アメリカ・カリフォルニア州で現地時間の2026年4月10〜12日(日本時間4月11〜13日)、4月17〜19日(日本時間4月18〜20日)の2週に渡り開催される世界最大級の音楽フェス「コーチェラ・ヴァレー・ミュージック・アンド・アーツ・フェスティバル 2026(Coachella Valley Music and Arts Festival 2026)」(以下、「コーチェラ 2026」)。その1週目が終了した。
「コーチェラ」はアメリカのカルフォルニア州・インディオにある砂漠地帯、コーチェラ・バレーで毎年4月に開催され、ほぼ同一ラインナップの公演が2週続けて行わる。近年はそのほとんどをYouTubeの公式チャンネルで無料配信しており、現地の観客だけでなく、世界中の音楽ファンが配信を通して楽しむことができる。
出演者のラインアップも人気と先鋭性を兼ね備えたポップスターから注目のインディー・アクトまでが世界中からミュージシャンが参加し、ヘッドライナーなどは単独公演をも上回る予算を投入して熱の入ったパフォーマンスを繰り広げる。近年に限って見ても、2018年のビヨンセ(通称beychella)を筆頭に、23年のロザリア、24年のラナ・デル・レイ(ビリー・アイリッシュやジョン・バティステが客演)、25年のレディ・ガガなど、数多くの名演が生み出されてきた。
そんな「コーチェラ 2026」の2日目(日本時間4月12日)に藤井風が初出演を果たした。世界中でなぜ藤井風が受け入れられているのか——「コーチェラ」での初ライブの様子とともにこれまでの歩みを振り返る。
「コーチェラ」出演は自然な流れ
「コーチェラ2026」の初週、藤井風のパフォーマンスは流石でバンドの演奏も最高だったが、圧倒的な実力をうまく発揮できていたかというとそれは疑わしかったように思う。現地時間の17時5分頃(日本時間では午前9時5分頃)から配信された初回の動画は(現地時間の16時30分開演→16時50分配信開始というスケジュールがさらに遅れた)、藤井風によるリードボーカルの音量が小さい一方で、ARIWAによる素晴らしいコーラスの音量が過剰に大きく、Shy Carter(「You」の共作詞者)のコーラスはほとんど聞こえないという有様。今の藤井風の歌唱スタイルが力押しを避けて繊細な陰翳を描くほうに向かっていることもあってか、表現力は見事なのに歌声が周囲の音に埋もれて前面に出てこない。こうした音量バランス(演者自身も気にする素振りを見せていて歌いにくそうな場面もあった)は「Okay, Goodbye」導入部のピアノ弾き語りあたりからやや持ち直し、終盤の「Prema」では曲の雰囲気にも合っていたのだが、藤井風の驚異的なポテンシャルを知る側からすると、全体としてはかなりの不満が残るサウンドだった。以上のような音量/PA問題に対する指摘はYouTubeのコメント欄にもSNSにも多数あり、リアルタイムで配信を観た人の大多数が同様の印象を抱いたのではないかと思われる。
しかし、こうした問題は初回配信終了直後のリプレイ(「コーチェラ」のYouTube動画は当日中であれば自由に巻き戻して再生可能)では大きく改善されていた。リードボーカルとコーラスの音量は程よいバランスに修正され、全パートの演奏が快適に聴きわけられるようになった上に、バンドサウンドの仄暗く艶やかな質感(ビンテージなソウルミュージックにも近年のオルタナティブR&Bにも通ずる)が引き出され、楽曲に見合った雰囲気表現がとてもよく映える。文字通り見違えるような仕上がりだ。先述の歌唱スタイル、力押しを避けて繊細な陰翳を描くタイプの表現もばっちりハマる様子は、藤井風の近年の活動志向と、それを「コーチェラ」のような大舞台でやってのけるすごみをよく示すものだった。全ステージが無料で配信される世界最大の音楽フェスという場において、営業に行くのではなく表現に徹しながらも、営業に向いたポップスター性も常に滲み出てしまい、それだからこその複雑な人間的深みが生まれる。今回の配信における音量/PA問題は、藤井風の入り組んだ魅力を逆説的に引き出すものでもあった。
振り返ってみれば、以上のような表現志向は昨年発表されたアルバム「Prema」の頃から明示されていた。しかし、こういう渋く落ち着き気味な見せ方をこの大舞台で実行できたのは、近年の活動における手応えも少なからず関わっていたように思われる。2023年以降の藤井風はほとんど海外で活動しており、日本国内でのライブ(配信やTV出演を除く)は24年8月24日と25日の日産スタジアム公演(Fujii Kaze Stadium Live “Feelin’ Good”)のみ。24年10月26日から12月14日にかけてアジアツアー(単独14公演)を行い、25年6月13日にバンコクのパラゴンパークでサプライズ公演をした後は、7月1日から14日まで欧州ツアー(単独4公演に加え、スイスのモントルー・ジャズ・フェスティバルなど3回のフェス出演)、8月2日から10月8日にかけては北米ツアー(単独7公演と、シカゴの「ロラパルーザ」など4回のフェス出演)を敢行し、世界を股にかけた活躍を続けてきた。全曲英語詞で書かれたサードアルバム「Prema」もその勢いを後押ししたわけで、今回の「コーチェラ 2026」出演は自然な流れだったのだろう。
日本ならではのスタイルで
世界的なヒットを狙える時代
こうした流れには、藤井風自身の躍進だけでなく、非英語圏出身のアーティストが世界的に受け入れられやすくなってきた近年の状況も関係していると思われる。例えば、現在のラテンポップを代表するアーティストであるバッド・バニーはプエルトリコ出身であり、26年2月に開催された第60回スーパーボウルのハーフタイムショー(数々の歴史的名演を生んできたアメリカ音楽シーン最大の晴れ舞台)において、ラテン系アーティストとして初めてほぼ全編スペイン語でのパフォーマンスを行なった。この成功について、Spotifyの音楽パートナーシップ&オーディエンス グローバル統括のジョー・ハドリー氏と、スポティファイジャパン 音楽事業部門統括の大西響氏は、バッド・バニーの世界的成功から日本が学ぶべきこと「もはや〈言語〉はヒットの障壁ではない」で次のように述べている。
現在、世界180以上のマーケットで7億5100万人を超える月間アクティブユーザーが我々のプラットフォームを利用しています。そこで明らかになってきたのは、「世界で成功を収めるために、英語はもはや必須ではない」ということです。
(―つまり、現代の音楽シーンにおいて、もはや「言語」はヒットの障壁ではなくなっていると言えるのでしょうか?)障壁ではないですね、そう断言できます。(中略)「2025年には、16の言語の楽曲がSpotifyのグローバルトップ 50にランクインし、5年前と比べて2倍以上に増えている」というデータがあります。あらゆる成長のステージにおいて、かつての壁が崩されているのがわかりますよね。先ほどラテンミュージックやK-POPについて触れましたが、今まさにJ-POPについても同じことが言えます。今後も英語以外の言語によるグローバルヒットは続きますし、それは音楽界にとって非常にエキサイティングな傾向です。
実際、「コーチェラ」の客層は英語圏の外からきたポップスターにここ何年もかけて親しんできている。23年のヘッドライナーを務めたバッドバニーやBLACKPINK(ブラックピンク)、同年のメインステージで脚光を浴びたロザリア(スペイン)はその好例だ。また、アジアを代表するコレクティブ「88rising」は、22年のメインステージで「Head In The Clouds Forever」を開催しジャクソン・ワン(中国)やCL & 2NE1(韓国)、宇多田ヒカルらが出演。24年の「88rising Futures」では、新しい学校のリーダーズ、Awich、Number_i、YOASOBIが出演している。25年のコーチェラにはXGが、今年はCreepy Nuts(ほぼ日本語のみのラップで大盛況をもたらしていた)、藤井風、¥ØU$UK€ ¥UK1MAT$Uがブッキングされたのも、以上のような潮流が少なからず後押しになっていたと思われる。また、これは「コーチェラ」などとは別の流れだが、高中正義が日本のフュージョン/AORとは別の文脈で20〜30代の若い世代に人気を博し、今年の3月31日には英ロンドンのO2アカデミー・ブリクストン(キャパ5000)を完売し熱狂的な反応を得ている。日本では昔から「邦楽」「洋楽」という区分けがなされ、「日本人離れした歌声」「洋楽的なグルーヴ」みたいな言い回しが(「邦楽」にもそれができているものも多かったのに)根強い先入観とともに常套句とされてきたが、そんな区分けはもはや不要になり、日本ならではのスタイルで世界的なヒットを狙える時代が来ているのだ。
アルバム「Prema」で新たな境地へ
思い返してみれば、藤井風は以上のような流れに先鞭をつけた存在だった。2020年発表のデビューアルバム「HELP EVER HURT NEVER」に収録された「死ぬのがいいわ」(歌詞は大部分が日本語)は、シングルカットされずMVも制作されなかったにも関わらず、22年7月末頃からタイのTikTokユーザーを起点に世界的なバイラルヒットを記録。26年4月12日時点では、YouTubeで合計5.8億回以上、Spotifyでは8億回以上も再生されている。そうした反応に手応えを得たこともあってか、23年以降は先述のように日本国外でのツアーを繰り返して好評を得続けてきたわけで、現在の藤井風は世界的なアーティストとして地固めがなされた状況にある(その意味において、先述の並びよりもBorisやおとぼけビ〜バ〜などの方が立ち位置としては近いのかもしれない)。つまり、「コーチェラ」への出演は藤井風にとって、世界進出への足掛かりというよりもむしろ通過点であり、知る人ぞ知るアーティストが大抜擢されたみたいな構図ではなく、規格外のポップスター(24年8月の日産スタジアム公演は各日7万人収容だったにも関わらずチケットの入手が困難だった)が満を持して現れたのだと捉えるべきだろう。そう考えると、全曲英語詞のアルバム「Prema」は、英語圏進出のための営業作品というよりも、世界各地で手応えを得て新たな境地へ踏み出した成果としての表現作品と見なすほうがいいのではないか。実際、同作における表現モードは、「コーチェラ2026」のパフォーマンスにそのまま繋がっているように思われる。
「Prema」は1970年代から90年代に至るクラシックなポピュラー音楽(ソウルミュージック〜R&Bやヒップホップ、シンセポップなど)への敬愛を衒(てら)いなく示しつつ、250(イオゴン、自身のソロ作やNewJeans、f(x)などで優れた楽曲を多数生み出してきた)が全曲のプロデュースを担当し、「アジアの強さ、アジアの持つパワーも込めたかった」と言うとおりの音楽スタイルで、どの曲も洗練された耳馴染みの良いサウンドになっている。それでいて保守的な印象があまりないのが本作のすごいところで、聴いていて既存の何かを連想させられ気になるというような場面が明らかに少ない。そこには250のプロデュースも貢献しているのだろうが(「Prema」初回限定版のディスク2としてリリースされた「Pre: Prema」収録曲と比べると、音像の面で優れた個性が加わっていることが分かる)、藤井風の歌唱表現が以前よりも複雑なニュアンスを増しているというか、そういうニュアンスをストレートに表出するようになっていることも大きい気がする。
例えば「Casket Girl」は軽快なジャズファンク調だが、「棺桶の少女」というタイトルの通り歌詞の内容はむしろ不穏で、こうした配合はスティーリー・ダンのような捻くれたポップスに通ずる。アウトロのサウンドスケープはワンオートリックス・ポイント・ネヴァー(OPN)のような電子音楽(同氏が担当した映画「マーティ・シュプリーム」サウンドトラックなども)に通じ、そのヴェイパーウェイヴ的な音響表現は「過去の亡霊」という歌詞のテーマにも繋がる。続く「I Need U Back」(ヴァン・ヘイレンをエレクトロファンクに落とし込んだような曲調)の歌唱には涼やかさと怒りを自然体で両立する気配があったり、「Hachikō」では優しく包容力のある佇まいを示しつつ同時に不敵でもある。などなど、「Prema」アルバムでの藤井風は、歌唱においても作編曲においても、仄暗くネガティブな側面を無理に押さえ込まずに表出し、それが絶妙なバランスで表現力を高めているような印象があるのだ。
「へでもねーよ」「It’s Alright」などの過去曲では怒りを涼やかさで包んでいた(音楽ジャンルで例えるなら、ロックをR&Bのマナーに落とし込んでいた感じ)、場面によっては押さえ込もうとしていたのに対し、アルバム「Prema」の曲では、そういうバランスを強引に取ろうとするよりも、双方を自然に並べ、互いを不可欠なものとして純度を損なわず引き立てている(ロック的な勢いとR&B的な匙加減が程よく融合している)。こうしたバランスは、全曲英語詞にしたことで「英語はストレートに表現しやすいので自分の思考をクリアにしてくれる」「日本語ではためらわれるような『こんなこともまで言っちゃった』みたいなことを堂々と言っちゃったりしてます」というような効果が得られたのも大きいのだろう。そうした意味においても、「Prema」は世界各地で手応えを得て新たな境地へ踏み出したからこそ生み出せた表現作品なのだと思われる。
歌詞の普遍性とそこへの取り組み方
それにしても、藤井風がこれほどの人気を獲得できた理由は何なのだろう。卓越した発声と驚異的に整ったフレージング(メロディーを滑らかに形にする描線のうまさのようなもの)、高度な楽理に裏打ちされた作編曲といったミュージシャンシップのすごさや、柔らかく明るい佇まいなども含めた視覚的魅力なども当然関わっているだろうが、それだけでは説明のつかない部分も多いはずだ。
筆者個人の考えを述べるならば、歌詞の普遍性とそこへの取り組み方も重要な要素なのではないかと思う。藤井風の歌詞については、死生観やスピリチュアリズムなど、神秘的で近寄りがたくも思えるテーマがよく取り沙汰されるが、それらは一方で誰もが逃れられず共感しうるものでもある。また、藤井風は悟りやハイヤーセルフといったことをよく主題にするが、歌われていることはそれらそのものというよりも、そこに至ろうとしつつ至れない葛藤や精進の過程だ。今回のステージで演奏された「Okay, Goodbye」なども、歌詞は達観しているようでいて声色は悟りきれておらず、豪奢なゴスペル/R&Bサウンドに等身大の苦悩が滲んでいる。こうした洗練と泥臭さの両立、爽やかだが漂白されない熱こそが藤井 風の得難い魅力であり、それが卓越した演奏表現力や優れた楽曲で増幅されることにより唯一無二のポップミュージックになる。このような在り方は今回のステージでもよく体現されていたし、それが実際にどういう反応を得るかという様子を観測できる場としても、「コーチェラ」への出演は絶好の機会だったのだと思う。
以上を踏まえてサウンドバランスの話に戻ると、リードボーカルの音量が小さかった初回配信時は、涼やかさと勢いを両立する歌唱スタイルのうち前者の側面のみが引き立ち、不必要にクルーナー(囁くように歌うジャズボーカル方面の手法)をやっている場面が多すぎるように思えてしまった。その一方でARIWAの素晴らしいコーラスが主役級の音量で前面に出てしまっているわけで(これはARIWAが目立とうとしていたのではなくPAのせいだろう)、藤井風の持ち味は大部分が覆い隠され、ここまで述べてきたような表現志向が裏目に出てしまう。また、こうしたサウンドバランスをあえて気にせず仄暗い側面に注目しようとしても、藤井風から滲み出るポップスター的なオーラが聴き手の意識を開放的な側面に引き寄せてしまうために、聴覚面の印象と視覚面の印象にズレが生じてしっくりこない印象が増してしまう。このような仕上がりにもどかしい思いを抱いた人も多かったのではないかと思う。
とはいえ、こうした問題はリプレイ配信で大きく改善し、「Prema」に繋がる表現バランスの妙をうまく堪能できるようになっていた(ただ、リードボーカルの音量はもっと大きくしたほうが“勢いよくチルする”感じの持ち味がさらに映えたとも思うのだが)。「死ぬのがいいわ」の序曲として披露された長めのピアノソロ(モーツァルトの「トルコ行進曲」からリオン・ウェア的なラテン寄りソウルミュージックへ接近する感じの構成で、悲壮感とポップさの兼ね合いが見事だった)など、音量バランス改善前から良かった箇所はいっそう映えていたし、シリアスな表現力とポップスター的な存在感の両立といった魅力も伝わりやすくなっていたのでは。和風の旋律とトラップ〜R&Bのメロウさを融合してオリジナルな響きを生み出す「It’s Alright」「まつり」で幕を開け、「Prema」曲を軸としつつ「何なんw」でJ-R&Bならではのゴスペル感をプレゼンし、「Hachikō」の快活なさびしさ(小林秀雄が『モオツァルト』で述べた「悲しみは疾走する。涙は追いつけない」に通ずる)で心地好い余韻を残すセットリストも絶品だった。全体として、とても充実した良いライブだったと思う。
先にも述べたように、「コーチェラ」はほぼ同一ラインナップの公演を2週続けて行い、そのほとんどをYouTubeの公式チャンネルで無料配信する。藤井風の2回目のステージも、日本時間の4月19日に再び配信される予定だ。初週の成果を踏まえてさらに良いパフォーマンスになるのは間違いない。今回視聴した人もそうでない人も、ぜひ観てほしいものである。
