ユニチカは11月28日、祖業の繊維事業から撤退すると発表した。金融機関への債権放棄などを含む870億円の金融支援に加え、官民ファンドの地域経済活性化支援機構(REVIC)から第三者割当増資と融資枠で約350億円を調達。繊維事業の撤退費用などの経営再建に充てる。ユニチカは、2014年にも金融支援などを受け、リストラを進めてきたが、経営再建には至らず、2025年3月期は売上高1200億円、純損失103億円と2期連続の大幅赤字となる見通しだった。抜本的な経営再建のためには、低収益でこの数年は赤字の続いた繊維事業からの撤退は不可避だったとも言える。不振の繊維事業から撤退し、高収益のフィルム事業に経営資源を集中させ、28年3月期に黒字化、30年3月期に売上高700億円、営業利益65億円を目指す。
ただ、撤退するとはいえ、ユニチカの繊維事業に価値がないわけではない。むしろ宝の山とさえ思う。
ユニチカはかつて、祖業である繊維事業を軸に多くの輝かしい実績を誇ってきた。ピーク時には日本だけでなく、ASEANや中国、遠いブラジルなどの南米にも多数の拠点を構える名門企業で、1960年代に世界の女子バレーボール界を席巻し、「東洋の魔女」とも言われた女子バレーの日本代表の大半はユニチカの女子バレー部所属だった。
昭和初期から中期まで全盛期を誇った日本の繊維産業はアジアを始めとした新興国から追い上げられ、次第に勢いを失った。ポリエステルやナイロンなどの合成繊維を主軸とする東レや旭化成などの合繊メーカーが、原料である高分子の研究開発技術をベースに、フィルムや樹脂、医療・医薬品、炭素繊維複合材料など事業の多角化を進めた一方、綿紡績などをルーツとするユニチカや東洋紡は天然繊維事業のリストラに経営資源を費やすことになり、多角化に遅れた。ユニチカの社史によると、1974〜82年のわずか8年間で、赤字や構造改革のために1000億円以上の固定資産や有価証券の売却に追われた。
天然繊維と合繊を融合した名品も
天然繊維事業のリストラに苦しんだユニチカだが、その一方で、天然繊維と合成繊維を融合した画期的な新素材も数多く生んできた。来年で50周年を迎えるポリエステルをコットンで包みこんだ複合繊維「パルパー」はその代表選手だ。イージーケアや耐久性といったポリエステルの特徴を持ちながら、風合いやタッチはコットンという両者の長所を最大限に生かせる「パルパー」は、今なお業界関係者から高い支持を得ている。
また、ユニチカの研究開発力は素材メーカの中でも高い。ユニチカはサステナブル素材の先駆けとして、1998年にとうもろこしなどの穀物を原料にした合成繊維であるポリ乳酸(PLA)繊維「テラマック」の商業生産をスタートし、PLA繊維を世界で最も早く商業化した企業だ。また、英リバティの定番素材にもなっている「タナローン」、現在でも世界最高クラスの細番手の300番単糸を誇るスビンゴールド綿糸「舞鳳凰」など、今でも同社の技術力は世界レベルにある。
繊維事業の今後は?
今後の焦点は、切り離されるユニチカの繊維事業の今後だろう。
大手素材メーカーの繊維事業の継承としては、繊維事業を中心とした粉飾決算が表面化し、経営破綻したカネボウだ。化粧品は花王が買収する一方で、繊維事業はセーレンが買収した。当時のセーレンは勢いがあったとはいえ、大手素材メーカーの繊維事業を買い取るのはある種の博打とも見られていた。だが、セーレンは買い取った繊維事業をKBセーレンとして見事に再建。カネボウ時代から蓄積してきた紡糸技術の高さが生きており、産業資材向けの研磨布や特殊なスパンデックス不織布を用いた湿布基布などを展開し、直近の2024年3月期決算では売上高155億円に対し、純利益15億円。純利益率が10%に達する高収益企業に生まれ変わっている。
製造業、特に繊維の素材メーカーの場合、事業環境が悪化すると、市場を開拓する営業やマーケティング部門の人員が削られていく。効率的な事業運営のために定期的に売り上げの見込める用途や取引先に絞り込む一方、営業やマーケティングは一人で複数の業種を受け持ち、数十トンの取引を営業が一人で担当する、ということも珍しくない。ただ、そうなると絞り込んだ用途や市場が悪化すると一気に採算も悪化する。特に現在のように市場や技術の移り変わりが激しいと、数年単位、あるいは1年で事業環境が激変することも珍しくない。
こうした状況は、必ずしも技術が弱い、あるいは競争力が低いということとイコールではない。むしろ市場を開拓する機能がないために埋もれてしまっている、ということの方が多い。ユニチカの場合、先に上げた「パルパー」「舞鳳凰」「テラマック」はいずれも業界関係者の評価は高く、惜しむ声は多い。セーレンが思い切った絞り込みと市場開拓によって、KBセーレンを高収益企業に生まれ変わらせたように、ユニチカの繊維事業にも多くの可能性が残っている。
以前、岡山県総社市の常磐工場に行ったことがある。「パルパー」や「舞鳳凰」の生産工場だ。1951年(昭和26年)設立の古き良き昭和の名残を留める同工場の入口はきれいに刈り取られた芝生のロータリーがあり、古い小学校のようなオフィスの正面入口を通って中に入ると、ピカピカに磨き上げられた木の床はギシギシと音を立てた。敷地内の建物や設備は一見、古びてはいても、どこもきれいに磨き上げられ、繊維の技術と同様に、大切に継承されてきたことが一目でわかる。国内外で数多くの繊維工場を見てきたが、文化遺産クラスの最も美しい工場の一つだった。
特に現在は大手アパレルのワールドが繊維商社のOEM事業を買収する、業界・業際の垣根を超えた合従連衡の時代だ。また、事業の譲渡先は必ずしも国内だけに限定する必要もない。ユニチカが130年もの間培ってきた繊維の技術を残すことこそが最も重要だ。国内外の企業により、ユニチカの繊維事業が新たに再生することに期待したい。