
熊本県山鹿(やまが)市に拠点を構える求人メディア運営会社あつまるホールディングスの子会社あつまる山鹿シルクが2017年に試験操業を始めたスマート養蚕。現在の生産量は繭ベースで年間10トン。自社ボディケア製品の製造販売、国内外の化粧品メーカーや食品メーカー、大学・研究機関に美容原料や経口素材、食品添加や研究用素材として原料販売を行う。
人工飼料による大規模飼育に成功
あつまる山鹿シルクはスマート養蚕を掲げ事業を始動したが、安定的に生産できるようになるまでの道のりは簡単ではなかったと島田裕太社長はいう。「養蚕は『桑畑を作り、工場を建てて、人工飼料を使えばできる』という単純な話ではない。たとえば1万頭(蚕の数え方は「匹」ではなく「頭(とう)」。これは、蚕が古くから「家畜」として育てられてきたためで、牛や馬と同じ数え方をするのが一般的)飼育しても約5000頭しか繭にならないこともあった。病気ではなく、飼料の配合や空調、温湿度管理など、ほんのわずかな条件の違いが結果に大きく影響する。何十回も飼育室で試行錯誤を重ねた結果、今では平均で9割ほどが繭になるまでに改善した。通常の養蚕の繭歩留まり(まゆぶどまり、実際に生糸として利用できる部分の割合)が9割5分ほどだと言われており、それにかなり近い水準だ。研究者の間では『人工飼料での大規模飼育は難しい』と言われてきたが、当社はそれを実現した。一度に50万頭を飼育したこともあり、その際も安定して繭を確保できた。農研機構との共同研究で蓄積してきた生産管理技術が土台となり、高品質のシルク原料を年間を通して安定供給できる体制をほぼ確立していると言える。カイコや繭の必要な品質や量を安定的に供給できる企業は限られており、米国にもベンチャーはあるが、飼育まで自社で握っている会社はほとんどない。そこが当社の強みだ。九州大学発のKAICO株式会社は、経口ワクチンの開発を進めており、カイコの供給で連携している。特許を取るとレシピや工程が公開されてしまうため、あえて特許は取らずブラックボックス化することで独自性を保っている」。
「糸は難易度が高い、高付加価値のメディカル用途を目指す」
あつまる山鹿シルクは糸の生産も予定していたが、島田社長は糸の生産のみをビジネスとするのは難しいことがわかったという。「糸は繭から生糸にする複数の工程があり、繭の20%程度しか取れないうえ、製糸工場は全国に数軒残るばかりで、加工賃も高い。製糸の機械を導入することでコストが下がるのではという声もあるが、実際には難しい部分がある。糸を紡ぐ製糸機は非常に精密につくられているものの、この半世紀ほど大きな構造変化がなく、機械導入だけで劇的に効率化するわけではないからだ。そこをどう改善してコストを抑えていけるかが課題の一つだ。諦めているわけではない」。瀧定名古屋と協働して生地をつくり、国内アパレルメーカーから製品化された。「技術面および設備投資の観点から、将来的に糸分野への展開の可能性はあるが、現時点では、医療・食品・美容などのバイオ用途に特化した原料開発に注力している」。
他方、新たな可能性が見えているという。「私たちは糸としてのシルクではなく、人間の体が持つアミノ酸18種類とほぼ同じ成分で構成されているというタンパク質素材としてのシルクが持つポテンシャルに着目してきた。農研機構らと取り組んだ溶解性シルクの開発を起点に、従来は不溶性だったシルクを水に溶ける形に加工することに成功した。これをきっかけに、化粧品・バイオ・医療用途などへ応用が広がり、シルクを原料とした新しい機能性素材として各分野から評価されている。肌との相性が非常に良いため、まずは化粧品を開発した。化粧品の原料にする場合、糸に比べて可利用部が多く扱いやすく、粉末にしたり、液化したりするので安定性があり、大量につくることができる。また、山鹿シルクの取り組みを多くの方に知っていただくきっかけにもなると考えた」。
2019年に自社ボディケアブランド「ココン・ラボ」を立ち上げ、自社ECに加えてAmazonや楽天市場、海外9カ国21店舗、国内30店舗に卸販売する。「これまで『溶けにくい』とされてきたシルクフィブロインも、大学や国の研究機関の技術によって溶解できるようになり、分子量を調整することでフィルムやゲルなどさまざまな形状に加工できるようになった。フィブロインを加工する技術は農研機構らと共同特許を申請中だ。この“溶けるシルク”を配合したシャンプーとコンディショナーを12月初旬に発売した。このフィブロインをさまざまな形の形成できるようになり、医療デバイスにも応用可能になる。また、シルクのゲノムは完全解読されているので、遺伝子組み換えカイコによる医薬品の原料生産など用途の可能性が広がっている。欧米のバイオ系スタートアップや再生医療向けタンパク質メーカーの動向を注視している。特にシルクタンパク質を用いた医療応用・食品応用の国際的な研究は急速に進んでおり、これらのトレンドを踏まえながら研究開発を強化している」。
一度溶かしたシルクから再び糸をつくることはできるのだろうか。
「蚕が口から吐き出す糸のような構造、つまり糸を人工的に再現するのは非常に難しく、専門家もまだ実現には時間がかかると指摘している。シルクタンパクを溶かして再生することができれば理想的だが、実用化はまだ先になるだろう」。
現在の繭の生産量は年間10トンだが50トンまでの生産が可能だ。「一年中同じ環境に保たれているクリーンルームで飼育しており、医療向けにも適している。飼料は有機栽培した桑を5~9月に収穫し、乾燥させて粉末にしたもので、ストックしており飼料さえあれば年間24回の飼育も可能だ。われわれの畑は山の上にあり、他の畑で使用する農薬の影響がないのも強み。クリーンルームは複数あり、サイクルをずらしながら飼育も可能なので理論上は年間48〜49回といった高頻度の飼育も不可能ではない」。
山鹿シルクの強みは、自社で有機栽培した桑を飼料とし、無菌環境での養蚕システムを構築していることだ。また、透明性も高い。
「まずは化粧品のラインアップを増やす。フィルムやフェイスパックなど効果を出せるようなシルク原料の開発をする。来春には有機桑とシルクを配合した青汁の販売を計画している。桑は血糖値の上昇を抑えるなどスーパーフードとしても知られ栄養価が高い。インナービューティ分野にも参入する。また、現在の米国のスタートアップの医療デバイス開発に採用されており、数年後の認可を目指している。メディカル用途になると価値が高まる。将来的にはヒト用のメディカル製品、例えばワクチンの原料供給を目指している。人の体内に入るものなので国や大学、試薬メーカーと開発しており、手間が長い事業だと覚悟して取り組んでいる。この養蚕事業を通じて、将来的には伝統産業や文化の再興により、未来の地域発展に寄与したいと考えている。すでに25ヘクタールの遊休地や耕作放棄地を解消し、25人を雇用した。若者の定住促進や地場企業との連携による地域産業の活性化にも取り組んでいる。シルクの可能性を最大化し、山鹿発の新しいバイオ産業を世界に向けて広げていきたい」。