ここ数年、パリは10月初旬のファッション・ウイーク閉幕の数週間後に開かれるアートフェアも“アート・ウイーク”として盛り上がる。世界の美術界の注目を集める濃密な一週間の契機となったのは、22年に始まったアートバーゼル・パリ(Art Basel Paris)。以前のパリの主要現代アートフェアはFIAC(Foire Internationale d’Art Contemporain)が中心だったが、アートバーゼルがFIACを引き継ぐ形となった。この記事では、アートバーゼル・パリの公式プログラムに参加した「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」と「ミュウミュウ(MIU MIU)」、独自イベントを開催した「ディオール(DIOR)」「エイポック エイブル イッセイ ミヤケ(A-POC ABLE ISSEY MIYAKE)」「アクネ ペーパー(ACNE PAPER)」「エルメス(HERMES)」傘下の「ピュイフォルカ(PUIFORCAT)」など、“アート・ウイーク”を彩ったイベントを現地からレポートする。
>パリに超富裕層と美術関係者が大集結、「ルイ・ヴィトン」は村上隆とコラボ “アート・ウイーク”現地レポートVol.1
「ミュウミュウ」は新感覚アート体験を提供
30人のパフォーマーが人間や動物、天候を演じる
昨年からアートバーゼル・パリの公式パートナーを務める「ミュウミュウ」は、イエナ宮(Palais d’Iena)で特別パフォーマンスを開催した。一般公開したプロジェクトを手がけたのは、イギリス出身のアーティスト、ヘレン・マーテン(Helen Marten)。1974年生まれの彼女は、多彩な手法を駆使して独自の世界観を構築するアーティストで、2016年にはターナー賞(Turner Prize)を受賞している。物質や形態、言語の関係性を探求する知的でユーモラスな表現で知られ、今回は初めてパフォーマンスに挑戦した。
“30 ブリザード.(30 Blizzards.)”と題した本作は、彫刻と絵画、映像、文筆など、異なる表現媒体を交差させながら、観客が空間を歩き回ることで作品の構造を身体的に体感できるよう設計している。会場の中央には映画のセットを思わせるステージを設け、頭上では円形に動く工業用レールの上をコンテナが絶え間なく巡る。コンテナには、本やスプーンといった日常の小さな物が入っており、世界は常に動き続けている事象をメタファーとして表現する。会場を貫く軸線上には、5体の彫刻と映像スクリーンが並び、夢のような風景や不安を孕む室内の映像に、一人語りのサウンドトラックが重なる。それらを通して一人の女性の幼少期から老年期までの人生の出来事や、セクシュアリティ、心の内面、喪失体験など、人間の断片を映像と音声で詩的に浮かび上がらせる。
そこへ「ミュウミュウ」の衣装を纏った30人のパフォーマーが入れ代わり立ち代わり現れ、歌い、踊り、語りかける。ある者は窓辺でエッフェル塔を見つめ、またある者は産業用レールに沿って歩き、あるいは静かに徘徊する。歯科医や船員といった人間もいれば、鳥や狐、犬といった動物、風や雨などの天候、家や庭といった空間、さらには希望や欲望など抽象的な存在として、固有のキャラクターを与えられている。“ブリザード(吹雪)”を象徴する彼らは、人間の気分やエネルギー、記憶や感情は、周囲の環境によって常に変化していくことを示すメタファーとして存在する。パフォーマンスは、歌や台詞を通じて関わり合いながら、人間の感情や交流を天候に見立てた寓話として展開されていった。演出は、演劇・オペラ監督のファビオ・チェルスティッチ(Fabio Cherstich)が担当し、音響はロンドンを拠点に活動する音楽家ベアトリス・ディロン(Beatrice Dillon)が手がけた。
マーテンは言葉や音、動き、空間といった要素を組み合わせながら、視覚的な体験を超えて、観る者の感覚や記憶に入り込んでいく新感覚のパフォーマンスを作り上げた。それは非常に複雑で、一筋縄ではいかない構成を持ちながらも、驚くほど親密な感覚を伴っていた。理屈ではなく、感じること。思考ではなく、体の奥に響くもの。イエナ宮の不思議な空間には、目に見えないが確かに“生きた感覚”を与える瞬間があった。「ミュウミュウ」とマーテンスによるプロジェクトは、アートを展示から“体験として共有するもの”へと変える、新しい形の表現を提示した。
“ディオール レディ アート”は10周年
10人のアーティストが参画。本店でお披露目
「ディオール」は、“ディオール レディ アート(Dior Lady Art)”プロジェクトの10周年を記念するイベントをモンテーニュ本店で開催した。1995年に誕生し、故ダイアナ元皇太子妃にちなんで名づけられたアイコンバッグの“レディ ディオール”は、メゾンのタイムレスなエレガンスを象徴する存在だ。2016年以降、「ディオール」はこのバッグをキャンバスに見立て、現代アートの文脈で再構築する試みを続けてきた。これまでに協働したアーティストは99人にのぼり、ファッションとアートの境界を横断する創造のプラットフォームとして確立している。
10周年を迎える今回のエディションには、イギリス人現代美術家マーク・クイン(Marc Quinn)、韓国生まれで日本を拠点とするアーティスト李禹煥(リ・ウファン)、フランス人画家イネス・ロンジェヴィアル(Inès Longevial)ら10人のアーティストが参画。それぞれの美学を“レディ ディオール”に投影した新作を、旗艦店内の空間で披露した。
歴代アーティストの作品も合わせて回顧したイベントでは、日本人作家の作品も並ぶ。21年に参画した現代美術家・大庭大介は、偏光塗料とホログラフィックな質感を駆使し、光の反射によって色彩が移ろうバッグを制作。見る角度や時間帯によって印象を変えるその作品は、“光そのものを描く”という彼のペインティング哲学を体現し、クラフトとアートの境界を曖昧にする。2年前に参画した現代美術家・森万里子は、宇宙的なスピリチュアリティと光のシンボルを“レディ ディオール”に溶け込ませる。テクノロジーと精神性、伝統と未来を結ぶ表現は、「ディオール」の詩的な美学と深く共鳴する。店舗内でのイベントで来場者は、アトリエの卓越したクラフツマンシップと、世界各地のアーティストたちによる多様な創造の軌跡を間近に体感する機会となった。