PROFILE: 高木麻衣/タカギ社長

奈良県橿原市に本社を構えるタカギは、1930年に髙木嘉蔵によって高級メリヤスの製造販売からビジネスを始めた。その後、妻であり仕事のパートナーであるアヤメ氏の発案から生理帯の製造をスタートさせ、縫製業へと主軸を移した。1961年のアンネナプキンの登場により、サニタリーショーツのパイオニアとして事業を拡大。現在では、下着メーカーとしてOEM事業のほか「アロマティック(AROMATIQUE)」「ボディヒンツ(BODYHINTS)」「アヤメ(AYAME)」のプライベートブランド(以下、PB)を展開している。同社は長崎とベトナムに自社工場を持つが、原材料の高騰や円安、後継者不足などさまざまな課題に面している。4年後に100周年を迎えるタカギは、次の100年に向け、何を守り、何を変革していくのか、4代目の高木麻衣社長に聞いた。
祖父母の時代から一貫して“心地よさ”を追求
ーー4年後に100周年を迎えるタカギの企業哲学は?
髙木麻衣タカギ社長(以下、髙木):現在は下着の企画・製造・販売が中心だが、生地を作り販売していた創業時から“心地よさ”を追求してきた。糸の選定から編み、企画、パターン、縫製に至るまで、一貫して“心地よさ”を感じるものを生み出すということ。祖父母の時代から、現状に満足するのではなく、常にさらによいものを追求していく姿勢を守り続けている。
ーー昭和30年代に生理用ナプキンの登場と同時にサニタリーショーツを販売したが?
髙木:2代目社長だった祖母のアヤメは先見の目があり、彼女の発案から生理帯を作り始めた。「ここぞ」というタイミングでユニチャームと組んでサニタリーショーツの販売を始めたそうだ。女性の社会進出が進んだ時代ともマッチした。
ーー今に例えるならフェムテック・フェムケアのリーダー的存在だが、創業から守ってきたこと、先代から受け継いだことは?
髙木: 祖父母の時代は日本経済も発展途上で、作れば売れる時代。スーパーマーケットに下着を卸し、一気にビジネスを拡大していった。当時も取引先の要望を単に反映した商品を作るのではなく、「タカギ」らしいモノづくりにこだわった。それが評価され、業績を伸ばした。3代目の父は、OEM生産だけでは限界がくると考え、2013年に「ボディヒンツ」、翌年「アロマティック」を立ち上げた。4代目である私にバトンタッチすることを見据えてのことだった。このPBを発展させていくことは、父から受け継いだ自分の役割だ。
ーー14年に「タカギ」に入社し、22年に社長に就任後、事業発展のために変えざるをえなかったことは?
髙木:高度経済成長期は、タカギが作るものは売れると思われていたし外部から投資もあった。入社して感じたのは、“心地よさ”をテーマにいいものを作っても、市場がそれを求めていないということ。作る側が目指す完成度と市場が求めるもののレベルにギャップがある。完成度の高いものを作ろうとすると開発に時間がかかり過ぎる。先を見据えて開発しても、いざ販売する時には商機を逃してしまうこともある。社長に就任してからは、市場が求めていると思われる基準のものができた時点で販売してみた。そして、お客さまの声を聞きながら商品の完成度を高めていくという体制にした。5年が経過し、それがやっと機能し始めていると感じる。以前はBtoBビジネスだけだったが、PBを作ったことで直接お客さまの声が聞けるようになったことも大きい。
使命は為替に振り回されない体制づくり
ーー高木社長が今行っている事業成長に向けての種まきは?
髙木:OEMもPBも海外市場を拡大していく。「アロマティック」と「ボディヒンツ」はすでにアメリカと台湾に卸先があるが、さらに卸先を増やすために海外市場および商習慣に精通した人と組む必要を感じている。OEMは、ベトナム工場で生産したものをジャパンクオリティの商品として現地で販売する事例ができ、問い合わせも増えている。日本製品へのリスペクトと100年近く続く会社に対する信頼があるからこそだと感じている。
ーーなぜ今、海外ビジネスを拡大していくのか?
髙木:会社の経営を振り返ってみると、為替に振り回されている印象が強い。海外で生産して日本市場だけで販売するだけだと、為替によって収益が大きく左右されてしまう。海外で販売するのは簡単ではないが、試行錯誤しながら方法を考えている。私の使命は、為替に振り回されない経営だと肝に銘じている。
ーー現在OEMと自社ブランドののビジネス比率は?
髙木:OEMが25%、大手チェーンストアなどのODMが45%、販売まで自社で行う「アロマティック」「ボディヒンツ」「アヤメ」が30%だ。
ーー理想的なビジネスの割合は?
髙木:3つのPBの売上構成比を50%まで高めたい。消耗品としての下着は価格を抑えなくてはならないため、国内ではなくアジアで生産せざるをえない。ベトナムに工場があるものの、為替の影響もあり、収益の確保が難しい。その一方で、工場を存続させるためには利幅が少なくても製造を続けるしかない。このギャップを埋めるには、PBの売上高比率を上げ、海外のOEM受注を増やすなど、収益構造を変える必要がある。
“温故知新”を合言葉に新たな分野に挑戦
ーー25年に日本国内で供給される衣料品では、国産が占める割合は1.1%(数量ベース)だ。長崎に工場があるが、メード・イン・ジャパンの現状は?
髙木:糸から選んでニット工場と二人三脚でオリジナルの生地を作り、PBを中心に採用してきたが、ニット工場hあ継承者がおらず、染色工場の廃業も相次いでる。タカギは縫製へと事業を転換したが、われわれだけではモノづくりはできない。
ーーその中でタカギが取り組んでいることは?
髙木:初任給や最低賃金が上がるニュースを聞くが、縫製業で工賃を上げるのは非常に難しい。そのため、人不足になり、技術の継承が難しい状況だ。数年かけて工場生産に携わり培う技術をどう残していくかが大きな課題だ。長年勤務している人にはその人にしかできない技術がある。その技術は、弊社の哲学である“心地よさ”と深く関係するので、どうにかして受け継いでいきたい。だから、彼らに引き継ぎ書を作ってもらい、会社の財産として残していくつもりだ。
ーー “心地よい”を追求してきたタカギを象徴する商品は?
髙木: 50年前から販売しているガーゼの肌着とショーツで、今は「ボディヒンツ」で販売している。タカギは肌着にガーゼを用いた先駆けの会社。高級品に使うようなエジプト綿の80番手の細い糸でガーゼを作り、その肌触りの良さから人気商品になった。ガーゼの肌着はタカギの象徴であり、会社を支えてきたものだ。肌触りへのこだわりや日本が持つ技術の高さを体現する素材として、今後はさらに強化し、海外に向けても販売していきたい。
ーー次の100年に向けてどのような会社を目指すか?
髙木:企業哲学である“心地好さ”の追求は継続していく。長い歴史があるから今のタカギがあり、未来がある。将来に事業をつなげていくためのキーワードとして“温故知新”という言葉をよく使っている。今の事業を大切にしながらも、下着という枠にとらわれず、新たな可能性に挑戦していきたい。これまで培ってきた技術やノウハウ、そして大切にしてきた価値観を軸に、新しい何かを生み出し、さらに発展していきたい。