メード・イン・ジャパンにこだわり、その縫製力・技術力で一世紀近くの間、機能的で汎用性の高いカバンを作り続け、日本、そして世界中にファンの多い吉田カバン。だがその歴史は輝かしく華やかなサクセスストーリーではなく、あくまでも「実直にモノ作りを続けていた」結果、気づけば現在の姿にまで成長していたというものだ。吉田を代表するブランド「ポーター(PORTER)」が誕生したのは創業から27年後、初のオンリーショップ“クラチカ”の一号店オープンは約60年後と、急拡大・急成長する近年の企業から見れば、その歩みはあまりにもゆったりとしたものだろう。(この記事は「WWDJAPAN」2025年12月22日&29日合併号からの抜粋です)
そんな歴史背景からか吉田のスタッフは、自分たちはあくまでも「街のカバン屋さん」であるという姿勢を変えていない。エポックメイキングなカバンを作っても、世界に名だたるメゾンとコラボレーションしても、「自分たちに華やかなところはない、カバンを作っているだけ」と各社員は語る。それは謙遜ではなく、実感によるものだ。自分たちは、職人たちによって生かされていることを知っている。まず職人がいて会社があり、そのおかげで消費者にカバンが届けられているとわかっている。初代社長・吉田吉蔵は後継社員たちに「日本の職人さんを絶やさないでくれ」と頼んだ。それは、現在も守られている。そんな血の通った温かみのある歴史が、吉田には今も脈々と流れ続けている。
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吉田カバン90年の年表
1906年
創業者、吉田吉蔵誕生
神奈川県寒川町に生まれる。12歳という若さでカバン職人となるべく修業に身を投じた。関東大震災時、17歳の吉蔵はひもの両端に家財を結び付けて肩からかけることにより、多くの荷物を運び出した。このことから荷物を持ち運ぶカバンの重要性を再確認し、以降“長く愛用される”カバン作りの理念は現在まで変わっていない。
1935年
吉田鞄製作所、誕生
吉蔵は29歳のとき、近隣に多くの職人が工房を構える神田須田町で独立。太平洋戦争では吉蔵も徴兵されるが、神田須田町倉庫に隠した仕事道具は空襲からも守られ、戦後すぐに仕事を再開できた。吉蔵が作ったカバンを銀座まで運び手売りした際に使っていたリヤカーは、現在も吉田本社にある。
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