
先日、引っ越しの際に大切にしていたコーヒーカップが欠けてしまいました。量産品であれば「仕方ない」と割り切れたと思うのですが、とても気に入っている作家さんの作品だったので、しばらく引きずってしまいました。
僕は20点ほどコーヒーカップを所有していて、価格帯はだいたい5000〜1万円ほど。「すぐ割ってしまうんだから、そんなにお金をかけるな」と言われそうですが、自分でも買うたびに少し考えます。そんなときは、「戦国時代には城の価値を超える茶器もあったわけだし、それよりは全然安い」と、やや強引な言い訳をして納得しています(笑)。
では、なぜ昔の茶器にはそれほどの価値がついたのでしょうか。もちろん、茶の湯文化が豊臣秀吉のような天下人の権威と結びついていたこともありますが、名物茶器が“一点物”であり、再生産がきかないという点も大きな要因でした。特に、中国・南宋から明代初期にかけての名品はすでに入手不能であり、限られた数しか存在しなかったため、資産価値が高騰していったのです。
さらに名器には、歴代どの大名や茶人の手に渡ってきたかを墨書で記した「由緒」が桐箱に添えられ、これが茶器の価値と格を決定づけていました。新品のまっさらな美しさではなく、人の手を経て、使い継がれ、愛されてきた時間の痕跡そのものが、ものの価値を深めていく——。日本の茶の湯には、すでにそうした価値観が根付いていたのです。
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