スイスのウオッチブランド「ウブロ(HUBLOT)」が、現代アーティストのダニエル・アーシャム(Daniel Arham)とともにシンガポールでお披露目した新作“MP-17 メカ-10 アーシャム スプラッシュ チタニウム サファイア”。時計製造の常識にとらわれないアーシャムの芸術的創造力と、チタニウムとサファイアという異素材の融合によって生まれたこのモデルは、単なる時計ではなく時計業界の慣習や“時間”そのものを再構築する試みだ。アーシャムに、創造のプロセスと、アートと時計製造の垣根を超えた哲学を聞いた。
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アーシャムが「ウブロ」と出会ったのは2019年。シンガポール発の高級時計専門店アワーグラス(The Hour Glass)とのプロジェクトの際に同社のマイケル・テイ=グループ・マネージング・ディレクターと交わした会話がきっかけだったという。
「ぼくがコラボレーションをするとしたら、どのブランドが合うかをたずねたところ、マイケルは『ウブロ』と即答したんです。若くて、革新的で、伝統よりも未来を見ているブランドだと」。また20年来の知人であり、尊敬しているという日本人アーティストの村上隆が「ウブロ」と継続的にコラボレーションしてきたことも、同ブランドへの信頼を高め、面白いことが出来そうだと思えた理由の一つだったという。「ウブロ」のジュリアン・トルナーレ(Julian Tornare)最高経営責任者(CEO)は、アーシャムとの出合いを「ブランドに新しい息吹がもたらされた瞬間だ」と語る。「『ウブロ』は常に“The Art of Fusion(異なる素材やアイデアの融合)”というコンセプトを掲げてきた。アーシャムの創造性は、まさにその哲学を体現している。彼の作品は過去と未来、アートと機構を同時に結びつけている」。
アーシャムが「ウブロ」と歩んだ3年間
そんな出合いを経て23年にブランドのアンバサダーに就任したアーシャム。氷と雪でアルプスに作られた巨大な日時計の作品「ライト・アンド・タイム(Light and Time)」から始まった両者のコラボレーションは、水、時間、光、それらが持つ有機性や儚さをテーマに発展していった。
両者が手がけた最初のタイムピースは“MP-16 アーシャム ドロップレット(Arsham Droplet)”。今となってはどの時計ブランドもほとんど製造することがない懐中時計を現代に再構築した。「最初に懐中時計を作りたいと伝えた時、チームのメンバーは困惑し、苦笑いを浮かべていました(笑)。『そんなもの売れるのか?』『一体何をどうやって作るのか?』といった戸惑いが入り混じっていましたね。でもドローイングを描いて見せたところ、ぼくの意図を理解してくれました」。
氷のような透明感のサファイアを用いた懐中時計“アーシャム・ドロップレット”は、時計としてはかなり大ぶりな作りだ。水中に持ち込んで使う人はいないだろうが「ウブロ」のチームは、同ブランドが製造する腕時計と同様の防水仕様に設計した。「必要ないと分かっていても、品質に対する徹底した姿勢が素晴らしいと感じた」。アーシャムはそう微笑みながら、合理性を超えたクラフトマンシップへの敬意を語った。
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物語のある素材と形で時計業界の常識に挑戦する
アーシャムの作品は、火山灰や水晶、石膏など、意外性のある素材を用いることで知られている。彼にとって素材は、物語を語る“言語”だ。「素材の選択によって、作品が語ることは変わってきます。“ドロップレット”を作る前に見たレファレンスの中に、水滴が光を屈折させ、流動させるイメージがあり、とても気に入ったので、それを大きく厚みのあるサファイアグラスで再現しようと考えました」。
一方で、今回発表した“MP-17”では、「ウブロ」では初となる“マット”に仕上げたサファイアを使用した。「チームから届いた試作サンプルを見たとき、彼らはきれいに磨かれたサファイアの“表側”を見せてくれたんですが、ぼくは磨かれていない“裏面”に引かれたんです。マットな質感がまるで氷のようで、『これを使えないか?』と提案しました」。チームからの返答は「わからない」。またしても製造チームには困惑が生まれたという。
「制約は決して嫌いじゃない」とアーシャムは語る。「ウブロ」は、アーシャムが自由に創造できるよう最大限の“遊び場”を用意したが、素材や構造に関する現実的な制限はある。「でもその枠の中で、可能な限り限界を押し広げるのがぼくの仕事です」。その言葉の通り、製造チームと共に幾度とない実験とトライ&エラーを繰り返して“マットサファイア”の実装にこぎつけた。「“透明性”にこそ良さがあるとされるサファイアという素材の“想定外のふるまい”を引き出せたと思う」。偶然の発見と、アーシャムのアーティストとしての直感、そして製造チームの高い技術が結集した。
時計業界の常識を打ち破りたいという両者の思いは、素材選びだけではなく、非対称のケース形状にも反映されている。「時計は、左右対称であることが一般的。時間の読み取りやパワーリザーブの確認に必要な視覚的要素を維持しつつ非対称のデザインを実現するには、多くの試行錯誤が必要でした」。アーシャムが描いたドローイングを出発点に、3Dプリントでいくつもの試作を重ねた。「初期のモデルはもっとラディカルな形でしたが、実際に腕に着けると快適ではなかった(笑)。最終的に“見た目と機能性の両立”に行き着きました」。10日間のパワーリザーブが可能な「ウブロ」の新機構“メカ10”は、非常に軽量なため、快適な着用感という点でも一役買っている。
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両者が発表してきた2つのタイムピースに共通するのは、未来的でありながら、タイムレスな雰囲気だ。アーシャム自身が「50年後に発見した時計と言われても違和感のないものに仕上がった」と語るこれらのタイムピースは「フィクションとしての考古学︎(Fictional Archeology)」をテーマに活動し、“未来の遺物”と題した作品を制作してきたアーシャムの芸術的実践とも響き合う。「プロジェクトを始める前に掲げた目標は、『ウブロ』のアイコンの一つとして未来にも記憶される時計を作ること。こうしてお披露目できた今、その目標が実現できたと思っています」とアーシャム。ジュリアンCEOも「この時計は、アートと時計製造の関係を再定義するプロジェクト。99本限定の希少なモデルだが、そこに込めたのは“感情の融合”そのもの。アーシャムと『ウブロ』の信頼関係が形になった」と語った。