時計業界で今もっとも注目されている時計売り場といえば、伊勢丹新宿本店の5階のウオッチフロア。業界の絶対的な常識なら売り上げの多いブランド順にスペースを割り振るが同店は2024年3月、バイヤー主導で新機軸を導入した。本来の姿通り、百貨店がブランドの選定や売り場のレイアウトを決定し、結果、多彩な時計ブランドのさまざまな時計を比較・検討・購入できるようになった。売り場面積こそジェイアール名古屋タカシマヤや松坂屋名古屋店には及ばないが、おそらく日本No.1の時計売り場だ。しかもリニューアル以降、売上は伸び続けているという。時計愛好家にとって、「今、一番訪れたい時計売り場」であることは間違いない。
この世界最先端の時計売り場が、時計好きには絶対に見逃せない画期的な展示を開始した。世界中の時計愛好家が注目する、日本の独立時計師系マイクロメゾンブランド「大塚ローテック(OTSUKA LOTEC)」と「タカノ(TAKANO)」、東京時計精密という小さな時計会社の2ブランドの実物を観て知ることができる売り場を構えたのだ。2ブランドにとって、常設展示は世界初だ。
世界の時計愛好家にとって今一番の注目
「大塚ローテック」は、コスパも驚異的
「大塚ローテック」は、世界の時計愛好家が「今、一番注目している」や「ぜひ手にいれたい!」と口を揃える時計ブランドだ。元カーデザーナーで工業デザイナー、時計製作では「現代の名工」として表彰された片山次朗(かたやま・じろう)氏が趣味で始めた時計作りが発展して12年に誕生。伝統的な時計のスタイルにとらわれず、車のメーターや気圧計、1970年代の音響機器、ビンテージの8mmカメラなどをオマージュした“レトロ・フューチャー”なデザインが特徴だ。日本製で信頼性の高いベースムーブメントに片山氏が手作業で微調整を重ねて設計・製造したモジュールを加え、時刻を独創的に表示する。削り出しの切削痕をあえて残したストレートヘアラインやサンドブラスト仕上げなど、金属素材の「生の質感」を重視したディテールは、眺めているだけでワクワクする時計だ。
24年には「時計界のアカデミー賞」と言われるジュネーヴ・ウオッチメイキング・グランプリ(通称:GPHG)で、3000スイスフラン(現在なら約60万円以下)の時計に贈られる「チャレンジウオッチ」部門でグランプリを受賞。一躍、世界中の時計愛好家に知られる存在となった。
独創的なデザインと機能に加えて、誠実な価格設定、驚異的なコストパフォーマンス、独自の販売方法も、「大塚ローテック」が時計愛好家から絶賛される理由だ。スイスの独立系小規模ブランドなら3~5倍の価格になる凝ったメカニズムや仕上げなのに、代表的なモデルは数十万円以下。そして販売方法も、公式ウェブの登録者に告知し、抽選して、当選者に販売する。極めて公明正大で、欲しい人が誰でもアクセスできるから素晴らしい。
幻の国産時計ブランド「タカノ」は
熱烈なファンとして浅岡肇が復活
そして「タカノ」は、国産時計が続々と誕生して日本の時計産業が発展した1950年代、当時最高峰の技術力を誇りながら、わずか5年足らずで姿を消した幻の国産時計ブランドだ。プロダクトデザイナーを経て11年に日本人初の独立時計師として時計作りを独学で開始し、現在はスイスの独立時計師協会(AHCI)の正会員で「現代の名工」でもある浅岡肇(あさおか・はじめ)氏が、熱烈なファンとして復活プロジェクトに取り組んだ。24年に自身の会社である東京時計精密傘下のブランドとして復活させている。
オリジナルである1950年代の「タカノ」製品を彷彿させるクラシックなセンターセコンド(中3針)のシンプルなデザイン。国産の自動巻きムーブメントをベースに、独自の精度調整は社内で徹底的に行って、時計の本質を誠実に追求している。日本の時計として初めて、フランスのブザンソン天文台のクロノメーター検定に合格したという物語もある、高精度な機械式時計だ。こちらも販売方法は「大塚ローテック」同様。極めて公明正大で、欲しい人が誰でもアクセスできる時計になっている。
2つのブランドを口説いたのは、1年前まで
時計のことを何も知らなかったバイヤー
この常設展示は、同店の橋本久弥(はしもと・ひさや)時計担当バイヤーと横溝真紀(よこみぞ・まき)アシスタントバイヤーの熱い情熱に、東京時計精密の浅岡肇社長と「大塚ローテック」の片山次朗氏が共感したことで実現した。
橋本バイヤーは、「私が時計バイヤーになったのは1年前。時計のことは、ほとんど何も知らなかった。でも時計売り場をより多くのお客さまに楽しんで頂きたい。その中で日本にも『大塚ローテック』と『タカノ』という、時計好きの方に圧倒的に支持されている、クリエイティブな時計があることを知った。私たちの使命は、日本発のクリエイションを文化として世界へ先駆けて届けること。だからこの時計を売り場で見て頂きたい。時計が好きなお客さまの、感性に素直に従って時計を選ぶ傾向は強まっている。一方、新宿本店にしかできない提案については、まだまだ課題があった。そこで『無理かもしれない』と思いながら、ダメ元でお願いをした」と常設展示の理由を語る。
「大塚ローテック」と「タカノ」にとっても、橋本バイヤーからの申し出は絶妙のタイミングだった。きちんと見せられる場所を探していたという。東京時計精密の浅岡社長は、「これまでは基本的にネット販売。時計は高額なので、写真だけで理解していただくのは、メーカー側にとってもお客様にとっても良くない。『実物を見せたい』という思いがあったので、伊勢丹に置いていただけるのはありがたい」と語る。対して「大塚ローテック」の片山氏は、「最初は抵抗もあった。単に『有名な時計を揃えています』という扱われ方になるのではないか?と思っていたから」と本音を打ち明けるが、「ただ、きちんと意図を持って展示できるのであれば、これはチャンスだと思った」と続ける。
店舗の説得までに半年
今後も抽選販売を継続
この常設展示は販売を主たる目的とせず、ジュネーブ・ウオッチメイキング・グランプリの受賞トロフィーや国際的に貴重な名品を間近に鑑賞できる、文化的な発信の場になっている。これまで通り購入希望者は店頭ではなく、各ブランドの公式サイトに抽選販売を申し込む形式だ。ゆえに伊勢丹では、社内の説得に半年ほどかかったという。橋本バイヤーは、「前例のない試みだが、時計売り場には時計の歴史やパーツの特徴を見せる展示もある。そうした要素も含めて、『新宿伊勢丹に行ってみよう』と思っていただくことが大切。『現代の名工』にも選出されたおふたりの、芸術性の高いクリエイションを心ゆくまで堪能し、驚きや面白さ、学びを感じていただける体験をつくりたい」という。