
PROFILE: SAWA/モデル
「シャネル(CHANEL)」や「クリスチャン ディオール(CHRISTIAN DIOR)」「ジバンシィ(GIVENCHY)」など、90年代にトップメゾンのランウエイを席巻したモデルのSAWA。そんな一時代を築いた彼女が、25年ぶりにパリ・ファッション・ウィークの舞台へと舞い戻った。
52歳、いちモデルとして若手に混ざりキャスティングを回る日々。iPhoneの顔認証も拒否される(!)ほどのヘアメイクや人生初カラコンといった珍エピソードから、モデルとしての新たな覚悟までを聞いた。
25年ぶりのパリは「お母さんと同い年!」からのスタート
WWD:25年ぶりのパリ・ファッション・ウィークへの参加と聞きました。パリではどんな日々を送りましたか?
SAWA:いちモデルとして、キャスティングに回る日々でした。周りのモデルたちは10代、20代がほとんど。一緒にオーディションを受けていた子に「お母さんと同い年!」って言われましたよ。パリコレ期間中は、10〜15ブランドのキャスティングを回りました。
WWD:その中でも「リック・オウエンス(RICK OWENS)」が印象的だったとか。
SAWA:フィッティングの感想は、とにかく厚底ブーツが重い!体感で、1.5kgです(笑)。普通に歩こうとするとつんのめるので、膝を上げるようにして歩くのがコツ。コツをつかんでウォーキングする私を見て、キャスティングディレクターが「よく安定して歩けるね」と。「こっちは30年選手だぞ!」って、心の中で叫びました。
フィッティングに来ていないモデルがいて、「SAWAに2ルック歩いて欲しい」と言われつつ、本番を歩けるかはギリギリまで分からないので、期待はほどほどに。前日夜の22時半になって、出演が決まりました。
人生初のカラコンと顔認証拒否のヘアメイク
WWD:ショー当日はどんな感じでしたか?
SAWA:バックステージは、ネイル、メイク、ヘアとカテゴリーが分かれていて、私はまずヘアをやってもらいました。1時間半ぐらい、ずっとスプレーで髪の毛をガチガチに固められていましたね。
その間に、とてつもなく長いネイルを装着。終わったと思ったら、まさかのコンタクトレンズをいきなり入れられました。52歳、人生初のカラコンです(笑)。異物感で涙が止まらなくて、デザイナーのリックに「Are you ok?」と、心配してもらいました。彼は本当に優しいんです。
そのあとはメイク。下まつ毛にとてつもなく長いつけまつ毛をつけられました。せっかくだし、バックステージのムービーでも撮っておこうかと思ったら、一筋縄ではいかない。iPhoneの顔認証は反応しないし、長いつけ爪のせいでパスコードも打てなくて(笑)。
WWD:パンチの効いたルックでした。
SAWA:「グッチ(GUCCI)」2026-27年秋冬コレクションでケイト・モス(Kate Moss)が紐パンの官能的なルックで歩いたなら、私もやるしかない。そんな自負を持って臨みました。
その上、あのブーツかなり重いんです。リハはまるでウェイトトレーニング。若手のモデルたちはフィーバーしていましたけど、私は息が上がっちゃって……とにかく早く始まってほしかったです。
WWD:ランウエイを歩く時に意識したことは?
SAWA:「リック・オウエンス」の先シーズンのショーの動画を見て、イメージトレーニングをしました。でもSAWAは、SAWAだから。どんなスーパーモデルがいても、ランウエイにて立てば同じ土俵の上なんですよね。
言語の壁を気合いと根性で乗り切った90年代
WWD:そもそも、モデルとしてのキャリアの始まりは?
SAWA:20歳のときに関西から上京して、21歳でモデルを始めました。90年代はミラノやパリのコレクションが終わると、大きなメゾンは来日ショーを行っていたんです。ただし、キャスティングは現地のプレスが担当しているので、ショーに出るのは外国人モデルがほとんど。そんな中で、縁があって3つほどランウエイを歩くことができました。
WWD:いきなりチャンスを掴んだのですね。
SAWA:それで当時のマネージャーに、「パリに行った方がいい」と言われました。向こうで所属事務所が決まらなくても、「お買い物がてらひとまず行っておいで」と、ゆるく送り出されました。だから軽い気持ちで、同じぐらいのキャリアのモデルと2人で、パリのモデル事務所を訪問。海外で活躍する日本人モデルのイメージといえば、山口小夜子さんだったので、2人してキャットラインのメイクでキメて行きました。
ところが、ナチュラルな雰囲気が見たいからメイクをオフしてきてと言われ……。英語なんて全く分からなかったから、何を聞かれても「Yes!」って答えていました。「これは意思疎通ができないぞ」と察してもらい(笑)、日本のマネージャーと電話で話をつけてもらって。それから1カ月ほどパリで過ごしました。
WWD:初めてのパリで、ランウエイデビューを果たすことができた?
SAWA:「シャネル」を含め、6本ほどランウエイを歩きました。カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)に「You CHANEL OK!」と言われたのは、今でも忘れません。無知すぎて、本番になって初めて「あの人、『シャネル』のデザイナーだったんだ」と気づいたほど。初めてのパリ滞在は、毎朝5時半に事務所に行って、キャスティングシートを受け取り、紙の地図を片手にオーディションを回る毎日でした。今みたいにネットもスマホもないし、英語も喋れないから、とにかく必死でした。
WWD:以来、日本ではなく海外で仕事を?
SAWA:初めてパリに行ってから数年は、パリ、ニューヨーク、ロンドン、ミラノ、東京を行き来する日々でした。ブッキングされたら、飛行機に乗るような感じ。「ケンゾー(KENZO)」や「ジバンシィ(GIVENCHY)」は来日ショーをきっかけに、海外でのショーにも呼んでもらえるようになりました。ネクストマネージメントの3人のマネージャーが私のことを気に入ってくれて、よく面倒を見てくれたんです。
WWD:すさまじい毎日ですね。
SAWA:お正月を実家で過ごしていたら、「SAWAサン、アシタパリクル!」って現地のマネージャーからカタコトで国際電話が入るんですよ。英語も話せないのに、いつ、どこに呼ばれるか分からない状況を気合と根性で乗り越えていたけれど、疲れちゃって。自分が思っているよりも、心と体が疲れていることに気がついて、休業することにしました。
WWD:モデルとしてのキャリアを築く中での休業は大きな決断ですね。
SAWA:目まぐるしく過ぎていく毎日に、常に辞めたいと思っていましたよ。けれども、「ディオール(DIOR)」のランウエイを歩けていなかったのが心残りだったんです。だから、だから、1998年にヴェルサイユ宮殿で行われた「ディオール」のショーを歩いたときに、気持ちの区切りがつきました。もうやり残したことはないと。
パリコレ再挑戦のきっかけは、娘の言葉
WWD:そして2026年、再びパリコレに挑戦しようと思った理由は?
SAWA:先シーズンも誘ってもらっていましたが、90年代にやりきったし、戻りたいとは思いませんでした。けれども、私が行くことで何かが変わるかもしれない。今の自分に対する新たな評価を得て、若いモデルたちに何らかの影響を与えられるかもしれない。長年親しくしていたマネージャーや友人との別れを経験したことで、動けるうちに会いたい人に会いに行こうとも思いました。
当時のマネージャーで今も仕事を続けているのは、「またパリにおいで」と声をかけてくれた1人だけなんです。私のキャリアを築いてくれたのは彼女だから、この機会を逃すべきではないと思いました。
WWD:ご家族の反応はいかがでしたか?
SAWA:52歳になって再びパリコレを歩くとは、想像もしていませんでした。セルフコーチングをしていて気づいたのは、心のどこかで自分を試したい気持ちがあったんだと思います。娘が2人いるのですが、仕事と家庭の両立が難しくて、諦めた仕事もありました。
パリから帰国して、高校生になった長女に「私たちのことを第一に考えて育ててくれてありがとう。これからはママの人生を歩んでほしい」と言われました。「やるべきことをやりなさい。やると決めたらやり続けなさい。悔しくても、嫌になっても続けるんだよ」と彼女たちに口うるさく言ってきたことを、私が挑戦することで伝えられたらとも思いました。
WWD:モデルとしてランウエイを歩く姿を娘さんたちに見せることができましたね。
SAWA:「ママ、本当に歩いたんだね」っていう反応でした(笑)。彼女たちにとって、90年代に私がパリコレを歩いていたのは半信半疑だったのかもしれません。モデルは自分一人ではできません。“モデルSAWA”の価値を分かってくれる人たちがいるから続けられる仕事なんです。求められればモデルを続けて、そうでなければ潔く辞めて若手を育成するためにマネージャーに転身しようと考えていました。
改めてパリでいくつかのショーを歩いて、まだまだやることはあると気付かされました。エクスクルーシブではなく、いちから泥臭くキャスティングを回って私が出演できたことで、若いモデルたちの刺激になれたらうれしいです。
WWD:ロンドンの所属事務所も決まりました。
SAWA:正直にいうと、あれをやりたい、これをやりたいという欲はないんです。ただし、やるからにはプロでいたい。私がモデルを続けることでどんな形になるかは分かりませんが、業界に意外なメッセージを届けていけたら思います。日本人モデルは海外の事務所に所属するのも一苦労ですし、所属しただけではまだ何も始まっていません。
けれども、パリコレを歩いたり、所属が決まったりしたことで、海外のクリエイターから応援のDMをもらいました。ママ友にも「私も頑張る!」って言ってもらえて、本当にうれしかったんです。日本人モデルが海外で戦う厳しさを知っているからこそ、私の活動が誰かの勇気や、業界へのメッセージになれば……。足を踏み入れた以上、自分のためではなく、誰かのためにモデルとして活動を続けていこうと思います。