ファッション

【先輩の履歴書、見せてください】Vol.2 森永邦彦「アンリアレイジ」デザイナー

トレンドを語るにあたり、近年欠かせないのは“Z世代”の存在感。若者たちは何に関心を持ち、悩み、そして何を着ているのか――。「WWDJAPAN」は、若者とファッション業界をつなぐプラットフォームになるべく、その“リアル”をお届けする。

本企画では学生が悩む“キャリア”にフォーカス。毎回ゲストとして招いたファッション&ビューティ業界の先輩方には事前に履歴書を記入してもらい、学生たちがインタビュアーとしてゲストに質問する“囲み取材”を実施。Vol.2の今回は、森永邦彦アンリアレイジ代表取締役社長兼「アンリアレイジ(ANREALAGE)」デザイナーが登壇した。

PROFILE: 森永邦彦(もりなが・くにひこ)/「アンリアレイジ」デザイナー

森永邦彦(もりなが・くにひこ)/「アンリアレイジ」デザイナー
PROFILE: 1980年東京都国立市生まれ。早稲田大学社会科学部在学中にバンタンデザイン研究所で服作りを始め、2003年に「アンリアレイジ」を設立。ブランド名の由来は、「A REAL(日常)」「UN REAL(非日常)」「AGE(時代)」。「神は細部に宿る」という信念のもと、色鮮やかなパッチワークや人間の身体にとらわれない独創的なフォームに加え、テクノロジーや新技術を積極的にデザインに取り入れている

代ゼミの講師をきっかけに
デザイナーに興味を持った学生時代

学生:森永さんがファッションの道に進もうと強く思ったきっかけが知りたいです

森永邦彦「アンリアレイジ」デザイナー(以下、森永):元々、何かを表現する、何かを伝えるということはとても苦手でした。今日みたいな場で話すことも苦手で、なるべく目立たないように過ごしていた学生時代。ピアノやバスケ、少林寺拳法など、習い事やサークル活動をしていました。でも、どの分野に行っても必ずそこには競争があって、なかなかその中で自分を出せずにいたんです。やがて国立高校という私服の学校に進学し、毎日自分が着る物を選ばなければいけないという生活に。自然と周囲の人の服装も気になるようになりました。

1996、7年ごろの当時は、今の「アンダーカバー(UNDERCOVER)」を取り扱うノーウェア(NOWHERE)というセレクトショップが原宿にあったりして、ストリートファッションの熱量が高かったころ。「あの街に行くと色々なものがある」ーーそんな楽しみがある時代の中で、ファッションの波に飲まれるように、それまで興味がなかった服に関心を持ち始め、今の僕からは想像できないような変わった服装をしていました。バスケをするときもスカーフを巻いたりして、学校でも「変な服装のヤツ」みたいな目で見られていたと思います。

大学受験の勉強をする年になり、代々木ゼミナールに通い始めました。将来やりたいことはなかったけど、父親が公務員だったこともあり、自分も「公務員になるのもいいな」なんて思って、塾では「早稲田・慶應」のコースに。そこで西谷昇二という英語の先生に出会いました。西谷先生はいつもすごく派手な服を着ていて、授業の間に10分くらい「レッドツェッペリン(Led Zeppelin)って知ってる?」とか、「『アニエス・べー(AGNES B.)』っていうフランスのブランドが〜」とか、毎回僕たちが知らないカルチャーのことを教えてくれる時間がありました。今みたいにSNSやインターネットで情報を得られず、トレンドや面白い情報は雑誌でしか手に入らなかった当時。その先生の授業を聞きたい生徒が全国にいて、最前列に座るために始発で来る人もいるほどの人気ぶりでした。

その先生の授業名は“キャンディロック”と言うのですが、ある日「“キャンディロック”を受けていた学生が早稲田に行って、ファッションショーを行った。今日はその服を持ってきたんだ」と、先生が服を持ってきました。“About a girl”というタイトルのその服は、僕がそれまで思っていた服とは真逆の存在で、左右も全然違うし、素材使いも多種多様。「こんな服あるんだ」と思うようなインパクトがあるものでした。その服こそ、今の「ケイスケカンダ(KEISUKEKANDA)」のデザイナー、神田恵介さんが作ったもの。そして「これは、神田っていうデザイナーが好きな子に向けて作ったラブレターだ」って先生が言うんです。意味がわからない。「音楽や映画のように、神田の服にはいつもメッセージが込められている」「この服には、神田のその子への想いが詰まっているんだ」。そんな告白の仕方があるんだって、純粋だった僕にとってはとてつもない衝撃でした。そのときの僕にとって、服は純粋に“着る物”でしかなかったから、何かを伝えるツールになるなんて思ってもいなかったんです。

その日、先生の授業を受けていたのは400人くらい。僕は神田さんの話で感動したことを先生に伝えたくて、授業後に講師室に行ったんです。でも、普段だったら授業後の先生の周りは生徒で賑わっているのに、その日は誰もいなかった。僕以外の人には、その話が刺さらなかったんです。僕は「自分は面白いと思ったけど、みんなにとってはそうじゃなかったんだ」と、ちょっと不安になっていました。すると先生が「みんなが良いと思わなくても、森永に深く届いたのであれば、今日は本当に話した甲斐があった。自分が良いと思ったものを信じればいい」、と。今思えば、それが僕のファッションの原点。みんなとは違うこと、たとえその道を選ぶのが自分一人だったとしても、信じて突き進んだ結果、世界が輝き出すことがあるーー約400人の生徒のうち僕だけが「神田さんに会いたい」と言い、その次の週に代ゼミにきてくれたんです。

神田さんに会い「弟子になりたい」と伝えたら、「早稲田大学の社会科学部にいる」と言われました。そこから勉強を頑張り、無事合格。連絡先も知らなかったから、入学後は大学中を探し回って、やっと神田さんを見つけることができました。当時はまだ自分がデザイナーになりたいわけでもなくて、とにかく「この人について行きたい」という気持ち一心。ちなみに、神田さんの会社の名前もキャンディロック。代ゼミの西谷先生の授業の名前に由来しているものなんです。

学生:自身のブランドを始めようと思ったのはどうしてですか?

森永:大学生の時、早稲田繊維研究会で服を作りながら、いろいろな専門学校に通いました。でもどの学校に行っても、教えてくれることはデザインの描き方や服の縫い方、型紙のひき方ーーブランドの作り方を教えてくれる授業は1つもありませんでした。「そもそも何のために服を作るんだろう」「ブランドはどうしたらブランドになるんだろう」と、ブランド作りについて興味が湧くようになりました。

就職せずに、大学卒業と同時に22歳からアンリアレイジを起業して、まず3年は苦しくても続けてみようと思っていました。 25歳のときに形になっていなかったら公務員の再就職試験を受けよう、と決めていましたが、その3年間で東コレでショーを行い、ニューヨークで賞をもらうができました。次は「10年間で世界に出られなかったら」と考え、パリに挑戦するようになったんです。

学生:学生の頃からビジネスを視野に入れて服作りをしていましたか?

森永:アルバイトをしないで生活するには、月に20万円くらいの服を売る必要がある。学生のときは、そのためにどうすべきかを考えていました。自分が作った服の価値を上げるためにどうすれば良いか考えた結果、わかりやすく時間をかけることにしました。時間をかけた服には、それに見合う対価を支払ってもらいやすい。最初に始めたのは、今日も着ているパッチワークの服。自分で値段を決められるということは、僕がファッション産業が好きな理由の1つでもあります。本や映画の価格はほぼ均一ですが、服は違う。数千円で買えるTシャツもある一方、数万円するようなラグジュアリーブランドのTシャツもあります。

「今だったら捕まっていたかも」
東京タワーで東コレデビュー

学生:2005年、東京タワー大展望台で東コレデビューを果たします。当時のことを詳しく聞きたいです

森永:25歳当時、東コレに参加しようと決めた僕は「大好きな東京タワーで神田さんとショーをやりたい」と思いました。そこで東京タワーに許可申請をしたのですが、「他のお客様がおりますので」と断られて。普通だったらそこで諦めるんですけど、当時は「絶対やる」という強い意志があり、ショーまでの2カ月間、仲間と一緒に東京タワーのチケットを少しずつ買い占めることに。ちょうどそのとき、テレビで「愛の告白をするために東京タワーによじ登った男がいる」と話題になっていたのを見て、さらに燃えたのを覚えています(笑)。

無事チケットを買い占め、インビテーションに東京タワーのチケットを入れてメディアの方を招待し、ショー当日は約700人が会場の大展望台に。ショーが始まる30分くらい前、会場に人が集まる中、どさくさに紛れてピアノを運び込んでいたところ、東京タワーのスタッフが異変に気付き、ショーの現場にいた僕は呼び出されることに。「期待が高まる中での初めてのショー、どうしても止めるわけにはいかない」。一緒にショーをしていた神田さんを展望台に残し、僕は入り口で警備員と東京タワーのスタッフの対応。ショーが行われている最中、ずっと謝っていました。大好きだった東京タワー、それ以来展望台には行けていません。あのときからちょうど20年経つので、そろそろ行きたいですね。

「服と声だけで盛り上げる」
ビヨンセのステージ衣装制作費話

学生:23年、25年には、ビヨンセ(Beyonce)さんのステージ衣装も手掛けましたが、普段のコレクションとステージ衣装の違いとは?

森永:コレクションは、自分たちのブランドをブランディングする場だと思っています。多くの人にしっかり僕たちの服を見てもらう場、ブランドのことを知ってもらう場です。一方で、衣装は着る人が決まっている。その人が価値を感じることが前提で、その人の世界観を補うことに重点を置いています。

学生:オファーが来たときのエピソードが聞きたいです

森永:23年にパリでファッションショーをやった後、インスタでオファーの連絡が届きました。「まあ、嘘でしょ」って思いながらやりとりをしていたんですが、オンラインミーティングを続けている中で“カーターさん”という人とのやりとりが増えていったんです。彼女のフルネームを知らなかった僕らはスタイリストさんだと思い込んでいたのですが、のちにそれがビヨンセさんご本人だと発覚して驚きました。

彼女のライブのため、僕らも1週間前に現地入りしました。作ったものを見せても「全然違う」と言われて、変更を繰り返す。現場には名だたるメゾンの衣裳部屋があって、どこのブランドもたくさんのスタッフが準備を進めている中、「アンリアレイジ」のチームは3人だけ。ライブぎりぎりまで衣装を作るのですが、本人が何を着るかはライブ当日になるまで分からないんです。全てのブランドを合わせて1000着くらいあって、リハーサルで着用しても毎日衣装が変わる。僕らの衣装は特殊な装置が必要なため使用されることは前提でしたが、それでも何が起きるか分からない。そんな緊張感のある現場でした。

ツアーを一緒に回る中で僕も彼女のライブを見たんですが、やはり彼女のライブ演出はすごい。パフォーマンスの中心にあるのは歌ですが、想像以上の演出が常に繰り広げられる。そんなステージ上で、僕らは1着の衣装で戦わなければならなかった。服とビヨンセさんの声だけで会場を盛り上げるのが僕たちの課題でした。それぐらいのことをやらないと、彼女に選んでもらった意味がなかったんです。

デザイナーを目指す学生へアドバイス

学生:どんなクリエイターに将来性を感じますか?

森永:個人的なもので完結するのではなく、社会や外の世界との接点があることを感じながらものづくりをしていける人ではないでしょうか。僕の場合はデザインとビジネス両方を自分でやってきていて、その両方があるから持続的にやってこれたと思います。「クリエイションのことだけ考えたらもっとすごいことができるんじゃないか」と考える人も多いと思いますが、僕は「どのくらいの金額で自分たちの服に価値をつけなければならない」「いつまでにコレクションを発表しなければいけない」ーーそういった制限がある方が、自由なものが生まれるような気がしています。

学生:色々なデザイン、モノがあふれる時代に、新しいものを生み出すには何が必要だと思いますか?

森永:アウトプットしたものだけではなく、作る過程に注目してみること。何を使うか、誰と組むかーー作り出す前にある“過程”への視点をずらしてみる。僕は今日このあと、福祉とアートをビジネスで結びつけ、障がいのある方々へのイメージを変え、新たな文化をつくろうとしているヘラルボニーという岩手の会社に行きます。障がいを持った人が作るものは、僕が考えに考え抜いて作るものを凌駕したとてつもないパワーを持っています。僕が“彼らが見ている世界”を見ることはできないけれど、「彼らと対話をすることで何か違う視点を得られるんじゃないか」「自分の常識が当たり前ではないということに気づくのではないか」、と。知的障がいや視覚障がいを持った人と取り組みをする中で、自分の常識が当たり前ではないということを改めて感じます。

学生:“作りたいもの”と“売れるもの”のギャップが生まれたとき、どのように対応していますか?

森永:ブランドを始めた当時は、作ったものを全部売らないとビジネスが回らないという強迫観念があり、ギャップを埋められずにいました。価格帯で言えば、やはり手ごろなものを作った方が売れやすい。今の僕は、ファッションで人がやっていない新たなことに挑戦したいという気持ちが強いですが、そういうものは確実に売れませんし、そもそもそういった服が売れることも望んでいません。ビジネス的な部分とやりたいことのバランスをとりながら続けています。

学生:ブランドやビジネスを続けるためには、共感してくれる仲間が必要だと感じます。仲間づくりのために意識していることはありますか?

森永:遠くの人ではなく、身近な人に届く服を作るということ。アンリアレイジは、最初は1人で始めて、友だちを巻き込むような形で少しずつ大きくなってきた会社。だからまずは一番身近な人たちの心を動かすようなものを作らなければ、ブランドは成立していなかったのだと思います。今でも神田さんは、僕が作る服に対していろいろな意見をくれます。身近な人たちの目にどう映るかは、僕にとってとても大事なことです。

学生:「ショーは非効率で、展示会の方がコスパが良い」という声もあり、少し寂しい気持ちになります

森永:ファッションショーはものすごいお金がかかって、それに対して一体どれほどのリターンがあるのか、という世界。でも「アンリアレイジ」にとっては、「ショーをやっていなければ今このブランドはない」と言えるくらいショーが大切なんです。ショーにはたくさんの人を招待しますが、極論そのうちの1人の心が動いたとき、きっとそこに大きなチャンスがあるのだと思います。

10分間多くの人を拘束し、自分の好きな場所で、好きな音楽を使って、好きな服を見せられるーーここまで好きに表現できる世界はなかなかないんじゃないか、と思います。僕は広告的なショーにはあまり魅力を感じていなくて、ショーで自分たちの世界観が伝わっていった結果、「フェンディ(FENDI)」とのコラボレーションやビヨンセさんの衣装制作につながった。パリの公式スケジュールでショーをやるということには、そういった大きな可能性があります。

学生:最後に、ファッション業界を目指す学生にひと言、コメントをいただきたいです!

森永:続けることが一番難しいです。逆に言えば、続けていれば絶対何かになる。25年前に起きたことが、ことあるごとに時間をかけてやっと今、回収されているように感じます。ファッションは長距離の世界だと思っていて、「なかなか光が当たらないけど、いつかその時が来るんだ」と信じて進み続ける人のことは、きっとファッションの神様みたいな人が味方になってくれるのではないでしょうか。

【参加学生ファッションスナップ】

次回は、榎本紀子「ノリエノモト(NORI ENOMOTO)」デザイナー/パタンナーが登場。共立女子大学被服学科卒業後、文化服装学院服飾研究科へ進学し、その後レインボーシェイクへ入社。大学卒業から就職、そしてブランドを立ち上げ活躍するまでのストーリーをお聞きします。

▶︎参加希望学生はこちらからご応募をお願いします。

PHOTOS:NAOKI MURAMATSU

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