アトモスの創業者・本明秀文さんの独自の目線と経験から、商売のヒントを探る連載。マイケル・ジョーダン(Michael Jordan)の最も有名なシグネチャーモデル、“エア ジョーダン 1(AIR JORDAN 1以下、AJ1)”が今年誕生40周年を迎えた。赤と黒の大胆な配色が当時のNBAでは着用禁止だったり、ジョーダンがシカゴ・ブルズでの最後の試合で最新モデルではなくAJ 1を着用したりと、数々の逸話が残っている。まさにバスケ界に革命を起こし、スニーカーカルチャーの歴史にも熱狂的なドラマを生み出した一足なのだ。その“すごさ”とは?(この記事は「WWDJAPAN」2025年2月24日号からの抜粋です)
──1985年に誕生した“AJ1”が今年40周年を迎えました。
本明秀文(以下、本明):2月8日に発売した“ブレッド(赤黒カラーの俗称)”はすごい人気だったね。原宿の「トウキョウ23」に約2000人、「アトモス名古屋パルコ」に約600人、「アトモス広島」に約400人並んだらしい。販売足数も少なかったと聞いた。
──発売前から世界で2万足、日本で2000足限定などのうわさもありましたね。
本明:でもその翌週に発売した“つま黒(ブラックトゥカラーの俗称)”は、売り切ることができなかった。昨年11月に先行発売したものの、リセール市場では小さいサイズがアメリカでも定価割れしていて、結果的にそのサイズが売れ残った。結局、スニーカーブームはリセールブーム。“ブレッド”も26.5cmから27.5cmまでだけで、300足以上も日本のリセール市場に出回っている。転売されるから人気がある一方で、たくさんリセール市場に出回ると価格が崩壊し、ブランド価値がなくなるから、ブランドは転売する人に売りたくない。「ロレックス(ROLEX)」みたいに、たとえストックがあっても客を選んで売ることになっていく。
──なるほど。ちなみに、85年と現代のスニーカーシーンとの違いは?
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