかなという気もしますね。
——ロカルノ金豹賞受賞に際して「映画そのものに対する愛や信頼、そしてこの世界への愛を再び感じることができました」と語られた通り、監督の映画愛や哲学のようなものをひしひしと感じる作品でした。興味深いのが原作では漫画家の主人公を、監督に近しい設定である脚本家にしたこと。なぜその設定を選んだのか教えてもらえますか?
三宅:つげ義春さんは漫画の世界に、いわゆる日本の私小説的な語りを持ち込んで、独自の漫画表現を切り開いていかれたとよく言われています。多少煙に巻くかたちになっているけれど、創作する上での実体験と想像を取り込んでいる。そこで、自分も映画化するにあたって、僕自身の創作観や生活感覚というものを取り込むべきじゃないか、それは脚色する上での裏切りにはならないんじゃないかということを考えました。これは、原作があるものを扱う立場の、非常に勝手な言い分だとは思いますが。そういった考えを経て、自分が「私」性の責任を引き受けるためにも、脚本家という設定にしました。
——登場人物が物語について「ユーモアが好き」や「大事なのはどれだけ人間の悲しみが描かれているか」と語るのは、監督自身の言葉だったりするんですか?
三宅:僕自身の考えともある程度はつながると思ってはいますが、僕の中からゼロから生まれた言葉というより、つげ義春さんのエッセイや対談などいろんなところから影響を受けてつくりだされたものです。そのままの言葉があったかどうかは記憶が怪しいのですが……登場人物の言葉=僕の考えの代弁ではなく、あくまでこの映画を面白いものにするための必要なステップとして書いています。
——とりわけ印象的だったのが李の言葉と旅についてのモノローグでした。「私は言葉の檻の中にいる。旅とは言葉から離れようとすることかもしれない」。この言葉が前半と後半をつなぐブリッジとなっていますが、この「旅と言葉」に対する眼差しはどのように生まれたものなのでしょうか?
三宅:それもきっかけはつげ義春さんの言葉ですね。作中の「日常とは、周囲のモノや感情に名前を与え、馴れ合うことだ」といった部分は、それに近しいつげ義春さんの言葉が大きなヒントになっています。そこから、自分なりに考えを膨らませていって、言葉の檻という言葉、そこから離れるのが旅だというモノローグを書きました。
撮影の順番としては夏編を撮った後に冬編を撮ったので、夏と冬のあいだに、もう一度準備期間、考える時間ができたんです。それで夏の撮影を振り返りまして。本作は李が脚本を書くシーンから始まりますが、書いたものが映画になったときの驚き、言葉を映像が超えていく驚きがありますよね。李のシナリオには「行き止まりに一台の車。後部座席で女が目を覚ます」とだけしか書かれていない。でもいざ映画にすると波の音や鳥の声が聞こえて、車の窓には流れる雲が映って……というように、文字では到底捉えられない世界が一気にワッと立ち上がる。その飛躍に対して脚本家の自分は「負けた」という感じがするし、監督としての自分は「言葉を吹き飛ばしてくれる驚き。そこに立ち会える面白さこそが映画だよね」と思うんです。そんなことを夏編と冬編の間に考えていて。それが最終的につげ義春さんの発言と結びついて、編集段階でモノローグを書いたという流れです。あのモノローグは最初からあったわけではなく、作りながらようやく出てきたものです。
短編だからこその切れ味を
映画でも表現
——ウンギョンさんと堤さんのコンビネーションについて聞かせてください。物腰柔らかくズバズバ言う李と、怖そうなのに幼さのあるべん造の会話に幾度も笑ってしまったのですが、その関係性はどのようにつくりあげていったのでしょうか?
シム:今回は事前に堤さんとの台本の読み合わせがなかったんです。台本に沿って全体を通すリハーサルは現場に入ってから、撮影の前日にやったんですが、初めて本作で顔合わせしたのもそのときで。それはもしかすると、李さんとべん造さんが互いに慣れていない感覚でいるためにあえて監督が読み合わせをしなかったのかなと思ったんですが。
私が堤さんと共演するのは今回で2回目なんです。前回は2019年の「良い子はみんなご褒美がもらえる」という舞台で、親子役でご一緒させてもらいまして。堤さんがお父さんで、私が9歳の息子という役でした。一方、今回は完全に他人同士という役で演じさせてもらったんですが、現場に入る初日からあまり緊張せず、だけど慣れてはいないという感覚がずっとあって。それが何とも不思議な感覚だったんですよね。堤さんとの間に生まれる空気や現場の雰囲気など、いろんな要素が合わさって、そこからまた感じるものも確かにあって。そういう現場で自分が直接感じたものをそのまま出すということが、今回演じる上で大事にしていたことだと思います。
例えば李さんが寝転びながら「錦鯉の養殖を始めるのはどうですか?」と言うシーンがあるんですが、それを撮るときも最初からそうだったわけではなく、その場で体勢をいろいろ変えたりしながらつくっていったんです。李さんが「左様でございますか」って小声で言うのはどうかなと思い、アドリブを入れたら監督が喜んでくれて「やった!」ってなったり。そうやって堤さんとのやり取りの雰囲気なんかも撮影しながらシーンごとにつくりあげていきました。
——ウンギョンさんがおっしゃる通り、事前に読み合わせがなかったのは李とべん造のぎこちない関係を意識してのことだったんですか?
三宅:2人の関係を意識したわけではなく、やはり雪に覆われたあの場所である程度衣装を着ているときにやらないと、僕自身も分からないと思ったんですよね。あの空間で語る台詞を東京の会議室でやっても、良いか悪いか絶対判断できないなって。2人とも紛れもないプロフェッショナルなので、前日のリハーサルも2人のためというより、自分のために「撮影の前に一回全体見せてくれない?」という思いが大きいですよね。そのおかげで、最初に想定していた撮影場所を「ここは違うな。このシーンは隣の部屋でやった方が良いんじゃないか」といった検討もできたので。
——後半はほぼ雪山での撮影だったと思いますが、演じる側としてもかなり大変だったのでは?
シム:それが大変じゃなかったんです。冒険みたいで。まず「これは一番大事だな」と思って、寒さ対策をすごくちゃんとしたんですよ。暖かいインナーを重ね着して、カイロも全身に貼ってとにかく身体を温めて。冷たい川の中を歩いたりするシーンもあったんですが、私自身初めて経験することだったのもあり、気持ちが子どもみたいにはしゃいじゃって。だから大変というより楽しかったんですよ。撮影が始まる前は「わ、これ何だろう?」「こんなのもあるんだ!」とうれしくなって遊んだりしていました。もちろん撮影が始まるとそんな感じではないので、キャラクターに合わせて演じましたが。とにかくワクワクした日々でした。
——とりわけアート映画は長い尺のものが多い印象のある昨今において、本作の89分という短いランタイムは意識したものなのでしょうか? 2部構成の作品であればもっと長くしようと思えば十分にできたと思うのですが。
三宅:はい。始めから90分以内の映画にしたいと思っていました。というのも、つげ義春さんの漫画には短編だからこその切れ味と言いますか、「え、ここで終わるの?」と放り出されるインパクトの強さがあると思うんです。もちろん映画になると漫画を読む時間よりかはかなり長くなってしまうのですが、その感覚に近しいものを生むために「短さ」というのは絶対に必要だろうと思っていて。ただ編集の段階で削って削って辿り着いたわけではないですね、最初に編集したバージョンでは81分だったんですよ。でもそれは「短すぎてちょっと違うわ」となって、時間を整えていった結果、89分に落ち着いたという経緯です。
PHOTOS:MAYUMI HOSOKURA
STYLING:[SHIM EUN-KYUNG]YOSHIYUKI SHIMAZU
HAIR & MAKEUP:[SHIM EUN-KYUNG]MICHIRU
[SHIM EUN-KYUNG]ジャケット 21万4500円、ポロニット 7万5900円/ジェイ ダブリュー アンダーソン(ジェイ ダブリュー アンダーソン 渋谷店 03-6277-5277)、ジーンズ 3万5200円/A.P.C.(A.P.C. カスタマーサービス 0120-500-990)
映画「旅と日々」
◾️映画「旅と日々」
11月7日からTOHOシネマズ シャンテ、テアトル新宿ほか全国ロードショー
出演:シム・ウンギョン 堤真一 河合優実 髙田万作 佐野史郎 斉藤陽一郎 松浦慎一郎 足立智充 梅舟惟永
監督・脚本:三宅唱
原作:つげ義春「海辺の叙景」「ほんやら洞のべんさん」
製作:映画『旅と日々』製作委員会
製作幹事:ビターズ・エンド、カルチュア・エンタテインメント
企画・プロデュース:セディックインターナショナル
制作プロダクション:ザフール
配給・宣伝:ビターズ・エンド
© 2025「旅と日々」製作委員会
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