
「WWDJAPAN」は、2026年春夏シーズンもコレクションの直後にバックステージに駆け込み、デザイナーの話を聞いた。不安で不穏な時代ゆえ、多くのデザイナーがオプティミズム(楽観主義)やジョイ(喜び)を語った中、共感する気持ちを吐露した4人のデザイナーの思いを紹介する。(この記事は「WWDJAPAN」2025年11月10日号からの抜粋です)
「クロエ(CHLOE)」

シェミナ・カマリ(Chemena Kamali)/クリエイティブ・ディレクター
創業時の「クロエ」のように
クチュールとプレタポルテの“二足のわらじ”を履いた
「クロエ」というブランドの概念を少し広げるとしたら、それが何で、どこへ向かうことができるのかを探りたかった。過去数シーズンで、私たちは核となるメゾンコードを確立できたと思う。だから今回は、新しい領域に踏み出したかった。創業者のギャビー・アギョン(Gaby Aghion)がブランドを設立したのは、1950年代の後半。パリはクチュールの時代だったが、その堅苦しさを嫌った彼女は一種の反クチュール主義者だった。きっと、軽やかなものを求めていたと思う。一方で当時のクチュールのシルエットにはインスピレーションを受けていた。つまり“二足のわらじ”を履いていたの。「クロエ」は、プレタポルテとオートクチュールの中間に位置していた。 それが「面白いな」と思い、ドレープやプリーツ、ラッピング、ノッティングといった古典的なクチュール技法を取り入れた。3Dデザイナーとしてキャリアをスタートした私にとって、ドレープはスケッチよりも簡単なので、個人的な視点も取り入れて、DNAに加えて認識を広げたかった。「クロエ」をステレオタイプに決めつけられたくなかったから。プレタポルテとクチュールの中間のような存在という概念から、「クロエ」だったら今のクチュールドレスをどう着こなすか?を考えた。素材は、 ごく普通のコットン。でもすごく細かいプリーツに織り込み、形を作りながらも重さを感じさせない仕上がりを目指し、軽やかで自然でありながら、実際は非常に緻密に計算されたジェスチャーを作り出したかった。50年代後半〜60年代のアーカイブプリントは、ジャージーや水着にもプリントした。実にさまざまな細工が施されていた、50年代の水着にも刺激を受けた。
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