ファッション

「ラナ・プラザ」の悲劇から10年 1100人以上の命日当日に現場を訪れた日本人女性リポート

 バンコクを経由して7年ぶりに降り立ったダッカの空港は閑散としていて、まるで別の国に来たような気がした。普段なら2時間近くかかることもあるホテルまでの道のりもスムーズで、さながら映画の撮影のための通行止め区間を進む気分だ。ラマダン(イスラム教徒の断食)明けのイード・アル=フィトル(ラマダン明けのお祭り)を祝いに、人々は人口の約15%が暮らす首都ダッカからそれぞれの村に帰省中という。

 出発前にバングラデシュ人の以前の仕事仲間やツテを頼って聞いてはいたが、この様子だと追悼行事は本当にないのかもしれない。国境はまたぐが、同じベンガル文化をともにするインド・コルカタ出身の大学教授は言っていた。「私たち南アジア人は、過去の災害を忘れようとするものなのです」と。それでもかまわない。私は、当時ラナ・プラザ(RANA PLAZA)の事故後に建物の安全性に関わるプロジェクトに携わり、そして洋服を愛するひとりとして、犠牲になった人々に花を手向けにやってきただけなのだから。

 10年前に突如として崩落し、死者1100人以上と負傷者2500人という甚大な犠牲を生んだ産業災害は、世界中のアパレル産業に衝撃を与えただけでなく、ずっと私の中でくすぶっていた。就業時間が終わると一斉に工場から出てくる民族衣装だった女性たちの姿を、西洋の服を着た同じアジア人として見たからかもしれない。

 2023年4月24日のダッカは朝から快晴で、その日も暑くなりそうだった。前の週の気温は40度を超えていたらしい。今日はジャムダニ織り(13年にユネスコの無形文化遺産に登録された)のサリーを選んだから、きっと暑さには耐えられるはず。メディアの仕事をする現地の友人の車で事故現場に到着してドアを開けると、メガホンからのけたたましい音に思わず耳を塞ぎたくなった。幹線道路に面して建っていたビルの崩落後、両隣のビルの間にはぽっかりと空き地が残り、自生したのかタロイモの緑の葉が生い茂った後は、埃っぽい街とのコントラストが異質な場所になっていた。

 だが今日は、その緑の葉も見えないくらいの人だかりだった。日本で行われる厳かな追悼行事とはちがい、そこにはプラカードや横断幕を持ち、犠牲者への保証、労働環境の改善や待遇向上、そしてアコード(縫製産業における労働者の安全性と健康を改善するための多国籍企業と労働者団体の取り組み)への全ての企業からの署名を求める声をあげる人々の姿があった。事後現場に仮に建てられたという慰霊碑には、犠牲者の関係者や各政党の労働組合などからの献花が崩れ落ちそうなほど供えられていた。ラナ・プラザは忘れられていなかった。

 ホテルを出る前に用意した小さな花束を慰霊碑に供え、事故で亡くなった1136人のことを思った。そのほとんどが貧しい村から出稼ぎにきた女性たちだった。ムスリム社会での女性の地位は決して高くはないが、世界2位を誇るバングラデシュの縫製業は女性たちに働く機会を与えた。機械化が難しい服の縫製は、まだまだ人の手にかかる必要があるからだ。彼女たちにとって、日に1ドル(135円)代の稼ぎ(ホワイトカラーの初任給は、月給3万〜4万円ほど)でも家計の足しにはなるし、その安い労働力のおかげで私たちは普段のファッションを楽しむことができている。ときに買いすぎては捨てるを繰り返し、毎年東京ドーム1.5杯分の焼却炉をいっぱいにしてるが。

「今も毎日飲んでいる」と
袋に入った大量の薬

 強い語調で声高に繰り広げられるデモ会場となった事故現場の一角に、静かに座る女性たちがいた。ラナプラザ事故の負傷者たちだ。彼女たちは静かに座り、メディアのインタビューなどに応えていた。時折感情が昂るのか、泣き出す女性の姿もあった。コルセットを服の上からつけている人もいた。ひとりの女性と目が合い手招きをされ近寄ると、いつものように「どこから来たのか?」と聞かれる。外国人は日本からのYouTuberと私以外、見当たらなかった(ただし現地にいなくてもヨーロッパを中心にそれぞれの地域で活動してる人はたくさんいる)。日本から来たことを伝えると、47歳というアジャイラ・ベーグム(Ajaira Begum)の表情が優しくなった気がした。一日中瓦礫の中に閉じ込められて夜になってやっと救出されたという彼女は、私の手を取り、きっと当時怪我をしたのであろう頭や腕、太ももなど、身体のあちこちを触らせてくれた。今も毎日飲んでいると、袋に入った大量の薬を見せてくれた。

 現地のメディアや労働組合の要求によると、当時5つの縫製会社がビルに入居していたが勤務していた階により補償額などは異なり、今もまだ治療やリハビリ、そして金銭的な支援を必要としてる人がいるという。負傷者は事故後CRPという障害者の治療や職業訓練を行う付近のリハビリ施設に入所したが、全ての人が恩恵を受けたわけでないそうだ。「両親の正義を」と書かれたプラカードをもつ少年の姿もあり(この日は3人の孤児が事故現場に来ていた)、まだ未成年の孤児や片親を無くした子どもたちのことも気になった。

ファーストリテイリングは
衣料品寄贈から待遇向上を継続

 ラナプラザの犠牲者と全国衣料労働者連盟(NGWF)は共同声明をだし、ラナプラザの日(4月24日)を国民追悼の日と制定し、12のブランドからの未だない謝罪や補償を要求。犠牲者への支援、権利・交渉権・ストライキ権を含む3つの基本権の確保、女性労働者へのハラスメントと差別の撤廃、バイヤーによる透明かつ合理的で公平な購入慣行、正式な記念碑とアパレル労働者のための病院の建設などを求めている。今後も、ビルオーナーの保釈取り消しを求める高等裁判所前と、バングラデシュで活動するすべてのブランドに対するアコードへの署名を求めるヒューマン・チェーン、そして12のブランドに対する抗議の黒旗デモを予定している。

 バングラデシュにはファーストリテイリングをはじめ、ワコールやグンゼなどが進出しているが、中でも現地で店舗を拡大していたファーストリテイリングは事故同年のアコードだけでなく、21年に発行された後継の新アコードにも署名している。同社は今年に入り4店舗を閉鎖しているが、他のショップでの販売に加え、配達業務は継続すると発表、現地での生産も継続中だ。国内の生産拠点では、環境や労働環境に配慮した取り組みを実施し、労働者の安全や待遇の向上に取り組む一方で、サプライチェーン全体においても環境保護や労働基準の向上に寄与している。またロヒンギャ難民に対する支援も行っており、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)と提携し、約1000万ドル(約13億5000万円)相当の衣料品を寄贈、難民キャンプ内での教育や職業訓練提供などの支援を行っている。

 貧困層へのマイクロクレジットを提供することで経済的自立を促進するグラミン銀行と組んだ「グラミンユニクロ」は現地で温かく迎えられていたが、そもそもバングラデシュには親日家が多い。1971年の独立後にはすぐに外交関係を樹立し、その後は年間3000億円、累積額では世界で最も多額のODA(政府開発援助)を通じて現地への経済・人道支援を行ってきた。現在も空港設備やダッカメトロ(国内初の高速鉄道)の建設に日本政府と企業がかかわり、バングラデシュの発展に大きく寄与している。日本企業がバングラデシュでのビジネスを展開しやすくするためのインフラや規制環境が整備されている経済特区の共同開発も注目されている。またウクライナ戦争勃発後に重要度が増したバングラデシュの地政学的な動きからも目が離せない。

バングラディシュは26年
後発開発途上国を“卒業”予定

 GDPはこの10年で右肩上がりで、成長率は前年の7.1%から5.3%と予測されているものの、その伸びが0.8〜1.2%と鈍化している日本との差を感じる。特に、経済特区では日本企業をはじめとする外国企業の進出が加速し、投資や雇用創出が期待されることから、その成長率はさらに高まると考えられる。国連も26年のバングラデシュのLDC(後発開発途上国)の卒業を発表している。先述の経済特区開発や外交関係強化から、今後ますます日系企業の進出が容易になることを考えると、輸出の9割を占めるアパレル産業でのさらなる関係強化にも期待したい。

 消費者のサステナビリティへの意識の変化や国際的な環境保護、ラナ・プラザ事故などをきっかけとした労働環境の規制の強化に伴い、アパレル産業はさらに変革を迫られると予測される。その中で、日本企業は国内外でのエコ・エシカルな取り組みを拡大し、労働環境など消費者には見えにくい分野にも配慮することが求められるであろう。例えば、地域社会との連携を強化し、現地の労働者やコミュニティの福祉向上に貢献するプロジェクトや、技術移転を通じてバングラデシュの産業基盤を向上させる取り組み、日本の障害者雇用枠などのスキームを使った救済措置など、まだまだできることがありそうだ。そうした企業は今後、インバウンドを含む国際的な市場で選ばれていくだろう。バングラデシュの経済発展のためにも、ラナ・プラザ事故を教訓にした日系企業のグリーン・クリーンな展開がますます期待される。バングラデシュと日本企業との協力がさらに進むことで、アパレル産業におけるエコ・エシカルな取り組みが一層加速すれば、持続可能な未来に繋がる。

 読者の中にもラナ・プラザのメモリアルデーに心を寄せた人がいるに違いない。現地で手向けた花束は小さなものだったが、そこには皆さんの大きな思いが集まっていたはずだ。休憩をはさみ現地に戻ると、あれだけ騒がしかったラナ・プラザ跡地はいつもの静かな空き地に戻っていた。もう一度緑の葉の繁る工場跡地に手を合わせ、いつかこの場所に小さな「JAPAN」の文字が刻まれることを想像してみた。静かにハンガーストライキを続ける数人の女性たちに一礼し、その埃っぽい一角をあとにした。

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