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「先行研究はほとんどない」 世界的にも珍しい、“リュックの博士”は何を研究しているのか

PROFILE: 若生然太/エース エースラボ マネージャー兼博士

若生然太/エース エースラボ マネージャー兼博士
PROFILE: (わこう・ねんた)早稲田大学大学院 創造理工学研究科 経営システム工学専攻で修士課程を修了。2011年にエース入社。1年間百貨店営業を担当する。デザインセンターを経て、21年に早稲田大学大学院で博士(工学)の学位を取得。 現在はエースの研究開発部門である「エースラボ」でマネージャーとして研究開発に励む PHOTO:KAZUO YOSHIDA

「肩が痛くなる」「背負い心地が悪い」。リュックを背負った時に、そう感じたことはないだろうか。バッグメーカーのエースが実施した調査(2025年 CM総研ビジネスバッグ調査)によると、約4割のビジネスバッグの使用者が背負い心地に不満があると回答した。

こうした声に応えるべく、エースは9月2日に、ハーネスの取り付け位置と角度を21段階調整できる“アジャスタブルハーネス”を搭載したリュック“ガジェタブル DP3 AJ”を発売する。開発したのは、社内で“リュック博士”と呼ばれる若生然太氏だ。リュックという感覚に頼りがちな領域に、学術研究のエビデンスを持ち込んだ。

リュックの博士は、世界的にも珍しいという。なぜ若生博士はリュックの博士という道を歩むことになったのだろうか。“ガジェタブル DP3 AJ”も魅力と共に、若生博士の素顔に迫った。

特殊な研究対象だった
スーツケース

WWD:修士課程でもバッグにまつわる研究をしていたとか。

若生然太博士(以下、若生):修士課程では、人間工学を学んでいました。人間工学とは、経営工学に分類される学問で、噛み砕いて言えば「ヒトに合わせてモノを使いやすくする」ための研究をします。早稲田大学には「工場の製造ラインで作業する従業員がスムーズにモノを作るには」といった研究テーマの学生が多かったですね。そんな中、私はスーツケースのハンドルの長さと引きやすさの関係を研究していました。かなり特殊だったと思います。

元々、人が身に付けるものの快・不快に興味がありました。スーツケースのハンドルを伸ばすと持ち運びやすくなりますが、伸ばしすぎると人にぶつかったり、小回りが効かなくなったりする。どこまで長くしたら楽で、どこまで長くするとダメなのか。その境界線を調べたら面白いと思い、研究テーマにしました。

WWD:元々スーツケースに興味があったのでしょうか。

若生:靴と鞄の修理屋でアルバイトはしていましたね。修理していたのは、バッグが主でしたが。

ある日、“エース ジーンレーベル”のビシネスバッグを持っていた人がいました。あと、当時エースが日本の販売元だった「トゥミ(TUMI)」のバッグも。きっちりとしたモノ作りをしているメーカーだなという印象を抱きました。人間工学の視点でバッグと関わってきたから、どうせならモノ作りにこだわっているメーカーで力を発揮できたらと、漠然と思っていました。

WWD:それで、エースに応募したのでしょうか。

若生:いえ、ファーストコンタクトはカスタマーセンターへの問い合わせでした(笑)。研究を進めていく中で、一度スーツケースの会社に話を聞いてみたくなり。その後のやり取りで採用をしていることを知り、正式に応募しました。

WWD:研究テーマは入社してから生きましたか?

若生:私が修士課程にいるときは、2輪のスーツケースが主流でした。しかし、2011年に入社したときには、すでに4輪が普及していた。だから正直「私の研究はどう役立つのだろう」「この研究使えないのでは?」なんて考えていました。でも3年後には研究が生かされた商品が出てきます。それが縦引きも横引きも、斜め引きもできる“フリーウォーカー”シリーズでした。

スーツケースが段差にぶつかって、4輪だけど2輪のスーツケースの持ち方になってしまう瞬間ってありますよね。これに着想を得て、4輪として縦横自由に動けるし、2輪として斜めにしても持ち運べるように設計しました。小回りが効くから、どんな環境でもコンパクトに持ち運べます。

修士号はスーツケース
博士号はリュック

WWD:博士号を取得したのは、入社後でした。学問の世界に戻ろうと思ったきっかけは?

若生:どこのバッグメーカーも商品の開発サイクルが速い。「春夏」「秋冬」に合わせて半年で新作を発表します。だから、新作と言っても既存品の改良がほとんど。ゼロから作れば、もっと良いものを作れるのに。そんな基礎研究をしたり、知見を積み上げたりするのが難しい環境で、バッグをもっと深く理解したいと思いました。

WWD:博士号は、リュックの研究で取得しました。スーツケースから研究対象を変えたワケは?

若生:リュックの市場は東日本大震災の後、急速に拡大しました。(防災意識が高まる中、)「災害時に便利」と気付いた人が多かったこととスマートフォンの普及が重なり、両手が空くリュックの需要が高まりました。そんな中、私もリュックに興味が出てきた。エースとしてもリュックの背負いやすさを追求する方針が出てきたため、会社から支援を受ける形で博士号の道を選びました。

WWD:リュックを新たな研究対象にして、感じたことはありますか?

若生:リュックには130年の歴史があります。工学視点の研究は40年ほど前に始まりました。しかし、全く進歩していないんです。負荷を軽減する構造や部品はほとんど変わっていない。論文を調べても、負荷の軽減に関するものは見当たらない。リュックの研究の多くは、軍用など重量物を長時間運ぶための研究や、歩行時のエネルギー利用などをテーマにしたものが多いんです。

WWD:なぜリュックの背負い心地に関する研究は少ないのでしょうか。

若生:これは私の考えですが、リュックは多少合わなくても背負うことはできてしまう。一方よく引き合いに出される靴の分野では、足型の計測やフィッティング、インソール、オーダーシューズまで、体系化が進んでいます。恐らく、履き心地が悪い靴は歩くこと自体が難しくなるため、早い段階から研究が必要だと認識されていたのでしょう。

WWD:研究の成果は?

若生:負荷が減ったと体感することは大切ですが、お客さまには「何%の負荷が減った」と定量で示すことを求められている。そしてその指標があれば、科学に基づき、リュックも進化していけるのではと考えました。そう思い作ったのが、このリュックを背負ったときの負荷を計測するセンサー。博士号の過程で製作した、世界に1つだけの計測器です。

このセンサーは、圧力だけでなく滑る力も測れます。どういうことかというと、リュックは垂直に力がかかっていることはほとんどなく、滑る力が大きい。リュックが肩で止まるのは摩擦によるものなので、摩擦力を調べると、滑りにくいリュックを開発できるんです。さらに、しっかりと背負えれば姿勢も良くなる。通常の圧力センサーでは、そんな滑る力は測れません。

WWD:リュックの負荷は何をしたら減るものなのでしょうか。

若生:そもそも、リュックは肩全体にかかる負荷を軽くするために、腰に分散させます。アウトドア用のリュックにはヒップベルトがありますが、これはまさに負荷を腰に分散させるためのパーツです。しかし、いくら腰に負荷を分散させたところで肩には残る。肩全体でも分散させる必要があります。

研究で分かったことは、痛みの感じ方は同じ肩でも部位によって違うこと。そして上背部(首の下から肩甲骨まわり、みぞおちの裏あたりまでの背中の上側)は最も痛みを感じにくいことが分かりました。その上背部に負荷がかかるように設計すれば良いのですが、上背部は形が“シビア”で、少しでも合わないとハーネスが浮いてしまう。「さまざまな人の肩の形状を調べないと、上背部にぴったりのショルダーハーネスの形はつかめない」。そう思い、研究を進めることにしました。

こうして2つ目の計測器を作りました。背中や肩、脇の長さと角度を計測します。さらに「厚み」と「長さ」の2つの軸でグラフ上に計測結果を残せるようにしました。「背中が長い人」「背中が短い人」「肩が厚い人」「肩が薄い人」をパッと見て分かるようにしたんです。そのリュックが合っているか否かは、「Pハーネス(パワータイプ、がっしりしていて肩周りに厚みがある)」「Sハーネス(スレンダータイプ、肩周りが細め、コンパクトな体型)」「Mハーネス(マックスタイプ、大柄で肩周りに厚みがある)」「Bハーネス(バランスタイプ、肩回り・身長とも程よく平均的)」それぞれの点からの距離で分かります。

これで測ってみると、もはや誰にもフィットしないようなリュックも出てきました。むしろそんなリュックがこれまでは一般的だったようです。

WWD:これをフィッティングで用いていると。

若生:これがあれば、誰もが高精度のフィッティングをできる。今はこの計測方法を熟知した“バックパックフィッター”と呼ばれる社内向け資格を、私含め46人持っています。9月2日に発売する“ガジェタブル DP3 AJ”の前モデルは、ポップアップのような形で各百貨店を巡りましたが、フィッティングした人の半数が購入してくれました。リュックは6万2700円とやや高単価でしたが、「日割りで考えたらこちらの方が安い」と言ってくれた。

WWD:リュックだけでなく、人体にも詳しくなりそうですね。

若生:医学をかじっているわけではありませんが、リュックに必要なところだけ詳しくなりますね(笑)。

1つのリュックで
21通りの背負い心地

WWD:前モデルとの違いは?

若生:前モデルは、4種類の作り込みでした。「1つのモデルで4種をカバーできないか」。そんな発想で、ハーネスを21段階調整できるリュックを作りました。今までは4種類しかなかったので、どうしてもざっくりとしていたのですが、より細かくセッティングできるようになった。(生産が大変なため、)工場からは、「なんてものを考えるんだ」と言われましたが(笑)。

ハーネスは、付属の六角レンチで、高さを7段階、角度を3段階調整します。前モデルは左右対称でしたが、このモデルであれば左右の違いも調整できます。このリュックを展示会で発表したとき、ある人は上背部の長さが左右で3センチ違っていました。ライフセーバーのような体に厚みがある人も、体形に合わせてハーネスを調整できます。冬場に厚めのコートを着るなど、購入後に調整する必要が出たときも、自分で変えられます。

WWD:今後のアップデートの方向は見えていますか?

若生:最終形はオーダーメイドで作ることだと思います。しかし、生産の問題もあるので、まずは量産できるものでスタートしたい。来年には、アウトドア用のリュックが出ます。エースとしても、ビジネスカテゴリー以外には広げていきたい考えです。

そのほか、通気性や冷感、触感など、フィッティングとは別の価値を設けたいです。また、部品があることで、スマートフォン1個分重くなっています。そこにも改良の余地がありますね。

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