「ケイタマルヤマ(KEITAMARUYAMA)」は1994年に誕生し、今年で30周年。丸山敬太デザイナーは動植物で飾ったテキスタイルや、和洋中の要素を融合したデザインで、“晴れの日に着る洋服”を作ってきた。しかし多幸感溢れる表現の陰では、幾度の困難も克服してきた。酸いも甘いも知りながら、それでもなお「楽しいことを生み出したい」とする彼の人生譚とは。
ブランドの売り上げが、ちょうど面白いように伸びていた時期だったのだ。「今こそいろいろな分野に投資するタイミングだ」と息巻いていた僕は、ウィメンズだけじゃなくメンズラインにもさらに力を入れたかったし、コレクションももっと盛大に発表したかった。なのにパートナーは「地道に実績を積み上げよう」と言う。ジレンマだった。僕らの話し合いは決裂し、K2Mインターナショナルは終了することになった。今なら、あの時の彼の考えがよく分かる。
世はSPAブームの真っただ中。「組曲」「インディヴィ」「エポカ」など、幾らでも例を挙げられるくらいに、アパレル企業がこぞって自社ブランドを立ち上げ、才能あるデザイナーはディレクターとして引き抜かれていた。そんなオファーが僕にも幾つか届き、中でも熱意を感じたのがワールドだった。僕のやりたいことをよく理解してくれ、なおかつグローバルビジネスに前向きな会社。理想的だった。元パートナーが自身の株式を全て譲渡する形で、僕はワールドと合弁会社ノーリッジインターナショナルを立ち上げた。
僕はこの頃を“ケイタマルヤマのバブル期”と呼んでいる。セカンドブランドとライセンス事業を始め、アクセサリーや革小物、下着など、これまで以上に商品を開発したし、約20億円の年間予算のもとで店舗を増やし、六本木ヒルズやパリのマレ地区までにも「ケイタマルヤマ」をオープンした。これまでと同様に、東京とフランスの2拠点でショーを開催し続けたほか、フォトグラファーのティム・ウォーカーやエレン・フォン・アンワースとカタログも作った。都内にオフィスを3カ所も構え、あまりにもぜいたくな環境だった。
そんな夢のような時間も5年で終止符を打つことになった。原因は、コレクション事業への資金投入による赤字だ。“売れるものを作る”というMD中心のビジネスに慣れていなかった僕は、自分の思い描くクリエイションを優先し、市場の需要に合わせたモノづくりをおろそかにしていたように思う。商品はある程度売れていたのに、数字周りに無頓着だった点が裏目に出た。合弁会社は解消し、「ロイヤルティー料は払う」という契約のもと、ワールドがセカンドブランドの事業を引き取ることになった。手元にコレクション事業が残った僕は、この後しばらく自分を苦しめる選択をしてしまう。「ケイタマルヤマ」の10店舗と、その分の商品在庫を買い上げたのだ。せっかくのお店をなくすなんて耐えられない―借金は2.5億円にまで膨らんでいた。
(続く)