PROFILE: 松坂桃李/俳優
「チ。―地球の運動について―」で手塚治虫文化賞マンガ大賞など数々の賞を席巻した漫画家・魚豊(うおと)の連載デビュー作「ひゃくえむ。」。短距離の100m走に取り憑かれた男たちの熱く心揺さぶるドラマで熱狂的なファンを獲得した漫画がついにアニメーション映画化され、9月19日に公開となる。監督は長編デビュー作の「音楽」で米アニー賞ノミネートを果たすなど、国内外で高い評価を受けた岩井澤健治。生まれながらに走る才能を持ったトガシを松坂桃李、そしてトガシと出会ったことで100m走に魅了されていく小宮を染谷将太が演じるほか、内山昂輝や内田雄馬、津田健次郎など豪華声優陣が脇を固めている。
成長するにつれて才能の枯渇を感じ、もがき苦しみながらも走り続けるトガシという人物を松坂桃李はどのように演じたのか。迫真のリアリティーを生んだ本作の制作過程、プレッシャーとの向き合い方、14年ぶりとなる染谷将太との共演、作中で描かれる「狂気的な情熱」などについて、松坂に話を聞いた。
トガシとの共通点
——私自身、原作はリアルタイムで課金しながら読んでいたということもあり映画化には少し心配もあったのですが、本当に素晴らしい作品でした。映像でしかできないかたちで原作の魅力が表現されていて、ファンとして感謝しかありません。
松坂桃李(以下、松坂):やっぱりファンの方は心配されますよね。でもそう仰って頂けて本当にうれしいです。
——松坂さんはオファーを受けてから原作を読んだそうですが、まずは原作の印象から教えていただけますか?
松坂:とにかくめちゃくちゃ面白くて、なんで自分は今までこれを読んでいなかったんだと思いました。でもそのときに読んだからこそ、熱量を持った状態で作品に挑むことができたので、それはそれで良かったのかなと。
——本作の完成品を初めて観たときの感想はいかがでしたか?
松坂:もう大興奮でした。本当に興奮しっぱなしで、アドレナリンが出てしばらく収まりませんでした。自分は陸上競技のスプリンターではないし、学校の体育祭ぐらいでしか100mを走ったことはないのですが、それなのに100mに全てを懸ける人たちにこれほど心打たれるのかと。それはやはり魚豊さんの伝えるメッセージや哲学性によるものだと思いますし、いろんな職種の人に共感を得ることができる物語だと思います。
——トガシという役をどのように解釈して役作りに挑まれたのでしょうか?
松坂:トガシは生まれつき足の速い天才肌の人間として生きていたけれど、やがて限界にぶち当たって一度は挫折して、そこから再度奮起しますよね。その本人にしか分からない孤独感というものにすごく共感できたんです。というのも役者という仕事は現場でいろんなスタッフさんと一つの作品を作り上げるために協力していくのですが、それが終われば次の現場に行くので、その方たちとはお別れしなきゃいけないという意味では独りなんですよね。役者の孤独感や独りの苦しみや大変さって伝わらないし、みなさんに伝えようとも思っていない。そしてトガシもそういうところにいるんじゃないかと思っていて。
ただトガシの場合は子供の頃から周りに持てはやされて、最初のベースがトップの状態。そこから落ちることへの恐怖や、周囲の期待に対するプレッシャーは計り知れないということは原作や映画から感じましたし、独りで抱えている孤独感みたいなものは大事にしなきゃいけないなと思いました。それぞれ孤独感を持ったライバル同士ではあるんですが、それが走っているときだけ一緒に解放されるというか。登山家が「山に登るのは、そこに山があるからだ」と言うように、その抗えないアスリートならではの精神や欲求というものはきちんと出したいなと思いました。
——トガシの内面は時代や場面によって大きく異なりますよね。その変化についてはどのように考えますか?
松坂:例えばフィギュアスケートを見てても思うんですが、皆さんオリンピックや世界大会などのステージのために練習するじゃないですか。転ばないようにトリプルルッツやトリプルアクセルを飛べるようにとか、華麗にダンスできるように数えきれないくらい反復しますよね。そしてリンクに立ったとき、一発勝負に懸けるあの時間ってすごくきれいでかっこいいですが、本人たちからすればどれだけのプレッシャーなんだろうと。有名選手であるほど期待とプレッシャーとの戦いや負けたときを想像しての恐怖があるし、ランキング争いや周囲の視線なども気にしてしまう。それによって自分のメンタリティーも大きく左右されると思うんです。そういう姿を見てきたこともあり、本作のトガシや小宮がレースが終わるたびにメンタリティーが少しずつ変わっていくことは、すごく自然なことなんじゃないかなと感じます。
——そういった周囲の期待に対して、松坂さん自身はどのように向き合っているんでしょうか?
松坂:難しいですよね。期待されないと仕事がこないし、ただ期待されすぎてもプレッシャーで困ってしまうし。そこは本当に繰り返し自問自答する部分ではあるんですが、その瞬間ごとの浮き沈みもたくさんあって。期待されているから頑張ろうと100%思えるときもあれば、ネガティブな考え方が入り込んできて期待に向き合いきれない自分がいたり、それを軌道修正しようとする自分もいたりとか。その度に「自分の敵は、大体自分なんだな」というのは毎回思います。僕の場合はそういうものを乗り越えるというより、抱えながらやっています。期待も不安もごまかさずに、怖がる自分や楽しもうとする自分を共存させながら仕事と向き合っています。
リアリティーの追求
——松坂さんの声といえば今年も新作が公開された「パディントン」の印象がありますが、本作のまったく違う声色には驚きました。そういったキャラクターごとの声のトーンや響きの違いをどのように意識されているのでしょうか?
松坂:パディントンは人間じゃないのでキャラクターがすごくはっきりしているんです。とても紳士的で好奇心旺盛で、周りが見えなくなるドジっ子みたいなところもある。とにかく一生懸命なキャラクターなので、その一生懸命さを出そうという思いからあの声に至ったんです。ただトガシに関してはリアリティーを追求するために、作った声ではなく「生身のトガシを演じるとしたらこんな感じかな」という感覚で収録していきました。
——高校時代と社会人のトガシを演じられていますが、そこも微妙に声のアプローチが違うように感じました。
松坂:そこは意識しました。大人になってからの方が、100m走に対する全貌と言いますか、自分が何に足掻いているのかということが経験とともに俯瞰的に見えてきますよね。その俯瞰性のようなものが声に反映できればということは考えていました。やはりそれぞれの時代の抱えている悩みだったり吹っ切れ方によって声のトーンや張り方も変わってきたりするので、その都度監督と相談したりディレクションを受けながらできる限りそれを再現していきました。実際のお芝居に対する演出のように「ここではもう少し必死さを出してほしい」とか、泣き崩れるシーンでは「感情優先で台詞通りじゃなくて良いので」とか。なのですごくやりやすかったです。
——本作はアニメーションでありながらも迫力やリアリティーがすさまじいですよね。本物の陸上競技を最前線で見ているような感覚を覚えました。
松坂:原作を読んでいるだけで走っている音が聞こえたり、風の疾走感や登場人物の体温を感じられるリアリティーや臨場感がありますよね。それをアニメーションで表現するにあたって、実写映像をトレースしてアニメーションにするロトスコープという技法が取り入れられている。それで実際の陸上選手の動きが映像に落とし込まれているんです。
先日、別の撮影現場で面識のない男性が横に現れて「トガシです」って握手を求められたんです。最初分からなくて「はじめまして……?」と反応したんですが、ハッと気付いて「『ひゃくえむ。』のトガシですか⁉︎」って。それでレース以外の走るところや日常シーンのロトスコープアクターをやったと教えてくださったのですが、確かによく見ると顔つきとか髪型もトガシそっくりで(笑)。その方が言っていたのはリアリティーを求めるために何本も走ったり、実写の撮影のような感覚でやったそうなんです。そこからも分かる通り、原作の生感やリアリティーをアニメーションに引き継ぐため、制作陣がさまざまな趣向を凝らしているんです。
音に関しても、足にマイクを付けて、実際にスパイクを履いて雨の中を走る音を録音したりしていたり。僕が収録するシーンで、トガシが地面に手をついて、これまで自分のやってきたことに対するいろんな感情が溢れ出すシーンがあるんです。それも「実際にやってみてください」ということで、アフレコ現場でマイクを極限まで下げて、実際に手をつきながら挑んだんです。そういうようにリアリティーをとことん追求した制作過程でした。
——走る前の選手たちを長回しで映す雨の場面があまりに格好良くて度肝を抜かれました。そのシーンをはじめ、映像はどれも素晴らしかったですが、松坂さんがとりわけ驚いたのはどういう部分でしょうか?
松坂:やはり走っている映像を観たときには衝撃が走りました。原作を読んでいるときに確かに感じていたそれぞれの選手の息遣いや、ほんの10秒に広がる膨大な世界が、映像でもそのまま感じられて。読んでいる人の脳内で臨場感たっぷりに再現されている走りの描写を超えるのって難しいじゃないですか。でもこの映画はそのイメージをいともたやすく超えてくる。そこはやはり衝撃でしたし、すごいことだと思います。
——「THE FIRST SLAM DUNK」で味わったような、試合を見ながら息が止まる感覚もありますよね。
松坂:「THE FIRST SLAM DUNK」で花道が最後にシュートを放つシーンは息が止まります。それは確かに「ひゃくえむ。」にも通じる部分だと思います。
——走っているときの息遣いも本物のようでしたが、そこもかなりこだわられたのではないでしょうか?
松坂:息遣いに関しては本番前に陸上選手の方にディレクションして頂いて、その教えの通りに僕も染谷君も実践していました。結構長い尺で走っている息遣いを録ったりするので、本当に酸欠になりそうになるんです。人間って走っていなくても「ハッハッハッ」とやり続けると本当に苦しくなってくる。その本当の苦しさを活かしつつ収録に挑んでいきました。あとは手の動きもなるべく映像のモーションに合わせて動かしたりもしました。
ただ収録時には走っている描写はまだ完成していなくて、デッサンだけというところもあったんです。なのでそこはどれくらいの手の動きで、身体を上下させて、呼吸をするのかというバランスを調整するのは難しいところではありました。
染谷将太、津田健次郎との共演
——W主演の染谷将太さんとは14年ぶりの共演とのことですね。それぞれが演じるトガシと小宮は互いに大きい存在だけど2人での会話はそれほど多くありません。その複雑な関係性について、松坂さんと染谷さんはどのように解釈して挑まれたのでしょうか?
松坂:そこは話し合いながらというよりかは、互いの声をしっかり聴きながらそれを頼りに演じていきました。ありがたいことに収録日も一緒にして頂けたので、レースするときの感覚も意識できましたし、先に小宮のシーンから録るというときも同じブースに入ってその声を聞いたり、逆に僕だけが録るときに染谷君が聞いてくれていたり。そうやって互いのキャラクターを意識しながら声をいれていきました。
——松坂さんから見て、染谷さんの声のすごさはどういう部分にあると思いますか?
松坂:本当に小宮にぴったりですよね。独特の掴めない感じというか、得体の知れない感じといいますか。ちょっとした狂気のような不気味さも孕(はら)んでいるんのですが、その中に「絶対に負けない」という闘志も見えてくる。そのトーンが紛れもなく小宮のトーンで本当にすごいなと思いました。青い炎のように派手には見えないけど、熱はすさまじくあるという。
——「ひゃくえむ。」の中で一番お気に入りのキャラクターは誰ですか?
松坂:海棠(かいどう)ですね。登場時間はそれほど長くないですが、どうしてもすごく共感してしまいます。年長者ゆえの苦労や挫折もしてきた上で、「もう自分にはこれしかない」と思える強さ。恐れや覚悟などいろんなものが入り混ざっていると思うんのですが、そこには本当に心を掴まれました。永遠の2番手のような持ち上げられ方をされ続け、本人もそれを自覚しながら自分と向き合い続けてきた。その精神性に惚れました。そしてそれを津田さんが演じることですさまじい説得力を帯びるんです。海棠みたいにかっこよく年をとりたいなと思いました。
——海棠を演じる津田健次郎さんがまた見事でしたね。津田さんと一緒に演じられていかがでしたか?
松坂:津田さんの生の声を収録現場で聞けたことは本当にうれしかったし、ものすごく勉強にもなりました。長台詞を話すシーンでも、聞かせるための強弱やトーンを自分の中で作り込んでいるのが伝わるんです。波やリズムを作っていく過程や、どこを強調すればよく聞こえるかということを見せて頂いたので、それはしっかり心に刻んでいきました。
狂気的だからこそ惹かれる
——「ひゃくえむ。」といえば名言の宝庫ですが、松坂さんがとりわけ印象に残っている台詞はありますか?
松坂:財津が小宮に言う「栄光を前に対価を差し出さなきゃならないとき、ちっぽけな細胞の寄せ集めの人生なんてくれてやれば良い」という台詞です。スプリンターならではの考えなのかなと思ったりもしたんのですが、そうではないですよね。自分が今本気で取り組んでいる目の前のことだったり、これから挑戦しようと思っていることも、「自分も全てをかけるためにやってきたよな」と鼓舞してくれるようなメッセージが込められているようで。やはり僕ら役者も現場に入る前に役作りや練習が何カ月間も必要だったり、たくさんのリハーサルやテストを重ねて本番に挑むわけですが、その結果として本番のたった数秒のときだけ本物になればいい。その瞬間のために長い期間を費やしたりするので、大袈裟かもしれないですが「その一瞬の輝きのために人生なんてくれてやれ」という覚悟や気概が籠った台詞には胸を打たれます。
——トガシたちの「走ること」は、松坂さんにとって「演じること」であると。
松坂:僕は仕事柄そういうふうに感じました。100m走のよーいドンからゴールまでの一瞬と、監督のスタートからカットまでの一瞬をリンクさせながら読んでいました。僕もそうだったので、陸上をやっていない方にもきっと好きになってもらえるんじゃないかなと。
——本作で人々が「100m走」に向ける情熱はある種の呪いでもありますよね。身体を壊しても走りたいなんて冷静に考えると間違いなく愚行ですが、その感情は理解できるし彼らの姿を見ていると応援せざるを得なくなる。そういった危うさを伴う情熱についてどのように感じられましたか?
松坂:自分のリミッターを外してでもそこに懸けようという思いはある意味で狂気的ですよね。でもそういう夢を追うことはきれい事じゃ済まないんだぞいうことを教えてくれるのも「ひゃくえむ。」の面白さだと思います。キラキラした舞台にきれいな努力やちょっとした挫折で辿り着いて、それが夢だなんて描き方はこの作品ではまるでしていなくて。どこまでも泥臭く、一生をかけても掴めるかどうか分からない栄光を追いかける。その危うい狂気に惚れ込んだ人間たちが本作には集まっているんじゃないかなという気がします。
——狂気的な情熱という意味では、7年以上の年月をかけて自主制作アニメ「音楽」を製作した岩井澤健治監督にも通じる部分がありますね。
松坂:確かに監督に狂気じみた部分を感じることはあったかもしれません(笑)。特に“生感”へのこだわりですね。それを大事にしてディレクションしてくれたからこそ、生々しいお芝居が生まれたんじゃないかなと思います。
——最後に「声の仕事」の面白さについて教えてもらえますか?
松坂:声の仕事は、既に完成された世界に自分が入っていく感覚があるんです。既に水が張られた大きなプールの中に、自分がジャンプして飛び込んで、自分がどれだけそこに溶け込めるかの勝負と言いますか。生身のお芝居は台本という土台がある上で、僕らが演じることでキャラクターが生まれて、それを撮影して編集していくことで映画にしていくわけです。一方こういうアニメーションの場合は、アフレコするときにはありがたいことに既にある程度映像が出来上がっている状態でお芝居をやらせて頂く。そういう出来上がっているものの中に飛び込んでいく面白さは声の仕事ならではだと思います。
PHOTOS:TAKAHIRO OTSUJI
STYLING:TESTURO NAGASE
HAIR & MAKEUP:EITO FURUKUBO(otie)
劇場長編アニメーション「ひゃくえむ。」
◾️劇場長編アニメーション「ひゃくえむ。」
9月19日全国公開
出演:松坂桃李 染谷将太
笠間淳 高橋李依 田中有紀
種﨑敦美 悠木 碧
内田雄馬 内山昂輝 津田健次郎
原作:魚豊「ひゃくえむ。」(講談社「マガジンポケット」所載)
監督:岩井澤健治
脚本:むとうやすゆき
キャラクターデザイン・総作画監督:小嶋慶祐
音楽:堤博明
主題歌:Official 髭男dism 「らしさ」(IRORI Records / PONY CANYON)
アニメーション制作:ロックンロール・マウンテン
製作:「ひゃくえむ。」製作委員会(ポニーキャニオン/TBS テレビ/アスミック・エース/GKIDSGKIDS)
配給:ポニーキャニオン/アスミック・エース
https://hyakuemu-anime.com/









