PROFILE: 西川裕子/アーティスト

ニューヨークを拠点に活動するアーティスト、西川裕子(Yuko Nishikawa)によるインスタレーション「クロモノート(Chromonaut)」が渋谷のトランクホテル キャットストリート(TRUNK HOTEL CAT STREET)の1階で開催中だ。ラウンジに足を踏み入れると、天井からさまざまな色彩が降り注ぐようにカラフルなモビールがアートピースとして飾られている。来場者の動きやホテル内のわずかな気流に反応して揺れる作品群は、メインエントランスからラウンジ全体に広がっていて、鑑賞するというより身体で体験する環境として立ち上がっているようだ。
同作は、写真スタジオで廃棄される背景紙を再利用し、独自のパルプ素材の“クッキー“へと変換。色彩の粒子のような無数のパーツが空間に吊り下げられ、人の動きや気流に反応しながらゆっくりと揺れ動く。ホテルという日常と交差する場を舞台に、西川が目指すのは、人の存在によって初めて完成するインスタレーションだという。素材、空間、人の流れ——それぞれがどのように呼応しながら作品として立ち上がっていくのか。「クロモノート」に込めた思考と制作背景を西川のインタビューから探った。
偶然に出合う“旅”のような展示
――まず、「クロモノート」というタイトルはどこから生まれたんでしょうか?
西川裕子(以下、西川):「クロモノート」というタイトルには、会場に来た人が目的地へ向かうというより、旅の途中で偶然この空間に出くわすような体験になってほしい、という思いを込めています。何かを“鑑賞する“というより、自分自身が環境の一部になっていく感覚。探検や冒険に近いのかもしれません。
今回の作品は、ただオブジェが置かれているというよりも、人がその空間に入って、動いて、その存在によってまた展示そのものが変化していくようなものにしたかったんです。
――会場を歩いていると全体の世界観に入っていく感覚があって、とても身体的な鑑賞体験だったと思います。
西川:いつも、「見る」というより「体験する」ような作品を作りたいと思っています。近くで細部を鑑賞するのではなく、その場に身体を預けて空間を知る感覚を大切にしたい。
今回、中央のソファスペースに作品を密集させたのも、そこに引力のようなものを作りたかったからです。ホテルの外から入ってきた人が、自然に引き寄せられるように人の流れや空気の動きも含めて、空間そのものが呼吸するような環境を作りたいと思っていました。
――鑑賞者の動きや気流によって作品の見え方が変わる点も印象的でした。
西川:完成されたオブジェを提示したいわけではなく、その場、その瞬間にしか成立しない環境を作りたいんです。人がそこにいて初めて作品が立ち上がるというか、作品そのものだけでは成立しない。しかも、それはコントロールされたものではなく、偶然性やアクシデントも含めて、その時にだけ生まれるもの。展示空間の中で誰かが何かを感じてくれたら、それで十分です。時間が過ぎれば忘れられてしまっても構わないくらい、その瞬間だけの体験として存在できればいいなと。
――今回はホテルという空間で展示することのどこに興味を感じましたか。
西川:まず、人が実際に使っている場所だということ。ギャラリーに来る人の多くは「作品を見る」という目的を持っていますよね。でも、ホテルはコーヒーを飲みに来る人もいれば、仕事をしている人もいるし、待ち合わせをしている人もいて、生活の動きがある場所です。その生活の中に作品が入り込むことに興味がありました。
ホワイトキューブはどうしても作品と鑑賞者の間に距離ができる気がするんです。もっと近い距離感がいい。アートって、本来もっと身近で生活の延長線上にあるものなので、身体と切り離されないようにと思っています。
――ホテルならではの設計もあったのでしょうか?
西川:ホテルは常に営業しているので、短時間で設営できることが前提になりますし、人の導線にも配慮しなければいけない。例えば、低い位置に作品があると、人が歩く時に引っかかってしまうし。そういうことはかなり考えました。
それから、結婚式も多いですから、2人が歩く導線にはどんな視線が生まれるのか、どこから作品が見えるのか。空間を実際に歩きながら、「どう入ってきて、どう滞在して、どこへ抜けていくのか」をかなり具体的に考えました。インスタレーションって “人の動きを設計する“ことでもあると思うんです。
ホテルの空間と素材によって生まれる作品
――モビールの作品は、写真家が背景紙として使ったペーパーを再利用しているそうですが、制作工程についても教えてください。
西川:まず、写真スタジオで使われて捨てられるバックグラウンドペーパーを集めるところから始まります。その紙を水に戻してパルプ状にして、粘土のような状態にするんです。その時に外部から絵の具で色を加えることは一切しません。元の紙の色だけで構成しています。
だから最初に、「どの色の紙を使うか」がすごく重要なんです。黄色と青を混ぜて緑を作るんですけど、そのままだと強すぎるから少し赤みを足して落ち着かせる、とか。絵の具を混ぜる感覚に近いですね。ただ、使っているのは紙の繊維なんです。
さらに、パルプの粒の大きさも変えます。細かい繊維だけにすると滑らかな色面になるし、大きな繊維を残すと、表面に粒感やムラが出てくる。そうやって色や質感に表情を作っていきます。成形は完全に手作業で、手びねりみたいに形を作って、数日かけて乾燥させる。
乾くと、紙なのに軽くて硬い物体になるんです。それにニードルで穴を開けて、針金で縫うように接続していく。全部、下から積み上げながら作っていくので、制作中にどんどん大きくなっていきます。
――“クッキー“と呼ばれる素材へのこだわりについて教えてください。
西川:触りたいとか、何なら口に入れてもっと知りたいと思えるくらいがいいんです。テクスチャーもオートミールクッキーとかマカロンみたいですから(笑)。素材が何だったかという記憶が残っていることにも興味があります。例えば、眼鏡の部品だったら、誰かが設計して、曲げて、穴を開けて作ったものですよね。つまり、その時点ですでに意図や機能が存在している。その素材に対して、私はどう反応するんだろうという感覚で向き合っています。
制作中は、素材と会話しているような気持ちに近いですね。紙の色をそのまま使っているのも同じ理由です。素材が持っている声を消したくないですので、別の形に変えながら、次へつないでいくような感覚があります。何百もの素材が必要な時も「パーツを200個作る」と思うより、「200枚クッキーを作ろう」って思ったほうが、仕事のノリが上がるんですよ(笑)。粘土の量も計量スプーンで測って形を作っていますし。
――それぞれが生物のようにも感じられます。
西川:作品に生命感があるといいです。まだ何も言ってこない状態のものに対して、「どうやったら表情が出るかな」と考える。例えば、作品はどうしたら笑うかな、しゃべり出すかな、と表情を考えながら作っています。だから、完成した瞬間に終わるという感覚ではなくて、そこからまた別の人生を生き始めるというか。
見る人によって全然違う印象になるのも面白いですよね。私が“笑っている“と思っていた作品を、別の人は“怒っているみたい“ということもある。でも、それでいいと思っていますし、何かを感じてもらえれば十分です。
――時間によって見え方が変わるようにも感じました。
西川:自分自身、同じ場所に何度も行くと、最初に見た時より小さく感じることがよくあるんです。初めて訪れたときには大きく感じた空間が、2回目には少し縮んで見える。人間の感覚って、その時の状況や時間によって全然違うんですよね。
今回の展示も、4月のオープニングに見た時と、5月、夏に見る時ではそれぞれ違って見えると思います。作品そのものが変化するわけではないけど、空間の光や人の流れ、自分自身の状態が変わることで、コンポジションが違って感じられる、そういう“変化する見え方“に興味があります。
――入口付近のグリーンの作品群から奥に進むにつれて柔らかい色が広がっていくように、色彩の印象も特徴的です。
西川:4月から始まる展示だったので、少し春の気配を意識しました。今まで眠っていたものが起きてくる、芽吹きのような感じですね。花が咲いたり、お祝いみたいな空気感を出したかったので、ピンクや柔らかい色を入れました。
日本に以前展示していた作品もあったので、それらとの組み合わせを見ながら構成していきました。ニューヨークから送るという制約の中で、どうやったら空間全体が軽やかで華やかに見えるかを考えながら色を組み合わせました。
――季節によって、作品のイメージも変わっていきそうですね。
西川:確かに変わると思います。以前、冬の富士山の近くでレジデンスをしたことがあって、朝起きると霧で真っ白で、湖もぼんやりしか見えないような環境でした。その時に作った作品は、全部黒い針金を積み重ねたようなものだったんです。周りの人にも「どうしたんですか?」って言われました(笑)。
やっぱり環境や気候ってすごく影響するんですよね。春だったら空中に花が咲くような作品になるし、冬だったらもっと静かで閉じたものになる。
コロナ禍から広がった身体性
――現在の作風に至ったきっかけを教えてください。
西川:2020年にニューヨークがロックダウンした時ですね。それまでは主に陶芸をしていたので、毎日セラミックスタジオに通っていたんですけど、行けなくなってしまった。家に閉じ込められて、「この時期だからこそできることは何だろう」と考えました。その時、100日間毎日絵を描くプロジェクトを始めたんです。春だったけど、世界中が不安に包まれていて、生きていることを喜ぶのが難しい時期だった。だから、「それでも美しいものはあるし、私たちはまだ生きている」という感覚を描こうとしていました。ピンクとか緑とか、芽吹きとか育っていくもの。小さな色の粒が集まって増殖していくような絵を描いていたんです。その時、「これを立体にしたらどうなるんだろう」と考え始めました。
同時期に、ダンサーとのグループ展の話があって、舞台上部から吊るす作品を求められていました。ダンサーの動きに反応するもの、空間の中で揺れるもの。そうしてモビール作品を作り始めたんです。最初は陶器で作っていたんですけど、重いし、壊れやすいので、もっと軽くて自由に動く素材を探していた時に、フランスのファッションブランドからウィンドーディスプレーの制作依頼を受けて、そこで紙を使うアイデアが生まれました。
――コロナ禍では何かに触れることへの恐怖もありました。
西川:ありましたね。人にも物にも触れられない時代だからこそ、画面越しでは分からないテクスチャーを持ったものを作りたかった。「これは何でできているんだろう」と、身体が反応してしまうもの。
当時は、何もかもが小さなスクリーンの中の平面になっていましたよね。だから私は、その平面では体験できないものを作りたかった。実際にその場へ行って、身体を動かして、見る位置によって変わって、自分の動きに反応して作品も揺れる。そういうフィジカルな体験を、もう一度取り戻したかったんです。
――作品を作る時は、アイデアから始まるんですか、それとも素材や空間から始まるんでしょうか?
西川:インスタレーションの場合は、まず空間から考えることが多いですね。ホテルなのか、本屋なのか、ライブスペースなのか。あるいは同じギャラリーでも、天井が高いのか、木の壁なのか、小さな部屋なのか。空間によって、作りたいものが全然変わるんです。その場所を歩きながら、「ここではどういう動きが生まれるんだろう」と考えるところから始まります。
一方で、素材への興味も強いです。素材の組み合わせや反応。針金でも紙でも眼鏡の部品でも、触っているうちに素材の性格みたいなものが見えてくる。そこから形が立ち上がってくる感覚があります。
――デジタル中心の現在において、フィジカルなインスタレーションはどんな意味を持つと思いますか。
西川:毎回、実際に作品を見た人からは「ステートメントでイメージしていたものと全然違う」と言われます。画面で見るのと、空間で体験するのはまったく別物だと思うんです。それは私の作品だけじゃなくて、絵画でも何でもそうですよね。
作品の鑑賞を目的に来なかった人にも、「あれ、なんだろう」と身体が反応する瞬間を作れたらいいですね。ホテルも偶然の出合いを生む場所でもありますから、作品を見ようと思って来ていない人が、ふと足を止めた時に「体験するって面白い」と感じてもらえたらうれしいです。
――最後に今後の展望について教えてください。
西川:もっとパブリックアートを手掛けたいですね。病院とか、図書館とか、空港とか、公園とか。公共空間に開かれた作品を作りたい。今はモビール作品が増えていますけど、また陶芸の作品に戻ろうかと考えています。それから、みんなで参加できるような作品も作ってみたい。例えば、全体のディレクションは私がするけれど、一部分は誰でも作れるようなインスタレーション。キルティング・ビーみたいに、みんなで少しずつ手を加えて完成していくものです。誰のサインもないようなアノニマスな作品とか、そういう人と人が有機的につながる環境を作りたいです。オブジェそのものより、人が出合うための場所に興味があります。
◾️Chromonaut
会期:9月8日まで
会場:トランク ラウンジ(トランクホテル キャットストリート 1階)
住所:東京都渋谷区神宮前5-31
時間:9:00~23:00
入場料:無料