井野将之「ダブレット(DOUBLET)」デザイナーは、パリ・メンズ・ファッション・ウイークの公式スケジュールでは11回目となる2025-26年秋冬のショー開催を目前に、ある決意をもって臨んでいた。「パリメンズに毎シーズン参加する中で、“やらなければ”という使命感に駆られていた。しかし今回は、“やりたい”という挑戦の思いをチームのみんなに話して、最高だと思えるものを一丸となって作り上げた」。少し声を詰まらせながら、バックステージでそう説明した。振り返れば、18年に「LVMHヤング ファッション デザイナー プライズ(LVMH YOUNG FASHION DESIGNER PRIZE)」グランプリ受賞を機に、パリメンズ初参加を果たしたのが5年前の20年1月だった。企業からのバックアップを受けていないインディペンデントな中小ブランドにとって、パリでのショー開催は予算的にも大きなリスクとなる。その意義を改めて自問自答した結果、初心に返って“パリで三ツ星を獲る”と決意した。
“欠陥”に向けた優しい視点
新たな覚悟で迎えた25-26年秋冬コレクションでは、“悪役(Villan)”を主役に据える。ゲストの座席には、“Someone’s Heart(誰かの心)”と書かれた、握ったり、絞ったりしても元に戻る反発力が特徴の、ハート型のスクイーズと呼ばれるおもちゃが置かれていた。それは英雄も悪者も、誰もが共通して心を持っており、“誰かのハートをもみくちゃにしている”というメッセージだった。シアリングブルゾンの背面に入れた切り込みからは怪物の口が現れ、「不思議の国のアリス」に登場するいたずら好きなチェシャ猫、社会風刺的な路上アートを立体化させたニットウエア、M県S市から遠隔で飛び出してきたようなスーツ、ゴッサムシティーからパリに渡った新旧の道化王子、セーラー服の高い襟と誇張したスリーブは吸血鬼のようで、過剰なベルトで装飾したレザーのセットアップは“BAD”な雰囲気である。「自分が正しいと思って発言したことが、誰かを傷つけることがある。悪者とは何なのか、誰にとって悪なのか。そんなことを考えていた時に、工業的に“欠陥”とみなされる素材を有効利用する企業と出合った。悪者からヒントを得て生まれた繊維に着想して、“欠陥”を昇華させる方法を探究した」。
井野デザイナーのアイデアを後押しした企業は、今季コラボレーションを果たした岐阜大学発のベンチャー企業ファイバークレーズ(FiberCraze)だ。同社が開発した、化学薬品に頼らない独自の製法ナノ・クレージング技術を用いた生地は、“打舞列島(ダブレット)”刺しゅう入りのぶっこみ特攻服に採用している。この技術は、ひび割れの内部に目に見えない無数の孔(あな)を空け、防虫・抗菌・消臭などの成分を閉じ込めることで、繊維を再生させるだけでなく、新たな機能を付与させるというもの。高温での繊維処理や、コーティング加工とは異なる新技術により、洗濯を繰り返しても成分が持続するという。同社は試作品として、ヒノキの香り成分で消臭加工を施した靴下や、医薬品を染み込ませたマフラー、防虫効果を閉じ込めてマラリアから人を守る洋服などを開発してきた。「ダブレット」との協業で、初の製品化を果たすことになる。
ファイバークレーズ以外にも、「キッズ ラブ ゲイト(KIDS LOVE GAITE)」や「アシックス(ASICS)」とのコラボシューズなど、計14企業とコラボレーションを実施した。ワコールの新技術“メループ(Melooop)”との協業でロゴの入ったレジ袋や卵パックをモチーフにしたバッグや、エイベックスによる大麻布ブランド「マヨタエ(MAJOTAE)」との“ペインティング”ブルゾンなど、あらゆる企業との出合いにより「ダブレット」が見いだしたのは、不完全性の中にある美しさ。洋服は破れたり、ほつれたりする使い古したダメージ加工や、不ぞろいなステッチ、ランダムに入れた亀裂や痕跡で、本来は不整合であると認識されるディテールをデザインとして採用した。廃棄されるはずの古布をつなぎ合わせたパッチワークのレザージャケットに、デニムのジャケットとジーンズも古着を解体・再構築してもなお左右非対称で、新品の既製品のイメージとは異なり、“欠陥”とされてきたものを“個性”“魅力”として称えている。
仲間と築いたパリでの立ち位置
ちょうど5年前となるパリメンズ初参加時の井野デザイナーは、ファミレスを再現した会場で、割烹着にフライパンとお玉を両手に持つシェフの出で立ちだった。その後のシーズンでは、バランススクーターに乗って登場したり、"推ししか勝たん”と書かれた応援ウチワを持ったりと、一風変わった装いでランウエイを駆け抜けて行く姿が恒例となっている。今季は、“VILLAN”のフーディーとサングラスといういつもより自然体な“悪役”スタイルで登場した。「今シーズン一番の挑戦は、関わってくれる仲間を信じること。自分が正しいと思うことよりも、本当に一生懸命になって携わってくれる人たちの意見を信頼するべきこともある。正義を押し通そうとしていた頃の自分は、チームの中で“悪役”だったのかもしれない」。過去5年間に味わった悔しさ、仲間との別れ、新たな出会い、その全てを糧にしながら、手の込んだ演出とユーモア溢れるコレクションでゲストを楽しませ、癒す「ダブレット」は、平成最後の爆笑王として唯一無二の立ち位置をパリで確立している。おそらくそれは、“三ツ星”以上に価値ある成果だ。