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織田さんが居酒屋で残した名言

 ファッション・ジャーナリストの織田晃さんが10月3日早朝亡くなった。消化器系の癌で都内の病院に入院していた。10月28日が71歳の誕生日だったから、それを前にして70年の生涯を閉じたことになる。あれだけパリコレにこだわっていた人らしく、パリコレ期間中に亡くなったというのも因縁めいている。7月のパリ・オートクチュールには取材に出掛けていた。その直後に会ったら、ひどく痩せていて「大丈夫?まさか癌じゃないでしょうね?」と冗談めかして尋ねたら、「そうだよ。癌だって言うと、皆んなビビるから言わないけど」と平然と答えていた。癌で簡単に死ぬ時代でもあるまいと思ったが、手術しないのはなぜだろうと思ったものだ。杉野服飾大学の教授を3月で定年退官して、その後に入った人間ドックで見つかったらしい。かなり悪かったのかもしれない。70年の寿命は今の時代ではちょっと短いが、南平台のマンションに住み、ハーレーダビッドソンに乗っていた「カッコつけ」のオダアキラだから、ダラダラしなくて丁度いい幕引きだったかもしれない、とあきらめようか。

 織田さんと初めてじっくり話したのは15年ほど前、恵比寿駅東口の鰻屋「松川」である。「この人鰻屋に入って鰻を食べない人なんだ」と思ったからよく覚えている。パリコレのランウエイ写真の使用について繊研新聞とWWDジャパンで共通認識を持ちたいということだった。その後繊研新聞を辞めて、WWDジャパンに編集委員として加わった。当時編集長だった私と一緒に5年ほど紙面を作ったが、かなり部数が伸びた。織田さんのおかげが大きかったかもしれない。私にとっては、ファッションを本格的に語れる人に初めて出会ったという思いだった。よく飲みよく語った。洋服を見る眼は確かだった。デザイナーを見る眼には偏見はあったが、ブレることはなかった。オートクチュールの復活を本気で信じていた。ファストファッションは大嫌いだった。新しモノ好きで街のゲテモノにも興味を示していた。政治に関してはかなりリベラルで民主党(現民進党)政権の誕生を歓迎していた、などなど。気骨はあるが、面白い人だった。

 杉野服飾大学で教えてはいたが、本人はファッション・ジャーナリストを任じていた。しかし、晩年は定期的に書く媒体はなかったようだ。これはちょっと残念というか、自他ともに任じる数少ないファッション・ジャーナリストにそういう場を与えられないこの国のファッション界の貧しさを感じてしまう。しかし、何か書く場を与えられても、「ちょっとここは営業から削除してくれと言われまして…」とか「ここはちょっと表現をソフトにしていただけませんか」と編集者から言われるのがオチだったと思うが。むしろファッション談義していた居酒屋で織田さんが放った言葉に聞くべき珠玉の名言があったような気がする。

 以前、私が「ファッション史とは、天才デザイナーたちの墓場のように見える」と居酒屋で織田さんに話したら、こう答えた。

 「そうじゃないよ。デザイナーが本当に輝くのはデザイナー人生のせいぜい5年間10シーズン。その5年間でいかに強烈なインパクトを人の心に残せるかが勝負だ。それができたら、消えて行ってもいいじゃない。デザイナーってそういう商売だよ」と諭された。この言葉はいまだに私の心に残っている。至言である。この一言だけでも、織田晃は私の心に生き続けるだろう。合掌。

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