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アーティストのイ・ランが語る「家族」と「死」 「生きていくこと」を選び続ける理由

PROFILE: イ・ラン/ミュージシャン、作家、イラストレーター、映像作家

PROFILE: 1986年、韓国ソウル生まれ。アルバム「神様ごっこ」で韓国大衆音楽賞優秀フォーク楽曲賞を受賞。著書に「悲しくてかっこいい人」「アヒル命名会議」などがある。

「血縁という地獄をサバイブしてきた。母は狂女になるしかなかったから、私もまた狂女に育った」──書籍の帯に書かれた痛烈な文言は、決して売り文句ではなく本に書かれていることの真髄だと読後に味わう。

日本と韓国を行き来しながら、ミュージシャン・作家・エッセイスト・イラストレーター・映像作家として幅広く活躍するアーティスト、イ・ラン。エッセイ集「悲しくてかっこいい人」など、初邦訳作品から話題を集め日本でもファンが多い彼女が、新しいエッセイ集「声を出して、呼びかけて、話せばいいの」を刊行した。テーマは「家族」。文芸誌「文藝」春季号(2022年)に掲載され反響を呼んだ「母と娘たちの狂女の歴史」を中心に書き下ろされた本作は、突然の姉の死と20年近く寄り添った愛猫ジュンイチとの惜別、23年に京都で上演された浜辺ふうとの作品など、家族という抗えないものとの格闘と自由を求める言葉が刻まれている。9月末から行われたジャパンツアーの合間をぬって、イ・ランに本作の執筆にあたって向き合った自分自身や家族との話を伺った。

芸術家として感情を解放する

——9〜10月にかけてジャパンツアーを行われていましたが、日本でのパフォーマンスは韓国とどのような違いがありますか?

イ・ラン:どちらのお客さんも、泣く人が多いんです。それは、日本と韓国では経験することが似ているから共感できる部分が重なるんだと思います。母語の方が歌を理解できるはずから、「どうして韓国人の私のライブに来てくれるんですか?」って日本のお客さんに質問したら、「自分の中で溜めていた感情を取り出して、浄化するような経験ができるから」とSNSで教えてくれた人がいました。韓国でも同じように言われたことがあって、それは、私が芸術活動を通して伝えたかったことでもあるので、すごくうれしかったです。

芸術大学に通っていた頃、感情について学ぶ機会がありました。感情の幅が0から100まであるとしたら、普通の人間はほんの少ししか感情を出さないらしい。それなのに芸術家も普通の人と同じ幅の中で表現をしていたら、観客は得られるものがないですよね。芸術家ならば感情の既定値を越えなければならない。でもそれはとても難しいから、訓練が必要です。

——その訓練は、自分と対峙することに尽きるのでしょうか?

イ・ラン:訓練とは、感情を解放することです。つらいならもっとつらく、うれしいならもっとうれしく、自分の感覚に対してより敏感になること。自分がどんなタイミングで笑うのか、涙が出るのか、よく観察するんです。その上で、伝えたい感情を適切に表現できる方法を考えて作品を作っています。

「笑え、ユーモアに」という曲の中には7分間の笑い声が入っています。この歌は「どうやって生きていけばいいのか」について悩んでいる人に、笑って生きてほしいというメッセージを届けるもの。しかし笑顔で楽しく歌うのではなくて、つらい顔でシャウトするように笑い声を出しています。すると、伝えたいメッセージがちゃんと届きます。

——イ・ランさんは音楽や映像、そして文章を書かれますが、表現方法によって感情のあらわれかたの違いはありますか? 文章は生々しくなり過ぎることもあると思うのですが。

イ・ラン:私はどんなものを作るときも、最初に文章を書きます。テキストから映像になったり音楽になったりするので、本は、編集者さんの目が通っているという以外は、他の表現方法とあまり違いはありません。ただ、私の手帳の中のテキストはごちゃごちゃです。そこには私の考えの塊があって、そこからさまざまな表現が生まれるけれど、生々しすぎて、人に見せられるものではないので遺言にきちんと残しています。「公開したら許さない」って(笑)。

「なぜ私は今の私になったのか」

——イ・ランさんの感覚の幅が広いのだと思いますが、初めて「文藝」に掲載されたエッセイ「母と娘たちの狂女の歴史」を読んだときはその生々しさに衝撃を受けました。家族について書くことは、勇気がいることでしたか?

イ・ラン:17歳で作家活動を始めてから、20年間家族の話をたくさん書いてきました。「家族」にまつわることで最近関心を持っているのは、「なぜ私は今の私になったのか」ということです。

それは、日本での経験がきっかけでした。私は、2012年に初めて日本でライブをして、在日コリアンの方々が私のライブに足を運んでくれるようになったのですが、私は韓国で在日コリアンという存在について詳しく知る機会がなかったので無知ゆえにミスしてしまったことがあって……。サイン会に来てくれた在日コリアンの方に韓国語でしゃべりかけてしまったんです。その方に「韓国語はできません」と言われて、「韓国出身のはずなのにどうしてだろう」と混乱しました。

——在日コリアンはもともと朝鮮半島にルーツを持つ人々ですが、2世、3世と世代が変わるにつれて日本での暮らしが長くなり、韓国語が話せない人や韓国で暮らしたことがない人が増えています。

イ・ラン:私も在日コリアンについて勉強するようになって、その流れで劇作家・浜辺ふうさんに会いました。ふうさんは在日コリアンコミュニティーで育った日本人で、韓服を着てプルコギやキムチを食べて大きくなった人。在日コリアンの人と一緒にいると必ず「プリ(ルーツ)」が話題になるそうで、ふうさんはプリがないことに悩んだと言っていました。

私は自分のプリについて考えたことがなかったんです。でも、日本で在日コリアンのドキュメンタリー監督の玄宇民(げん・うみん)さんの作品を観て、考えが変わりました。そこには韓国人の母が記憶する韓国の風景と、在日コリアンである父の日本の暮らしが映されていて、お互いのエピソードが全然違う。私も「父と母が生きているうちに話を聞こう」と思ったし、プリが今の私にどれくらい関係しているのか気になってお母さんにインタビューをしようと決めたんです。

——これまでは、ルーツに対してあまり前向きになれなかったんですか?

イ・ラン:自分のルーツについて考えたくなかったんです。私は、家族と気が合わなかったから「全部捨てて自分で人生を選び取って生きていこう」と決めて家を出ました。ルーツに嫌悪感すらありました。でも、だんだんと周囲が子どもを産みはじめて、その様子を見ていると子どもには自己決定権がないと思いました。育ての親によく似るし、親次第でやりたいことや好きなこと、性格が変わる。それで、私が過去に自分で選んでやったと思っていることも、「本当に私のチョイスなのか?」と疑問を持つようになりました。結局、私は父や母が作った存在で、全く自主的な人生を歩んでいないのかもしれない、と。

——それは、衝撃的な気づきですね。自分で人生を選び取っているつもりが、結局血縁からは離れられないかもしれないという。

イ・ラン:だから、私がどうして今の私になったのかを知りたくて、プリを探すようになりました。

いろんな人に会って話して食べて寝て歩くことが大事

——ルーツと向き合ってみていかがでしたか?

イ・ラン:すごくおもしろいんです。私が17歳で家族から“脱出”したのは、お父さんは怖いしお母さんはクレイジーだし、意見を出すことが絶対に許されない家族ですごくしんどかったからです。自分の力でサバイブして、毎日のように命ギリギリだったけれど気づけば芸術家になって、肩書きが増えて、賞をもらって。すると、家族が私を抑圧することはなくなりました。つまり、関係性が変わったんです。私の携帯電話の登録名も、以前は「お父さん」「お母さん」だったのを、名前に変えたら、家族の役割とは切り離された個人から電話が来る感じがするようになってプリについても聞きやすくなりました。

——本の中で「友だちに接するようにしてほしい」とお母さんに言う場面は、関係性の変化という意味で象徴的でした。

イ・ラン:人と人の関係になりたかったんです。もちろん、お父さんとお母さんは私を子供として見るけれど、前のように自分勝手に意見を押し付けてきて我慢を強いられることはなくなりました。まだ、バランスを探っている過程ですが、関係がおもしろい方向に生まれ変わっています。お姉さんが亡くなってからは特にそうです。

お姉さんが亡くなったことで、家族全員が精神的にもまいってしまって、次は私の番だと、お別れを言ってくる状況になってしまって……。韓国では、家族に自殺者が出ると、心理的なケアやカウンセリングの支援を受けることがあります。それを家族全員が受けながら、みんな少しずつ気持ちが安定してきました。

——印象的だった章が「死を愛するのはやめようか」でした。想像するしかない死というものに、あこがれてしまうこと。そこから「誰かがやめた人生を、私が生きていく」というイ・ランさんの決意にも満ちた文章は非常に力強く、胸を打たれました。あの文章を書いていた当時は、どのような心境でしたか?

イ・ラン:悪い霊を追い払う儀式のようにモノをたくさん捨てながら、ほんとうにいろんなことを考えました。エクソシズム(ギリシャ語で悪霊祓いを意味する)を徹底的にやらないとダメだと思って全部捨てて、中にはもったいないモノもあって今となっては取り返したいくらい(笑)。その後少しずつモノが増えていきましたけど、あの時は、ただこの身体で生きているだけでOKになりたくて。(愛猫の)ジュンイチやお姉さんが居なくなっても、私は生きていけるっていう実感を持ちたかったんです。

——年齢を重ねると、執着も強くなっていきますしね。

イ・ラン:そう思います。歳をとると、これがないとダメ、私はこういう人だっていう気持ちが強くなってしまうじゃないですか。でも、それ以上に、私はこの身体で生きていかなければならない。これからもずっと“私を生きていく”感覚を失わないための練習をして、創作をして、生きていきたいです。

アーティストと話していると、芸術が偉いと思っている人が多いんです。芸術表現ができなくなったら死んじゃうっていう人がいるけれど、私は表現活動ができなくなっても「自分に価値がない」とは思わない。今いる場所で私が私で存在して、いろんな人に会って話して食べて寝て歩くことが大事だっていうことを、もう一度確認したくてエクソシズムをしました。

——お姉さんのように「これができなきゃ意味がない」「私が家族をなんとかしなきゃ」というイ・ランさん曰く“長女病”にかかってしまっている人は多いと思います。責任感の強い人にこの本を読んでほしいですし、長女病にかかっている人に会ったらイ・ランさんはなんと声をかけますか?

イ・ラン:難しいですね……。みんな状況が違うので、一つの言葉にはできないです。私もお姉さんにいつも「そんなことしなくていいよ」と言っていたけれど、お姉さんは変わらなかった。でもそんなお姉さんの選択を責められないし、私も本に書いたからといって全部がスッキリしているわけではありません。

お姉さんが亡くなった時、家族は責任を感じて、「あの時お金の支援をしてあげればよかったんじゃないか」と言う人もいました。でも、「たられば」で考えて悩むばかりではなく、今の自分に向き合って、身近な人の安否を確認しながら生きることが大事だと思います。できることをやるしかない。

——今の自分と向き合って、できることをやるしかない。

イ・ラン:自分の人生を、与えるのか守るのか、そのバランスも含めてマイチョイスですが、私の場合は2020年に友だちが癌で亡くなってしまったことで、後悔しない人生を生きたいという気持ちが強くなりました。その友だちと2人でよく話したんです、今我慢したらいい未来が来ると。オールナイトで仕事をして、カップラーメンばかり食べて、2人で「ファイティン」と励ましあっていました。だけど、その友だちが亡くなって、確信のない明日のためにつらい今日を過ごしたくはないと考えるようになりました。だから、いつでも今を頑張ろうと思っています。

PHOTOS:TAKUROH TOYAMA

◾️単行本「声を出して、呼びかけて、話せばいいの」
著者:イ・ラン
訳者:斎藤真理子、浜辺ふう
価格:1980円
出版社:河出書房新社
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309209333/

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