ファッション

漆塗りスノーボードで雪山を疾走し話題に 23歳の漆作家、杜野菫が伝統工芸に吹き込む新しい風 

PROFILE: 杜野菫/漆作家

杜野菫/漆作家
PROFILE: (もりの・すみれ)2002年生まれ、青森・十和田出身。八戸中央高校卒業後、京都伝統工芸大学校に入学。漆工芸の加飾技法の1つである蒔絵を専攻し、25年3月に卒業 PHOTO:KAZUO YOSHIDA

漆工芸と聞いてイメージするのは、お堅くて古いイメージ。そんな世界に絶賛新風を吹き込んでいるのが、2025年の春に京都伝統工芸大学校を卒業したばかりの漆作家、杜野菫さんだ。卒業制作として手掛けたスノーボードやスキー3台「雪中用漆具三式」、それを自ら身につけて和服姿でゲレンデを疾走する姿がSNSで話題になり、今夏には東京・日本橋のギャラリーで個展の機会も得た。バズをきっかけに、制作オーダーや企業からの協業依頼も増えているという。ファッションも大好きと語る杜野さんに、時代を経ても褪せない漆工芸の魅力やモノ作りについて聞いた。

WWD:青森県の十和田出身。今は京都で漆工芸に打ち込んでいる。

杜野菫(以下、杜野):親がアウトドア好きだったので、登山やスキー、自転車などに親しんで育ちました。小学生の頃から体調不良でやや不登校気味になって、家で絵を描き始めたのが中学時代です。高校は通信制の学校を選んで、デッサン教室に通ったり、自分でアートイベントを開いたり。ただ、高校卒業後の進路を考えるようになったとき、大学でアートを学ぶというのは自分としては何かが違うなと感じるようになりました。(息を吸って吐くように)生きるために絵を描いてきたから、違和感を覚えたんです。それよりもモノを作ること自体が楽しかったから、何かを作ることにフォーカスしたいと考えるようになりました。

WWD:母校である京都伝統工芸大学校との出合いは。

杜野:教員をしている親が偶然、京都伝統工芸大学校のパンフレットを持って帰ってきました。国や京都府、伝統工芸の産業界が支援し、伝統工芸に携わる職人を養成するための学校です。アートとはちょっと違う目線でモノ作りができて、工芸という実用品を作れるというのは面白い。しかも大卒資格も取れる。進路としてこれはいい選択肢だと思いました。

WWD:一口に伝統工芸と言っても、さまざまなジャンルがある。その中で漆工芸を選んだ理由は。

杜野:中高時代に細密画のような絵を描いていたので、(蒔絵をはじめ多様な加飾技法がある)漆工芸とは相性がいいだろうと考えました。それに漆って、木材だけでなくガラスや金属、プラスチックなどさまざまなものに塗れて、平面に限らず立体物にも塗ることができるんですよ。それなら、表現として伝統に収まらない領域に行けるんじゃないかと考えました。漆工芸は割れないように、下地から非常に丈夫に作っていくものです。ぜいたく品ではなく実用品だからこそ、現在まで続いてきたんだと思う。そこにも共感しました。

「私だからこそ作れる
伝統工芸がある」

WWD:伝統工芸というと、一般的に後継者難がよく話題になる。

杜野:学校には、後継者になりたいという子がたくさんいました。問題は後継者がいないことではなく、工芸品の需要が減っていることだと思う。仏壇仏具などがなかなか求められなくなっている中で、親方は自分の代で終わりにしようと弟子を取らなくなっています。だったら、漆工芸で実はこんなこともできるんだよって、新しい需要を作っていけば状況は変わるんじゃないか。幼いころからのバックグラウンドで、私はアウトドアアクティビティーを含め多趣味だし、若い感覚も理解できる。こんな私だからこそ作れる漆工芸があるんじゃないかと考えるようになりました。

例えば、漆塗りのスノーボードやスキーをきっかけに、漆工芸自体に興味を持つ人も出てくるかもしれませんよね。こういうものを作ることで、王道の伝統工芸も次の時代につないでいけるんじゃないか。それに、(漆塗りのスノーボードやスキーは)純粋にかっこいい。それだけでも十分価値があると思います。歴史的に見ても、私がやっていることは決して邪道で型破りなわけではないんです。だって、漆塗りの兜(かぶと)やお茶道具も、作られた当時は最先端のアイテムで、それをかっこよく丈夫にしたいという考えで職人は漆を塗ったはず。漆工芸と聞くと今はどうしてもお堅くて伝統的なイメージになりますが、漆は水と空気以外になら塗ることができて、塗ることで丈夫になる。それが漆工芸の価値です。学校では、ピアノやヴァイオリンに塗っている子もいました。

WWD:漆工芸でスキーやスノーボードを扱うことに、学校の先生は驚かなかったか。

杜野:ありがたいことに、何に漆を塗っても「面白い」と言ってくださる先生方に恵まれました。「そんなふざけたものは作るな」とおっしゃる先生も実際いるでしょうし、そういう考え方ももちろん理解はできます。スノーボードやスキーを作るアイデアは学校に入ってすぐのころから温めていて、1年生のときにまず作ったのがヘルメット。現代版の兜です。私はもともと、高校生のころから自分や知人のスノーボードに絵を描いていました。(アニメや漫画の主人公などを大胆にペイントした)いわゆる“痛板(イタいた)”です。趣味の世界ではみんな自分だけのオンリーワンなアイテムを求めていて、“イタい”ことだってその人だけのスタイルになる。そんなふうに、オンリーワンに価値を見出すカルチャーをずっと身近に感じてきました。オンリーワンのものを作ってほしいと依頼されるのは、作り手にとっては非常に光栄なことです。(量産をせず、依頼主のオーダーを受けて作る)工芸品は、まさにオンリーワン中のオンリーワンです。

WWD:卒業制作で作った計3台の漆塗りのスノーボードやスキーは、スノースポーツ愛好者をはじめSNSで大きな話題になった。

杜野:SNSにアップしたときの反応は思った以上に大きかったです。漆工芸を購入する人は、漆工芸に普段から親しんでいる人ではないというマインドセットで制作に取り組んできたので、あの3台が(スノースポーツ愛好者という)特に漆工芸に詳しくない人たちに伝わったことはまさに狙い通り。「漆工芸なんてよく分からない」という人に、「でもこれはかっこいいな」と思ってもらえたわけですから、自分が頑張って作ってきたものは間違っていない、正しい方向に進めていると手応えを感じました。

WWD:制作にはどれくらいの時間がかかるものなのか。

杜野:卒業制作の3台は、1台につき10カ月〜1年をかけて作りました。3年生の冬に何を作るかやデザインを決めて、春休みには下塗りを開始。1度塗ったら1週間、長いときは1カ月乾かすといった工程を繰り返して作っていきます。乾かして固まったら、ようやく次の技法に移ることができる。人間国宝の伝統工芸士の制作風景をDVDで見ると、下地を塗ってから半年おくといったこともままある世界です。一般的に卒業制作と聞くと、ギリギリのタイミングで学校に泊まり込んで、徹夜で締め切りに間に合わせるといったイメージがあるかもしれません。でも、漆工芸はそもそもそんなことはできない。私は大きな作品をたくさん作っていたので、塗るときは一気に塗って、一気に全部乾かして、といったように工夫していました。

現代の“用の美”を模索

WWD:金や銀、貝殻などを使って細工をしていくため、時間もかかる上に材料費もかさむ。

杜野:真面目に制作に向き合うためには材料費を稼ぐ必要があり、アルバイトを増やすとなおさら制作時間が減って体力もなくなっていく、という負のループを学生時代は繰り返していました。文字通り泣きながら作っていた感じです。加えて、母校は本来は学芸員の資格が取れないカリキュラムだったのに、無理をして学校で初めて学芸員の資格も取りました。本当に頑張ったので、これはちょっとした自慢です。卒業制作、バイト、資格取得と4年生の時はもう本当に忙しくて、バイトの記憶がないくらいです。

少なくとも月に3万円くらいは材料費として毎月払っていましたし、購入タイミングが重なると一気に6万円くらいが飛んでいく。(金や銀だけでなく)漆自体も安くはなく、1回しか塗っていないように見える部分も、実は複数回塗り重ねています。しかも、私は作品自体が大きい。本当に厳しい出費でしたが、勉強代だからここで材料費をケチったら負けだなと思っていました。何も考えないでとにかく買おう、ケチケチしたらダメだと自分に言い聞かせてやってきました。

WWD:卒業制作の3台には、漆工芸のどういった技法を使っているのか。

杜野:黒いスノーボードには、螺鈿(らでん)をはじめ銀蒔絵や変わり塗りなどの漆芸の技法を詰め込み、クジラを描きました。クジラは中学生の頃から好んで描いてきたモチーフです。螺鈿は貝殻の真珠層を加工して、漆を塗り重ねた表面に埋め込んで加飾していくものです。

赤いスノーボードは、立体的な目玉焼きのモチーフがポイント。漆工芸でこんなポップなデザインは、きっと意外性がありますよね。立体感は、漆と土を混ぜた“さび漆”というパテのようなものを重ねて出しています。白身の部分は、ウズラの卵の殻を針で割ってかけらにして、1つずつ針の先で貼っていく卵殻(らんかく)という技法を用いています。作っているときは、朝一番で貼り始めて、昼休憩も取らずに夜8時半に学校が閉まるまで作業をし続けていました。材料として、ウズラの卵は50個は食べています。

スキー板は技法としては非常にトラディショナルで、白檀塗りに高蒔絵というものです。下塗りをした後に全面に金箔を貼って、また塗って、また金箔を貼ってということを繰り返し、磨いて作っています。技法は伝統的でも、描いているモチーフはジャンプを決めるフリースキーヤーです。最初は技法だけでなくモチーフも伝統的なものにしようと考えていたんですが、作っているうちになんだかもっと遊びたいなと感じて、このデザインになりました。3台それぞれ異なる技法で大変でしたが、いろんな価値観を持った人が、それぞれ「私はこれが好き」「自分はこっち」みたいに思ってくれたらいいなと考えて作りました。

WWD:卒業制作以外では、スケートボードやヘッドホンなども漆工芸で作っている。

杜野:スケボーは漆を何回も塗り重ねて、彫って模様を入れていく彫漆(ちょうしつ)という技法をオマージュしたものです。漆の工芸品は傷つかないように大事に使うイメージが強いですが、スケボーの世界には乗り込んでボロボロになっている板の方がかっこいいというカルチャーがある。だから、漆を20回塗り重ねた板を実際にスケーターの友達に乗ってもらって、それを磨いて、乗ってくれた友達の名前や板を提供してくれたショップの名前を彫りました。使われてこそ美しいという“用の美”を、現代だったらこう生かすのがいいんじゃないかと考えて作ったものです。作ってみて分かったのは、漆は本当に丈夫で硬いので、乗ってもらってもなかなか剥げないということ。次に作るなら、もうちょっと漆を弱めないといけないなと思いました。

「工芸の価値は今後ますます上がる」

WWD:SNSでの拡散もきっかけの1つに、卒業制作の3台を含め、作品に買い手がついた。

杜野:売れないと材料費が払えないし生活もできないしで、本当にやっていけない。生活のためにバイトをしたら次の作品を作る時間がなくなってしまうので、買っていただけたことは本当にありがたいです。室内に飾っていただくのももちろんいいですが、私としてはぜひ雪山で乗ってみてほしい。雪山で見たら、きっと違う表情、違う魅力を感じると思います。万一傷などが入った場合は、もちろんお直しにも対応できます。

(販売価格は)技法によって異なります。オーダーをいただいてスノーボードやスキーを制作する場合は、土台となる板そのものの代金は別として、技法としてそこまで凝ったものでなければ30万円くらいからでしょうか。技法によっては100万円を超えるものもあります。デザインも1つ1つイチから考えるのでどうしてもそれくらいになります。SNSを通じてご連絡いただいて、ご相談に乗るという形でオーダーに対応しています。

WWD:漆塗りのスノーボードやスキーは、世界一のパウダースノーを求めて日本にやって来る海外の富裕層にも需要がありそうだ。

杜野:実際にほしいとおっしゃってくださる海外の方もいます。ただ、そもそも漆工芸が何なのか、どう作っているのかといったことは、今や日本人でも知らない人の方が多いですし、日本語であっても伝えるのは大変です。海外の方に技法や文化的背景も含め、漆工芸の価値を正しく伝えるのはすごく難しい。でも、少しずつ伝えていければいいなと思っています。

WWD:今後、挑戦したいことは。

杜野:ファッションも好きなので、シューズやバッグに漆を塗ってみたい。ハイヒール部分に塗ったら絶対かっこいいデザインになると思うんですよ。あとは、自分はもともと“痛板”の人なので、金粉でキラッキラにした初音ミクのスノーボードも作りたいですね(笑)。大量生産、大量消費が当たり前で、AIが何でも教えてくれる時代だからこそ、その真逆をいく工芸の価値はこれからどんどん上がっていくと思っています。機械には絶対にできないものですし、たとえ機械化できる部分があったとしても、人間のコントロールは必要です。機械化して採算が取れるというものでもない。人間がやるからこそのムラが美しいんだと思います。そういう側面をしっかりアピールしていけば、これからもっともっと、漆工芸の価値は高まっていくと思っています。

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