アメリカを代表するアーティストとして長年ロック・シーンを牽引してきた“The Boss”ことブルース・スプリングスティーン(Bruce Springsteen)。76歳となった今もなお精力的に活動を続ける生ける伝説の、知られざる一面を捉えた伝記映画「スプリングスティーン 孤独のハイウェイ」が11月14日から公開される。ウォーレン・ゼインズが執筆した「Deliver Me from Nowhere」を原作とする本作が焦点を当てるのは、全世界で3000万枚以上売り上げたスプリングスティーン最大のヒット・アルバム「Born in the U.S.A.」(1984年)の直前、1982年に発表された6thアルバム「ネブラスカ」の制作舞台裏だ。
監督は音楽映画の傑作「クレイジー・ハート」で知られるスコット・クーパー(Scott Cooper)。そして本作の主人公、ブルース・スプリングスティーン役として白羽の矢が立ったのは「一流シェフのファミリーレストラン」で数々の俳優賞を獲得した名優ジェレミー・アレン・ホワイト(Jeremy Allen White)。劇中の歌唱シーンは正真正銘彼の歌声だ。またジェレミー・ストロング、ポール・ウォルター・ハウザー、スティーヴン・グレアムら実力派が脇を固める。
待望となるスプリングスティーンの伝記映画があえて、異色のアルバムである「ネブラスカ」に焦点を当てたのはなぜなのか。クーパー監督の考える「ネブラスカ」の立ち位置、当時のアメリカとスプリングスティーンが抱えていたもの、そしてスプリングスティーン本人から「伝記をつくる上でたった一つお願いされたこと」などについて話を聞いた。
映画化に至るまでのプロセス
——まずは本作の映画化に至るまでのプロセスからお伺いできますか?
スコット・クーパー(以下、クーパー):後にこの映画のプロデュース・パートナーとなる方から、「ブルース・スプリングスティーンの『ネブラスカ』は好きか?」とだけ書かれたメールが送られてきたんです。私は「好きじゃない人なんていますか?」と返信しました。そのメールがきっかけでスプリングスティーンの伝記本「Deliver Me from Nowhere」を知り、その後、著者であるウォーレン・ゼインズと面会することができたんです。彼は私と伝記の映画化の可能性について語り合った上で、ブルース・スプリングスティーンと(マネージャーの)ジョン・ランダウとの面会を手配してくれました。
後日、ニュージャージーで私はブルースとジョンの2人に会いました。彼らはどちらも大の映画ファンなんです。私の映画も全部観てくれていて、うれしいことにブルースの人生──とりわけ彼の人生において非常に特異で個人的な時期──を彼の「ネブラスカ」のように妥協なく、生々しく、ありのままに解釈できる人物として私を認めてくれました。そして私はブルースから脚本を執筆して映画をつくる許可を得ることができました。本当に感謝してもしきれません。
——常に“その時代”を歌ってきたスプリングスティーンを映画化するということは、すなわちその当時のアメリカという国を描くということと言っても差し支えないと思います。「ネブラスカ」がリリースされた頃は11歳だった監督から見て、当時のアメリカはどんな国だったのでしょうか?
クーパー:良い質問ですね。ブルースが「ネブラスカ」で書いた1981〜82年のアメリカは、今のアメリカの状況とかなり似た点があると思います。昔も今も、アメリカには“精神的な空洞”が存在しています。孤独感が蔓延し、人々のあいだにはストレスや不安、怒りが渦巻いています。そして階級間の分断はますます深まっている。時折男性はメンタルヘルスについて率直に、弱さをさらけ出して語ることを避けます。場所によってはそれを語ること自体が、今でも“静かだがラディカルな行為”とみなされるのです。ブルースが82年に歌った人々——労働者階級の男たち、寡黙で、不器用で、痛みを言葉にするのが極端に苦手な男たち、弱さを見せることを恥とする男たち——、彼は現在もそういう人々のことを歌い続けています。今のアメリカは限りなく分断された状態にあります。でもそれはベトナム戦争終結後の80年代初頭にも感じていたことでした。
ブルースの素晴らしいところは、82年当時も今も変わらず、アメリカを闇雲に神格化しないことにあります。彼はアメリカを批判し、嘆き、挑みかかる。なぜならより良い国にできると信じているから。ブルースが綴り歌う人々も同じ信念を胸に物語を始めます。ですが、アメリカン・ドリームに手を伸ばそうとしても届かない現実がある。ブルースは、まさにその“届かない人々”の声を代弁してきました。そして82年当時、そうした人々が大勢いたのです。
——スプリングスティーンの伝記映画が「ネブラスカ」に焦点を当てると聞き、最初は驚きました。彼の王道的な物語的と聞くとディランの再来と呼ばれたデビュー当時、名実共に大成功を収めた「Born To Run」(75年)、歴史に名を残した「Born in the U.S.A.」(84年)などを想起するためです。この「ネブラスカ」というアルバムはスプリングスティーンのディスコグラフィでどういう位置付けにあると監督は考え、「Deliver Me from Nowhere」を映像化しようと考えたのでしょうか?
クーパー:私自身、「ネブラスカ」はブルース・スプリングスティーンの中で一番好きなアルバムなんです。このプロジェクトが始まるずっと前から、他の脚本を書くときいつも聴いていました。私にはミュージシャンの友人がいますが、彼らの多くにとってもこの50年で最も影響力のあるアルバムだと思います。ブルース自身が語るように、彼にとって「ネブラスカ」は最も個人的、かつ不朽の名盤であり、ブルースの素晴らしいディスコグラフィの中でも他に類を観ない作品です。実際のところ、彼はそのアルバムを意図的につくろうとした訳ではありません。彼はそのデモをつくらざるを得なかった。そしてそれが後に傑作と呼ばれる作品へと昇華したのです。
このアルバム全体を貫くテーマは、とても個人的な視点から私の心に訴えかけてきます。またそれはブルースが「ネブラスカ」から今日に至るまで全ての作品を通じて常に探求し続け、ファンがこぞって愛するテーマの一つでもあります。いわばその後のブルースの音楽、その重大な起源と言えるでしょう。だからこそ、私個人にとっても「ネブラスカ」はとても特別な位置付けにある作品なのです。そして「ネブラスカ」制作当時は、ブルースにとって最も正直で、無防備で、人生で最も苦痛に満ちた時期でした。そこに焦点を当てること、それはブルース・スプリングスティーンが歩んできた他の時代では捉えられなかった物語を伝える唯一の方法であり、だからこそ映画化に相応しい題材だと考えたのです。
本作での脚色
——日本ではまだ翻訳されていないため原作を読めていないのですが、1980年前後のスプリングスティーンはさまざまな変化を迎えていた時期かと思います。例えばMUSEコンサートで初めて政治的な活動と向き合ったり、ヨーロッパツアーを経験したり、退役軍人と交流するようになったり。ただ物語として描く上ではそれらの出来事をいろいろ削ぎ落とす必要があったと思うのですが、何に重きを置いて脚色作業に取り組んでいったのでしょうか?
クーパー:特に重要視したのは、ブルースのメンタルヘルス、そして父親との関係性でした。父親は冷淡で非情な人物でしたが、精神疾患を患っており、後に統合失調症であることが判明しました。その一方でブルースには愛情深い母親がいたので、父との関係に折り合いを付けることを図り、それを音楽制作を通じて実現させようとしたのです。「ザ・リバー」(80年)のツアーで大成功を収めた頃の彼は、外側から見れば「高揚感を覚え、創造的にも精神的にも豊かな時期だった」と思われるかもしれません。でもブルース自身にとってはそうではなかった。映画で描いた通り、ツアーを終えた彼は静寂がかえって騒がしく感じられるようになった。ブルースは自分が静かに崩れ始めていることを悟り、否応なく自身の内面を深く見つめざるを得なくなったのです。
後に彼自身が語っていますが、その頃の彼は“感情的なめまい(emotional vertigo)”の状態にあったんです。築き上げてきた人生と内に抱える重みが、どうしても釣り合わないという感覚です。ブルースは取り憑かれていたんです。ゴシック的でなく精神的な意味で、父親という存在やアメリカ神話、そして「人は壊れてしまうのか、それとも始めから壊れて生まれてくるのか」という問いに。
そして彼は精神的危機に陥りました。孤立し、突き動かされたように曲を書かずにはいられなかった。もちろん当時の彼には、自分の感じていることを自己診断する術など分かりませんでした。ただ父親との関係を通して、その影が自分にも迫っていることを感じ取っていたのです。そしてその状態から生まれた作品こそが「ネブラスカ」だった。彼はレコードを作るためにあの部屋に入ったわけではなく、どうしても吐き出したい何かに突き動かされてあの部屋で録音を始めたのです。そして生まれたのは、午前3時に自分だけに打ち明けるような、骨のようにむき出しで、告白めいた曲たちでした。
そんなブルースが助けを求めるきっかけを与えたのはマネージャーであり、親友でもあるジョン・ランダウでした。彼の友情と導きによってブルースはメンタルヘルスのためのセラピーを受けるようになります。それは簡単ではなかった。というのも82年当時、男性たちは自らの痛みをどう言葉にしていいのか分からなかったし、そもそも語ろうとすらしなかった時代ですから。父親も、ブルース自身もそうでした。劇中でジョンがブルースにこう言うんです。「これまで君の人生でつらい時期を幾度も支えてきた。でももう私には助けられない。専門家の助けが必要だ」と。そしてブルースは実際に専門家による助けを受けたのです。
だからこれは、ブルース・スプリングスティーンという“アイコン”を描く作品ではありません。私はこの映画からあらゆる偶像性を削ぎ落としたかったのです。そこにいるのは、痛みを抱え、助けを必要としている一人の男です。時に苦しみ、助けを必要とする私たちと同じように。それこそが映画監督として私が興味を持った点であり、この作品の核心でもあります。この映画は、音楽によって自らを癒やしていく“見捨てられた魂”の物語なんです。
車の意味するもの
——中古車に乗り続けていたスプリングスティーンが初めて新車のカマロを購入するシーンも描かれますが、それは彼の変化を表すエピソードでもありますね。その後も車でのシーンが印象的に使われていますが、スプリングスティーンにとって車とは何を意味すると考えますか?
クーパー:私たちは車というものに強く惹かれ、時に取り憑かれたように夢中になりますよね。ブルースも車が大好きなんですが、劇中で彼は新車についてこう語ります。「少し派手かもな(it's a little fancier than I'm used to)」と。忘れてはいけないのが、ブルースの家は18歳になるまで温水すら出なかったことです。彼は極貧の中で育ちました。彼が劇中で感じ、今も同じだと語っているのは、「自分はもうフリーホールドの町で共に育った人々と同じではない」ということ。彼はアイコンとして想像を絶するほどの富を手にしました。ですが根の部分ではとても謙虚で、寛大な人間です。ブルースは最終的に映画に登場したあの車を購入しました。というより買い戻した、と言う方が正しいかもしれません。というのもあの車は、彼がかつて本当に所有していたものだったんです。ブルースはいつも、心の拠り所となる温もりある場所に戻っていきます。あの車を買ったことも、彼にとってはそんな瞬間のひとつなのでしょう。
映画の後半で、ジョンはブルースについて妻にこう打ち明けます。「ブルースはこれから訪れる成功を恐れている」と。当時のブルースは自分に何が起きるかを見通していましたが、それを受け入れるのはとても難しかった。この映画は彼のメンタルヘルスや幼少期のトラウマに起因する精神的な危機を扱いながら、同時にブルース・スプリングスティーンという人物が世界的スターに変わりゆく過程を描いています。そしてその成功の大きさが彼を怯えさせ、今なお完全に受け入れることができず苦悩している。でもどれだけ変わろうと、結局彼は車へと行き着きます。彼は昔も今も変わらず、速い車が大好きなんです。
ジェレミー・アレン・ホワイトの起用
——テレンス・マリックの映画「バッドランズ」(73年公開 邦題「地獄の逃避行」)に影響を受け、チャールズ・スタークウェザー(11人を殺害したアメリカの連続殺人犯)を題材とした楽曲「ネブラスカ」を書いたという逸話は有名ですが、驚いたのはもともと二人称で俯瞰的に書いていた歌詞を一人称で主体的な内容に変えたこと。そこには彼のどのような心境的変化があると考えたのでしょうか?
クーパー:ツアーから帰宅したブルースは、幼少期のトラウマに葛藤していました。彼はアメリカで言うところのチャンネルサーフィン——チャンネルを次々と切り替えテレビを見ること——をする中で、マーティン・シーンとシシー・スペイセクが出演した「バッドランズ」に釘付けになります。彼が初めて観たその映画の物語は、まるでセイレーンの歌声のように彼を魅了しました。そして翌日には図書館で映画の題材となったチャーリー・スタークウェザー事件について調べ始めたのです。おそらくブルースを突き動かしたのは、「バッドランズ」という作品に流れるテーマそのものだったのでしょう。そのテーマは彼に「ネブラスカ」という楽曲を書くきっかけを与えた一方、幼少期のトラウマと向き合わざるを得ない“より暗い場所”に彼を導いていったのです。
あなたが言及した特別な瞬間——彼が歌詞の人称代名詞を「He/him」から「I/me」に変えた場面——は、ブルース自身が「自分の中にある闇と対峙し、スタークウェザーの精神状態に自分も陥っていくのを感じていた」と語っています。それは創作する上での極めて危うい賭けでした。ですが彼にとって、それだけが「ネブラスカ」で描く人物たちにアクセスする唯一の方法だったのだと思います。自発的にそうしたというより、おそらくスタークウェザーについて徹底的に調べるうちに、次第に彼の視点で物事を見るようになった。そしてその視点のまま曲を書き上げることができたのです。
——少年時代から、スプリングスティーンが「Born to Run」を歌うライブシーンにジャンプした瞬間の高揚感が忘れられません。ジェレミー・アレン・ホワイトの圧巻のパフォーマンスにただただ驚かされましたが、監督は彼のどのような部分がスプリングスティーンに相応しいと考えて起用したのでしょうか?
クーパー:ジェレミー・アレン・ホワイトを起用したのには、いくつかの理由がありました。私自身、ドラマ「一流シェフのファミリーレストラン」で彼の非凡な演技に驚かされて以来、彼のファンなんです。81年当時のブルースの写真を見たときに、2人はどこか似た骨格と雰囲気を持っていることに気付きました。どちらも非常に内省的な表現者で、ジェレミーの演技には激しさと脆さ、そして誠実さが魅力的に同居しています。実際にその人生を生きてきたような存在感を出せる彼であれば、スクリーン上にブルースの複雑さをリアルに表現できると確信させてくれました。
さらに言えば、ブルース・スプリングスティーンを演じる上で欠かせない二つの要素があると思うんです。それは謙虚さ(humility)と自信(swagger)です。後者は生まれ持つか否かであり、演技学校で学べるようなものではありません。ジェレミーにはそれが確かに備わっていました。こうした要素全てが、彼こそブルース・スプリングスティーンを演じるに相応しい俳優だと確信させたのです。繰り返しますが、私が目指したのは物真似でも模倣でもありません。ブルースのスピリット──創造の魂、感情の魂、そして精神の魂──を体現することだったのです。
——撮影監督の高柳雅暢(たかやなぎ・まさのぶ)さんとは今作で5回目のタッグですね。高柳さんとの仕事のどういった部分に魅力を感じていますか?
クーパー:高柳雅暢は世界で最も優れた現役の撮影監督の一人だと思っています。今や親友である彼とこれまで5本の映画をつくってきましたが、我々は感性が共通しているんです。世界の見え方が似ていると言いますか。彼の構図や照明に対する鋭い感覚は本当に素晴らしいのですが、私がマサを何より尊敬しているのは、その才能を決して見せびらかさないことにあります。彼の技は抑制が効いていて、観客に「このカメラワークの巧みさを見てくれ」とアピールしない。私の子どもたちにカメラを渡すと彼らはまずそれを動かそうとしますが、私はこう言います。「カメラを動かさないこと、そこには確固たる芸術的勇気が必要だ」と。
マサは、私がこの映画を「ブルース・スプリングスティーンが「ネブラスカ」を制作したのと同じ精神で撮りたい」と思っていることを理解してくれていました。つまり、ミニマルで、荒削りで、飾り気のないやり方です。カメラは決して動じず、ただ真実を映し出す。マサと私は、一緒に手掛けてきたすべての作品でそれを実現しようとしてきました。
——本作同様に音楽を題材とした「クレイジー・ハート」でも知られる監督ですが、フィクションであった「クレイジー・ハート」と比べ、伝記作品である本作との向き合い方はどのように違ったのでしょうか?
クーパー:ご存知かもしれませんが、「クレイジー・ハート」の主人公バッド・ブレイクはマール・ハガード、ウェイロン・ジェニングス、クリス・クリストファーソンなど、実在する複数のミュージシャンの要素をミックスさせた架空の人物でした。一方、この映画が扱うのはアメリカ文化の象徴であり、ツアー活動を通じて今も変わらず人々の意識に存在し続ける実在の人物です。「クレイジー・ハート」で創造したキャラクターには実在のファンはいませんが、ブルース・スプリングスティーンには世界中に熱狂的なファンがいます。
しかも彼は今も健在であり、40年以上も「彼の生涯を映画にしたい」という提案を全て断り続けてきた人なんです。そんな彼が初めて他者に自分を語らせることを許した。それが私であり、だからこそ大きなプレッシャーが伴います。もっとも、それは自身に課したプレッシャーであり、ブルースやジョンからの圧力や指示などはありませんでした。ブルースからはたった一つ、「私を聖人化したり、神話化するのだけはやめてくれ」とだけ言われたんです。それに対し私はこう返しました。「これは“ザ・ボス”の映画ではありません。過去と向き合い、内なる悪魔と対峙しながら傑作を書き上げようとする一人の男の、短い期間の物語です」と。
この映画はブルース・スプリングスティーンの全てを語るものではありません。「Born to Run」でも「Born in the U.S.A.」でもない。でも私にとってこの「ネブラスカ」こそが、ブルースの中で最もパンクな作品だと思っています。音の意味でのパンクではなく、その精神のあり方が、です。彼はその作品で「シンプルさがラディカルになり得る」と示しました。繰り返し言いますが、彼はこのアルバムをつくろうとしたのではなく、つくらずにはいられなかったんです。
では、ニュージャージー州コルツネックの借家に一人籠る男を題材にしようと思ったときに、どうすればそれを映画的に見せられるか? どうすれば共感を得ることができるのか? その答えは一つです。ブルース・スプリングスティーンというスターではなく、痛みを抱えた一人の男をできるかぎり等身大に、共感できる存在として描くこと。映画を観終えたとき、私がその目標を達成できたと感じてもらえることを願っています。
映画「スプリングスティーン 孤独のハイウェイ」
◾️映画「スプリングスティーン 孤独のハイウェイ」
11月14日から全国ロードショー
監督・脚本:スコット・クーパー
原作:ウォーレン・ゼインズ著「Deliver Me from Nowhere」
主演:ジェレミー・アレン・ホワイト(ブルース・スプリングスティーン)
共演:ジェレミー・ストロング(ジョン・ランダウ)、ポール・ウォルター・ハウザー(マイク・バトラン)、スティーヴン・グレアム(父ダグ)、
オデッサ・ヤング(フェイ)、ギャビー・ホフマン(母アデル)、マーク・マロン(チャック・プロトキン)、デヴィッド・クラムホルツ(アル・テラー)
プロデューサー:スコット・クーパー、エレン・ゴールドスミス=ヴァイン、エリック・ロビンソン、スコット・ステューバー
製作総指揮:トレイシー・ランドン、ジョン・ヴァイン、ウォーレン・ゼインズ
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
©2025 20th Century Studios
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