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ドキュメント「上海封鎖解除」 2カ月ぶりに動き出した人・街・売り場

 中国・上海では2カ月にも及んだロックダウン(都市封鎖)が解除された。この間、外出を一切禁じられた現地の人々はどう暮らして、どう働いたのか。そして解除されて都市は元通り動きだしたのか。上海でVMD(ビジュアル・マーチャンダイジング)コンサルタントとして活動する内田文雄氏がリポートする。

長期化を予想 心の準備はできていた

 6月1日午前0時、上海の2カ月にわたるロックダウン(都市封鎖)がついに解除されました。60日間以上も隔離され、我慢に我慢を重ねた上海市民は、歓喜と興奮に包まれました。

 当初は4月1日から4日間だけの封鎖ということで始まりました。詳細は4月15日に私が書いたリポートをご覧いただければお分かりになるかと思います。実は封鎖隔離が始まった当初から「封鎖は2カ月くらい掛かるな…」と私なりの勝手な予想をしていました。

 私の予想の根拠は大きく4つありました。

 1つは、まず隔離が始まってからも毎日2.5万人以上の陽性者が出ていて、4月末段階でも1万人を超えていて一向に収まる気配がなかった。

 2つめは、中国の長期休暇5月初めのGW(労働節)頃に、仮に解除しても再び爆発的に感染が広がる恐れがある。

 3つめは、中国の6月は各種学校の卒業、入試が行われる需要な時期であり、その時期までには是が非でも封鎖を解除すると予想できた。

 4つめは、何といってもメンツの観点です。2020年の武漢のロックダウンは70日で解除されました。これを上回る封鎖を上海市政府はしない。

 以上の予想から長期戦を見据え、自分自身なりのゴール(6月初め頃)を決めていたので、ある意味では予想よりも早く解除されたらラッキーくらいに思っていました。しかし、多くの市民は「いつ解除されるのか」だけを考えていたので、私とは気持ちの持ち方が違っていたと思います。

「他の区ではこんなに牛肉が配給されたのに」

 ゼロコロナを目指していた上海市政府ですが、感染が止まらないことから、日が経つにつれて荒手な手段を実行してきました。日本でも報道されているのでご存知かと思いますが、陽性患者が出た小区(町内自治会)の住民全員を強制的に別の都市のホテルに移動させたり、小区の建物を金網柵で囲って人の出入りができなくしたり。住民からすると不条理で非人道的な扱いを受け、精神的に相当キツイ思いを強いられました。

 このようなニュースがSNS投稿を通じて市民全体に広がり、当然ながらうちのマンション内のグルチャ(グループチャット)にも転送され、私自身も全く落ち着かない時間を過ごしました。

 隔離が1週間、2週間と過ぎていくうちに、住民の言動、行動、思考の変化も見えてきました。

 当初は何と言っても「食料品、水の確保」です。市内全域が封鎖されているので、店も物流も全てが止まっており、自ら物を購入することができないなか、政府からの物資配給は不定期ですが1週間から10日間に1度はありました。野菜を中心に肉、麺類など、この物資内容は各区域で異なっていました。「他の区ではこんな牛肉が配給されたのに、なぜわが区はないんだ!」とか、「わが区の配給頻度が少なすぎる!」といった言葉が飛び交いました。

 3週目に入ってからは、団体購買(マンション単位で野菜、果物、肉、調味料、生活用品などを購入)が充実してきて、パン、牛乳、果物なども3日から5日も待てば何とか手に入るようになりました。ただ、どれも数量限定で早い者勝ち。常にスマホで団体購買のグルチャ情報を見ていないと買えないという有り様です。

 笑い話ですが、サラリーマンは「リモート会議よりもグルチャに集中して、食料品確保」という状態が続いていたのもこの頃です。

 4週目になると、嗜好品(ワイン、ビール、ケーキ、ピザ、コーヒー)などが、団体購買できるようになり気持ち的に若干余裕が出てきました。2日に1度実施されるPCR検査のときにだけ、部屋から外に出ることができるのですが、その際に日頃話もしたことがない住民たちとコミュニケーショを取り、情報交換をしていました。

 2カ月目、5月に入ると、さらに充実した生活が送れるようになりました。団体購買ではなく、知り合いを通じて日本食材の卸会社を紹介してもらい、日本食材の確保が可能になりました。もちろん生鮮食料品はまだ困難な時期で、冷凍の塩サバ、塩鮭、醤油、マヨネーズなどの調味料などが手に入り、これまでやってこなかった自炊にチャレンジし、さまざまな料理にチャレンジしました。今回のロックダウンがなかったら絶対にやらなかったであろう料理を経験できたことは、この2カ月間最大の成果でした(笑)

 この時に感じたのは「日本人は、やはり日本食だ」と言うこと。1カ月間は何とか物資(基本的に中国人が食する食材、調味料ばかり)を利用していましたが、実はこの時点で食に関して私は限界でした。

待ちに待った外出機会に沸くマンション住民

 5月中旬になると、ようやくマンション敷地内に時間限定で出ることができ、ウォーキングをしたり太陽を浴びたりすることが日課になりました。この頃からはマンション内の有志が住民の髪をカットしたり、敷地内で音楽会が開かれたり、さらに精神的に少し安らぐ環境になってきました。

 市内のいくつかの区では防範区域に指定され、自由に敷地外に出ることができるようになったのもこの頃です。しかし、わがマンションは防範区域でありながら一向に敷地外に出られないため、しびれを切らした有志たちが居委会(日本でいう町内自治会)と交渉しました。その結果、計2回の外出(近くのスーパーで1時間だけ買い物をすることが条件)を勝ち取り、住民が湧きに沸いたことを覚えています。居委会側は自分たちの判断で住民の外出を許してしまうと、自分たちの責任になるので、外出許可を引き延ばしていたということだと思います。

 私もこのタイミングで50日ぶりに敷地外(外)に出て、上海の街が封鎖されている状態を初めて目の当たりにしました。

 賑やかに人とクルマが往来する見慣れた光景が全くない。「これが本当に私が大好きな上海なのか」と目を疑うほどでした。SNS投稿で無人の上海の街の状況を見てはいましたが、現実を知った瞬間でした。

 この頃から一部の地下鉄、バスが動き出していて、少しずつ封鎖解除の気配がしていました。

解除へのカウントダウン始まる

 同時に上海市政府は、立て続けにさまざまな政策を打ち出し始めました。

 5月17日には、同日から6月中下旬にかけて、3段階に分けて段階的にロックダウンを解除していく方針を検証すると発表。その中の第3段階がまさに6月1日に封鎖を解除する予定だということも含まれていました。

 要は6月中旬から下旬にかけて「感染拡大のリバウンドを厳格に防ぎ、リスクを制御する前提で、全面的に常態化管理を実施、市全体の正常な生産、生活秩序を回復する」という政策になっていました。

 感染者が減っていくなか、解除に向けた具体策が次々に出されました。5月23日に上海市商務委員会は、市内の商業施設、百貨店、専門店の営業を6月1日から、また5月29日に上海市政府は各企業の運営再開も、同じく6月1日から全面的に認める(封鎖解除)。この知らせを聞いた住民が小躍りしたことは言うまでもありません。待ちに待ったロックダウン解除日がようやく明言されたのです。

 5月29日に上海委員会常務委員会は、「上海市加快経済回復と行動促進法案」なるものを発表しました。これは主に中小企業を支援するための50の政策となっています。

 ロックダウンの影響を直接的に受けた企業への経済的な支援、運営開始の支援、外資企業や輸出入事業の支援と消費・投資の促進、保障の拡大の4分野から構成されます。具体的には国有のビルに入居する小企業の家賃を6カ月分免除。また飲食業、旅行業、物流業などには、社員1人当たり600元を保障し、3カ月以上失業している人や、2022年度の高校卒業生を採用すると、1人当たり2000元の補償を提供する。また映画や演劇、書店にも補助や融資を行うというものでした。

隔離生活でも仕事は止めない

 私の本職はVMDのコンサルタントです。家に閉じこもり外に出ることができない封鎖隔離生活を、2カ月過ごしたわけですが、資料作成している以外にクライアントとのやり取りは全てリモート会議でした。

 私の計3社のクライアントの本部は、それぞれ上海、北京、アモイにあります。北京、アモイのクライアントは通常業務ができ特に問題がありませんでした。しかし、この2社それぞれが上海で展開するリアル店舗が全面封鎖になったために、何もアクションが出来ない状態だったのです。

 アパレルショップの店長などは隔離された自宅から本部と連携を取り、新商品などをSNSで発信し続けていました。この施策もそもそも顧客が上海在住で隔離中のため、服を購入する気にもならず、かつ物流も止まっていて、正直功を奏していません。封鎖が解除されたあかつきに来店してもらうため、必死に発信し続けているさまは涙ぐましいものがありました。

 上海が本部のクライアントはもっと大変です。全社員が例外なく隔離されていたわけですが、5月初旬に22年冬物の展示会を開催予定でした。もちろん上海で開催できるわけがなく、450kmほど離れた温州に開催場所を移しました。同社は創業地が温州だったため、緊急措置を取った格好です。

 ここで問題になるのは、展示会に参加すべきデザイナー、MD、生産、マーケター、VMD、営業など多くの本部従業員です。彼ら彼女らは上海から動けません。ですが、同社は上海市政府、温州市政府に働きかけ、特別措置として人数を絞って、温州のホテルで2週間の隔離をするという条件で、上海から移動し、隔離を終えて結果的に問題なく開催することができました。

 この話はまだ続きがあります。本部従業員は5月中旬に温州での展示会が終わっても、まだ封鎖中の上海には戻ってこれず、今もなお温州に残り仕事をし続けています。今回のロックダウンは、私の身近なところでもこのようなことが起こっているわけで、社会全体で考えるとどれだけの影響と損失を与えているか見当がつきません。

 VMDの専門家である私のリモート会議の中身は、クライアントの商品会議に毎週のように参加して提言をしたり、インテリア空間標準設定会議では店舗図面をもとにアドバイスをしたりすることです。封鎖前は直接顔と顔を合わせ、図やイラストを描きながら説明すれば簡単な内容も、リモートゆえなかなか伝わらない状況がありました。

 そして何といってもこの2カ月間もの長い期間、上海のみならず他の地域も含めて、実際に実店舗を見ることができず、現場を生で感じることができなかったことが自分の中では一番辛かったことですね。

 クライアントを指導する上で、理論やロジック、数値化、標準化という思考方法を伝えることは、非常に重要です。でも私はこれらの考え方はあくまでも仮説に過ぎず、実際の消費者状況、マーケット状況、気候などに合わせて、常に変化させるべきだと思っています。

 20年春から始まったコロナは、実は上海は感染者も少なかったのです。封鎖などもなく、上海は優等生的立場でした。私は中国国内出張が多いのですが、上海以外の他の地域の感染者が増加し、その地域へ出張に行けない状況下でも、上海にある実店舗は見ることができ、お客さまの反応などを肌で感じ、クライアントに対して的確な指摘、アドバイスができていました。

 しかし、今回ばかりは勝手が違っていました。何せ2カ月も街が完全封鎖されていて、私自身隔離で家を一歩も出ることができなかったわけですから。

解放を待ちわびた市民は公園や街へ繰り出す

 6月1日になっても上海の一部地域は依然として封鎖が続いている状態です。地下鉄やバスなどの公共の交通機関を利用する際、商業施設やスーパーなどに入る際には、72時間以内のPCR検査の陰性証明(健康コードが緑色)が必須となっています。

 封鎖中のPCR検査は、小区単位、またはマンション単位で、臨時検査場にて2日に1度の頻度で実施されていて、長い時間並ぶ必要もなく、検査もかなりスムーズでした。

 ところが、マンション内の臨時検査場が撤去され、小区近くにあるいくつかの臨時検査場で受けるしか術がなくなりました。

 6月1日から各企業も営業再開しました。私が住む地域はオフィス街でもあるため、平日に検査を受ける人達で長い行列ができ、30分から1時間待ちはざらです。住民の今の悩みは、いかに人が並んでいない、早く検査ができる検査場を探すか。その検査場の場所、並んでいる人数、時間帯、などの情報をマンションのグルチャで発信共有することが日課になっています。

 抑圧された2カ月を耐え抜き、解除、解放を待ちわびた市民は、思い思いに街をそぞろ歩き、公園は家族や友人とピクニックをする人たちであふれ、久々の再会に抱擁する光景をたくさん見ました。そんな風景を切り取った写真がSNS上にどんどん投稿されています。

上海のユニクロの店舗はどうなっているか

 解除され始めての日曜日の5日(6月3日から5日までは端午節の3連休)に、近くの商業施設を見てきました。

 買い物を待ちわびたお客さんで賑わっていましたが、物販、飲食含めて全体の8割くらいの店舗しか再開していません。

 またスーパーマーケットに入れる客は上限の75%、飲食店内での食事は禁止で未だにデリバリーのみとなっています。このように制限が完全に解消されたわけではありません。物販はスタッフがまだ隔離中なのか、出勤体制が整っていない店はまだクローズ状態です。

 アパレルを見ると、「無印良品(MUJI)」「ザラ(ZARA)」や中国ドメスティックブランドはすでに再開していて、夏物新商品6,8折(32% OFF)など「上海解除記念特価」を打ち出す店もある一方で、「ユニクロ(UNIQLO)」は私がその日に2店舗を見た限り、週末にも関わらず商品入れ替え中でクローズ、再開は翌日以降になるようです。

 一般的なアパレルブランドは2カ月間、上海のオフライン売り上げがゼロになったわけですから、6月1日に解除したらすぐにでも再開し、少しでも売り上げを作りたいというのが本音でしょう。「ユニクロ」は4〜5月に販売するべきだった商品と、6月以降販売の商品とを入れ替え、レイアウトとフェイシングの変更の作業をしていました。

 在庫コントロール計画、PDCAを重要視するブランドがゆえに、再度戦略を練り直すべく、このタイミングで時間を掛けて売り場を作っているのか。販促計画(ポスターやPOP設置を含む)も大きくずれたので修正する必要がある。上海と上海以外地域にある店舗と品ぞろえが違うことで、新たな問題が生まれるので見直しているのか。元ユニクロの私は色々考えを巡らせました(笑)。

 中国全土でオフラインとオンラインの品ぞろえ、価格を合わせている「ユニクロ」だからこそ、他地域と上海の売場を統一させる必要がある。目先の売り上げよりもその後の商品販売計画仮説を愚直に実行し成果を上げる方が、優先順位が高いのだろう――という結論に至りました。

 ロックダウンが解除してまだ1週間も経っていない中、月曜日のきょう6日から本格的に仕事に向かう人が増え、地下鉄も街も以前の上海と同じように混雑しています。

 市政府はさまざまな政策を打つものの、わずか2カ月、されど2カ月で落ち込んだ上海と中国の経済をいかに具体的に回復させるのか。相当ハードルが高い課題が山積みですが、引き続きここに注目していきたいと思います。私の見立てでは封鎖前の上海の経済レベルに戻るには、早くても年内いっぱいは掛かると思います。

 中国経済だけでなく、サプライチェーン(供給網)を通じて日本経済、世界経済に大きな影響を与えてしまった今回のロックダウン。経済の打撃よりもゼロコロナ政策徹底を優先させた、この代償は非常に大きいと思います。


内田文雄(うちだ・ふみお):福岡県福岡市生まれ。ワールドで22年間のVMD経験、1993年に上海交通大学留学、上海駐在を経て、その後はアジア事業で海外を飛び回る。2005年ユニクロへ転じ、海外の大型店などのVMDを手がける。2011年、独立して上海に拠点を移す。中国のアパレル、小売企業に対しての実務指導、セミナー講演を行う


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