
トレンドを語るにあたり、近年欠かせないのは“Z世代”の存在感。若者たちは何に関心を持ち、悩み、そして何を着ているのか――。「WWDJAPAN」は、若者とファッション業界をつなぐプラットフォームになるべく、その“リアル”をお届けする。
本企画では、学生が悩む“キャリア”についてフォーカス。毎回ゲストとして招いたファッション&ビューティ業界の先輩方に、学生たちがインタビュアーとして質問する“囲み取材”を行う。今回のゲストは、写真家として活動しながら、昨年からは俳優の仲野太賀、映像作家の上出遼平とともに旅サークル“Midnight Pizza Club”を主宰する阿部裕介。学生時代から国内外をめぐり、写真家としての活動を行ってきた彼のキャリアとは。学生との対話の中で、阿部が撮り続けてきたドキュメントの核が見えてきた。
PROFILE: 阿部裕介/写真家
「カメラマンってなんだろう?」
大学生の阿部裕介が写真家になったきっかけ

学生:阿部さんが写真を始めたきっかけが知りたいです。
阿部裕介(以下、阿部):大学時代、「一人旅に出てみよう」と思い立ち、カメラを片手にヨーロッパを一周しました。当時はまだカメラを仕事にしていたわけではなく、旅先で出会った家族の写真を思い出として撮らせてもらっていました。パソコンを持っていなかったので、滞在先で借りたパソコンを使って、その写真をFacebookに投稿していました。旅では、「カウチサーフィン」という、宿泊先を提供してもらう代わりに家事などを手伝うサービスを利用しながら各地を巡っていました。
旅の最後に訪れたパリで、ファッションデザイナーとして働く日本人と出会いました。その人が僕の撮った写真を見て、「カメラを仕事にしてみたら?」と勧めてくれたんです。当時は大学2年生から3年生になる春休みでした。それまでカメラマンという職業を意識したことはなかったのですが、「カメラマンってどんな仕事なんだろう」と興味を持ち、帰国後に「ビックカメラ」でパソコンとカメラを購入したことが、すべての始まりでした。

学生:撮影スタジオや師匠に弟子入りするという考えにはならなかったんですか?
阿部:そうですね。一般的には、フォトグラファーは大学卒業後に写真の専門学校へ進み、その後スタジオで3年ほど経験を積みます。さらに師匠のもとでアシスタントとして働き、20代後半で独立する人が多いです。一方で僕は、その道には進まず、ネパールの村で出会った人たちを撮りながら旅を続けていました。当時は写真の仕事もほとんどなく、不安もありましたが、「この村を撮り続けよう」と本気で思っていたんです。
阿部:そんな日々を過ごしていたある日、僕の写真を見てくださった「ザ・ノース・フェイス(THE NORTH FACE)」のディレクターの方から連絡をいただき、日本へ帰国しました。オフィスへ伺うと、「一緒に旅をしませんか」と撮影のお話をいただき、そこから僕のキャリアが始まりました。
阿部:結果論ではありますが、当時撮り続けていたネパールの村の写真は、その後一冊の本として形にすることができました。あの頃は先のことなんて何も分かりませんでしたが、今思えば、あの時間はすべて今につながる大きな伏線だったんだと感じています。
学生:写真の技術はどこで学びましたか?
阿部:学校などで写真を学んだことはありません。カメラは電源を入れて、絞りを決めて、シャッタースピードを設定する。基本的には、その3〜4つくらいしか操作することはないんです。「どれだけ背景をぼかすか」とか、「手ブレをどう防ぐか」といった情報はたくさんありますが、そうした知識があるとかえって難しく感じてしまうこともあります。実際は、とてもシンプルなんです。

阿部:撮りたい人を撮る。撮りたい表情を撮る。極端なことを言えば、ちゃんと写ってさえいればいいんです。だから僕は、「技術を学ぶ」という感覚よりも、「自分は何を撮りたいのか」を考え続けてきました。その思いを形にしようと試行錯誤を重ねた結果、必要な技術が自然と身についていったのかもしれません。
学生:学生時代の阿部さんについて聞きたいです。
阿部:大学時代は、テニスとアルバイトに明け暮れる毎日でした。でも、当時からカメラが好きだったから教科書がどんなに重くても、カメラは必ず持ち歩いていました。
写真部に所属し、部室にこもって実験を繰り返す日々。特に好きだったのが写真家の上田義彦さんで、自分の写真と上田さんの作品を何度も見比べながら、「どうすればこの表現に近づけるんだろう」と考え続けていました。色のつくり方やプリントの質感など、誰も気にしないような細かな違いをひたすら研究していたんです。
学生:学生時代、どんなふうに仲間を探しましたか?
阿部:今はSNSで簡単に人とつながれる時代ですが、当時は共通の知り合いを通じて、1人ずつ紹介してもらっていました。写真を撮りたいと思えば、「いいモデル知らない?」「美容師のアシスタントをやっている人いない?」と周りに聞いてみる。本を作りたいと思えば、グラフィックデザインをやっている人を探す。いつも考えていたのは、「自分がやりたいことを実現するには、誰に協力してもらえばいいんだろう」ということでした。
そうやって一人ひとりと出会い、少しずつつながりを重ねてきた人たちが、今ではすべてつながっているような感覚があります。僕にできることは、カメラで写真を撮ることだけ。でも、それをずっと続けていたら、昔からの仲間とにまた出会えるようになりました。

学生:僕も阿部さんみたいに海外に行きたいんですけど、英語が苦手で。阿部さんはどうしていますか?
阿部:僕は18歳まで文法も単語も殆ど分からなかったんですよ。高校3年生で英検5級に落ちまくっていましたし。その後半年間めっちゃ勉強してある程度はわかるようになりました。それで少し英語に自信がついたのに、海外に初めて行ったら“Would you like a plastic bag?(ビニール袋は要りますか?)”が何度も聞き取れなくて。「あんなに勉強したのに、ひと言も出てこない」って悔しくて、ロンドンの街中で、電話で誰かと話しているようなふりをしながら何回も、“Would you like a plastic bag?”と唱えて覚える。変な人です。
また誰かから聞いた言葉がわからなければ何回も聞いて、電話口で唱える。ゲストハウスの人との会話をボイスレコーダーに録音して、その人のエピソードを自分に置き換えて唱える。そうやって英語を覚えました。そうやっていたら何となく、「カメラが好き」「写真を撮らせてほしい」と言えるようになりました。あとは英語が使われている環境に行けば、イヤでも身に付く。とはいえ、色々な国に行くなかで英語以外の言語も必要になります。チベット語とかキルギス語なんてわからないけど、カメラを向けて1枚撮るだけでコミュニケーションが生まれる。フォトグラファーは、写真を通して言語の壁を越えられる仕事なんだと実感しました。
写真家としての技術やキャリア
学生:機材選びにこだわりはありますか?
阿部:とりあえず早く撮れること。電源入れたらすぐに撮れる方が、撮りたい瞬間を逃さずに撮れるので、そこは大事にしていますかね。あとは山に登るので、軽い方が良いということくらいかな。
学生:僕も写真をやっているのですが、人が輝くような写真を撮るには、どんなコツが必要ですか?
阿部:人は自分の鏡だと思うんです。僕のテンションが低ければ被写体の気分も下がると思うし、僕がめちゃくちゃハッピーだったら撮られる人もハッピーになるはず。
学生:僕はモデルをやっているのですが、良い写真を撮ってもらうために大事なことは何だと思いますか?
阿部:いい写真を撮れるかどうかは、相性もあると思う。だから自分と相性がいいフォトグラファーを見つけたら、その人と一緒に作品を作ってみてください。もちろんモデルとして、いろいろなフォトグラファーと撮影してみるのはいい経験になると思うし、そういうのが得意な人もいる。でも相性がいい人との関係は、長く大事にしてみるといいことがあるかもしれない。長く一緒に活動する仲間と、新しい人との挑戦、全然同時進行でもいいと思いますよ。
学生:阿部さんにとって、上手いフォトグラファーの共通点はなんだと思いますか?
阿部:フォトグラファーには2パターンいると思います。企業から依頼されて商業写真を撮る人と、自分で作った企画を企業に持っていき、予算をもらって写真を撮る人。商業写真の場合は、圧倒的にリズムが大事。時間も限られるし、仕事でやるからには絶対にスムーズにできる方がいい。だからそれを実現するための技術や経験が必要だと思います。
僕は自分の企画ベースで写真を撮ることが多いのですが、僕が心がけているのは旅先で出会った人との一瞬を記録として残すことを大切にしています。その人が変な顔をしていたとしても、そのとき、その場所で記録した事実は変わらない。10年後にまたその人に会って見せたとき、「ここで会ったよね」って会話ができたらいいなって思っています。
キャリアを獲得するためのマインドセット
学生:自分が望むキャリアを獲得するためのマインドセットを知りたいです!
阿部:人に言われたことを間に受けすぎないこと。例えば、「カメラマンになりたい」と思ってなれる人はたくさんいます。「ひと握りの人しかなれない」なんてことは、絶対にないと思う。カメラマンになってからいろいろな壁が現れて、それを乗り越え続けることの方がよっぽど難しい。人に寄り添うことはもちろん大事だけど、ポジティブな意味で「自分は正しいんだ」って、信じてやっています。
自分がつらいときに、「どうやったらそのときを脱出できるか」を考えておくと楽かもしれないですね。僕自身、今でもすごくつらい時期はあります。そういう時期ってどんなにポジティブなことを言われても、そう簡単には立ち直れない。そんなときは、インドに行って強烈な体験をして「あれ、自分、何に落ち込んでたんだっけ?」と立ち直ったり、仕事で海外に行けないときにはテニスをしたり。そういうのが僕にとってのリセット術です。
学生:周囲が就職する中で、自分自身に迷いは生まれなかったんですか?
阿部:写真が好きという気持ちは変わりませんでしたが、不安になることはありました。大学では周りが就活を始めてスーツを着る中、自分だけ違う道を選んでいたので焦りもありました。でも海外に行くと、自分らしく生きている人がたくさんいて、「このままでいいんだ」と思えるようになりました。一方で、日本に戻るとまた周りと比べて不安になることもありました。
人と比べすぎないことも大事です。SNSなどで周りを見て焦ることもあるかもしれませんが、大切なのは「自分が信じた道を進む」と決めること。誰でも迷う時期はありますが、「自分が正しい」と信じることも大切だと思います。

学生:「自分が正しい」と思えたら一番良いけど、なかなかそうは思えなくて。
阿部:「どっちだよ」って思われそうだけど、僕もそうなんです。小さいことを気にしてしまうし、引きずってしまうこともある。自分が必死にやっていることを否定されたらやっぱり落ち込みます。でも、写真は自分が撮りたいから撮っているし、大切な人によろこんでもらいたいから撮っているんです。だから、周りの評価に振り回されすぎないようにしています。
それでも自信をなくしそうなときは、「自分の写真が一番好き」と自分に言い聞かせます。そして何より大きいのは、どんなときも応援してくれる仲間の存在です。自分を信じてくれる人が1人でもいると、「このままでいいんだ」と思える。そんな仲間がいることが、僕に撮っては一番の支えになっているし、重要なのかもしれません。
影響を与えた人物とインスピレーション源
学生:インスピレーションの源はなんですか?
阿部:趣味の山登りは、かなり僕の価値観を変えてくれたものの1つです。書籍「MIDNIGHT PIZZA CLUB 1st BLAZE LANGTANG VALLEY」では、3人でネパールのランタン谷を旅した記録を上出さんが文字にしてくれたのですが、「文章にしたらこんなふうに見えるんだ」という発見を与えてくれました。
それ以外にも、山登りにはたくさんの発見や出会いがあります。僕が最近ハマっているのはロングハイクという長距離を自分のペースで歩く文化があります。メキシコからカナダまでの境界を歩くPCTや、アメリカのアパラチアン山脈でのトレイルです。この前道中で出会った夫婦は3500km歩いたあとに折り返して、さらに2000km歩いてきたと言っていました。しかも信じられないような軽装備で、靴もトレイル用のものではない。そういう人たちとの出会いは、今の僕にとって大きなインスピレーション源です。今はたくさんのモノがあふれる時代ですが、どんなモノを持っていたってやれる人はやれるし、やれない人はやれない。67歳のおばあちゃんが旅する「エマおばあちゃん、山をいく アパラチアン・トレイルひとりたび」という書籍もあるので、ぜひ読んでみてほしいです。

学生:学校で人権について学んでいるとき、中村哲さんのことを知りました。阿部さんの尊敬する人も中村さんだと書いていますが、どんな部分にインスピレーションを受けたのでしょうか?
阿部:中村哲さんは、福岡県出身のお医者さん。元々は山岳救助の医療チームとしてパキスタンにいき、アフガニスタンとの国境から50kmほどのペシャワールという街を拠点に、ハンセン病やアフガン難民の診療を行っていた人です。
ちなみにみなさん、アフガニスタンってどんなイメージがありますか?僕は大学時代、フォトグラファーの仕事を知る前は青年海外協力隊に興味があって、JICA(独立行政法人国際協力機構)に入りたいと思っていたんです。それで調べているうちに中村さんのことを知りました。
あるときアフガニスタンに行った中村さんは、人々が命を落としていた原因は病気ではなく、貧困だったことに気がつきました。砂漠地帯で水がない、食べ物がないから、みんな餓死してしまうーーだから土地や食べ物を奪い合うために戦争が起きた。そんな場所で、中村さんは約37年間、アフガニスタンでシャベルを持って、砂漠を森にした偉大な人。2019年に武装集団からの銃撃を受け、搬送先の病院で亡くなってしまいましたが、そんな中村さんのおかげで、アフガニスタンには日本のことが大好きな人がたくさんいる。現地の飛行機には中村さんの絵が描かれているほどです。
僕も以前、パレスチナとイスラエルの国境付近の取材に行ったことがあります。ミサイルが落ちて、破壊されてしまった建物があるような場所でした。1人で歩きながら、そんな現地の様子の写真を撮っていたら、どこからか子どもが1人来て「日本人?ちょっと待ってて」と声をかけられたんです。戻ってきたその子は、どこかで買ってきた、よく冷えたコーラを僕にくれました。「僕の家の冷蔵庫は爆発で落ちて壊れちゃったから、これ飲んで」って。その子が、僕がほぼ初めて会話をしたパレスチナ人。足を運んでみないとわからないことがたくさんあるって、あらためて思いました。足を運んで学ぶことの大切さ、その原動力は、今も昔も中村さんから学んだと言えます。
阿部:大学のとき、周りのみんなは英語も経済学も含め、学業全般で優秀で、本当にすごいなと思っていました。「自分には何ができるんだろう」と考えるようになって、そんな時に写真を始めて、「これしかない!」って思うようになったんです。他の能力を新しくつけるという選択は、最初から捨てていました。僕にできることは、本当にカメラしかありません。だから、それ以外のことはたくさんの人に支えてもらい、協力してもらいながらここまで来ました。

阿部:今、みなさんは普通の大学生だと思っているかもしれません。でも、1つのことを続けていれば、いつかここにいる誰かとまた出会い、仲間になって、一緒に何かをつくる日が来るかもしれない。だからこそ、今が頑張りどきです。目の前にある1つのことを続けることが、未来の出会いや可能性につながっていくと僕は信じています。

PHOTOS:RYOTA AMEGI