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A24の新作クィア・ロマンス・スリラー「愛はステロイド」はいかにして作られたのか? 新鋭・ローズ・グラス監督インタビュー

1989年のアメリカ南西部を舞台に、家族関係に苛まられながらトレーニングジムで働くルーが流浪のボディービルダー・ジャッキーと出会い、衝動的で破滅的な愛を育むクィア・ロマンス・スリラー映画「愛はステロイド」が8月29日に公開された。映画スタジオA24が手掛けた今作は、大胆で示唆に富んだストーリーテリングと俳優陣の化学反応が各所から絶賛され、「ピンク・フラミンゴ」などで知られる⻤才ジョン・ ウォーターズからも「2024年最高の映画」と評された注目作。共にクィアであることを公表しているクリステン・スチュワートとケイティ・オブライアンがルーとジャッキーのカップルを演じるほか、エド・ハリスやジェナ・マローンなど実力派キャストが脇を固めている。

監督を務めるのは、狂信の末に暴走するカトリック信者の看護師を描いたホラー「セイント・モード/狂信」(2019)で長編映画デビューを果たし、本作が長編2作目となる新鋭・ローズ・グラス。官能的なクィア・ロマンスから退廃的なフィルム・ノワール、ボディー・ホラーなどジャンルを横断する本作をグラス監督はどのように作り上げたのか。ルーとジャッキーの関係性やデヴィッド・ クローネンバーグからの影響、ファッションやヘアへのこだわり、そして驚愕の展開などについて、グラス監督に話を聞いた。

正反対のキャラクターの
ルーとジャッキー

——まず1990年のイギリス生まれである監督が、あえて1989年のアメリカ南西部を舞台とした作品を撮った理由から教えてもらえますか?

ローズ・グラス(以下、グラス):ネット情報では1990年生まれとなっているんですが、実は1989年生まれなんです。実年齢より1歳若く思われてるから、私としてはうれしいんですが(笑)。確かに私が生まれたイギリスの片田舎は、アメリカのニューメキシコの砂漠とはまったく異なりますね。共同脚本のヴェロニカ(・トフィウスカ)とは当初、イギリスを舞台にしようと考えていました。撮るのが容易ですし、できるだけ小規模に収めたかったので。ですがすぐにイギリスはこの物語に適さないと感じるようになりました。ボディービルダーや銃の密輸といった要素をイギリスで描くのも面白い試みだとは思いましたが、それをアメリカ南西部の砂漠地帯の町に頭の中で置き換えた瞬間、物語が一気に広がって現実味を帯びたものになったんです。

またジャッキーは危険を顧みず、取り憑かれているかのように「理想化された完璧な姿」に突き進んでいきます。それが結局彼女を破滅へと向かわせるのですが、その姿はいわゆるアメリカン・ドリームを象徴するものでもありました。なのでアメリカが舞台である方が、より物語に豊かさが生まれると感じたのです。

——冒頭のトイレ掃除からラストシーンまでルーは一貫して“片付ける人物”である一方、ジャッキーは徹底的に“かき乱す人物”として描かれていますね。内面のみならず行動も対照的な彼女たちのキャラクターをどのように作り上げていったのでしょうか?

グラス:そのように観てくれたのはうれしいですね。というのもヴェロニカとは最初から、正反対の力を持つキャラクターの関係で生まれるダイナミクスを表現したいと考えていたので。例えばジャッキーは常に前へと突き進んでいくような外交的なエネルギーを持つ人物です。本能そのもののような彼女はとにかく行動して自分をさらけ出す。一方のルーは内向的で、臆病で、感情を溜め込んでしまうタイプの人物。彼女は突然手榴弾のように現れたジャッキーに恋をしたことで、すべてが混乱に陥り、コンフォートゾーンから引きずり出されてしまう。ですがそういった存在をルーは求めていたようにも思うんです。彼女は必死にジャッキーにしがみつき、身を委ねることで人生が狂っていくことを許している。それは今の自分から逃げ出さないといけないと分かっているから。

健全な恋愛関係でもよくあることですが、互いに必要なものを補い、双方向に影響しながらエネルギーを与え合うというアイデアが気に入りました。ルーはジャッキーの存在を介して、抑圧されてきた自分から抜け出そうとします。彼女は怒りや憎しみのような恐ろしい衝動を抑え込んできましたが、それがジャッキーとの出会いで解放されるんです。

——クリスティン・スチュワートとケイティ・オブライアンとは、ルーとジャッキーの関係についてどのような話をしたのですか?

グラス:実はそれほどじっくりは話し合っていないんです。というのもクリスティンは最初からキャスティングしたいと考えていて、オファーしたらすぐに快諾してくれたので撮影数カ月前には決まったんですが、ケイティを見つけるのにすごく時間を要しました。彼女に決まったのは撮影開始の数週間前だったので、そこから急いで準備を進める必要がありました。もちろん3人で脚本の読み合わせをして、認識を合わせるため各シーンについて話し合うこともしましたが、なにせ時間がなかったので思うがまま全力で演じてもらいました。良いキャストを選べば、脚本の内容を汲み取って、役柄に自分らしさを落とし込んでくれると期待しているんです。ただとりわけケイティ本人は役柄とかけ離れた人物なので、役に入り込むのは大変だったかもしれませんね。とにかく2人とも全身全霊で挑んでくれたので、信頼していました。

一度ジャッキーとルーが互いにどういった部分に惹かれ、何を与え合っているのかについて2人と会話したことがあります。「どうして互いにそれほど夢中になっているんだろう?」と。ただ出会ってからとても短い時間で展開されていく2人の関係は、とても原始的で、動物的で、感覚的なもの。衝動的でステロイドのような恋愛で、相手のことをよく知りもせず惹かれあっていくんです。私はそういう「互いに幻想を投影している恋愛の初期段階」を描くことに興味がありました。ジャッキーとルーは互いにとって幻想のような存在なので、そのことについてあまりじっくり話し合わず、直感的に演じてもらったことは正解だったと思います。

——確かに2人の関係は衝動的な荒々しさがありましたね。だからこそ愛し合うときも衝突するときも非常に激しく、幾度も危機が訪れる。たとえばジャッキーが(ルーの義理の兄である)JJと関係を持ったことが判明するシーンなどですね。あのパートでの「誰が相手でもいいんだろ」というルーの批判は、レズビアンやゲイがバイセクシュアルに向ける偏見も込められているように感じました。

グラス:ジャッキーがJJと関係を持ったのはルーと出会う前ですが、JJは義理の兄でかつ問題を抱えた関係であるため、ルーは子どものように怒ってしまいます。それはとても人間らしい反応ですよね。また一般化するつもりはないですが、確かにバイセクシュアルはゲイやストレートのコミュニティーから「どっちつかず」とみなされ、薄らと拒絶されることがあるのは事実です。それがどこにでもある話というわけではないですし、ルーの態度を援護するつもりもないですが、彼女はただジャッキーを傷つけるために酷い言葉を発しているだけなのです。その口論からも分かる通り彼女たちのキャラクターは欠点だらけですが、誰だってそうだし、そうあって然るべきだとも思います。

暴力的で力強くありたい
という欲望

——ルーとジャッキーのみならず、本作に登場する女性はとても個性的ですよね。ルーとは反対に男性による支配を愛と盲信する姉のベスに、独立した位置からルーに迫るデイジー。この2人のキャラクターはどのようにつくりあげたのでしょうか?

グラス:本作のアイデアを思いついた当初、中心にあったのはボディービルダーとその姉の関係性だったんです。ピースを動かして組み立てていくうちにロマンスへと変わったのですが、姉との関係を描こうという思いは常にあって、それが最終的にベスというキャラクターを生み出しました。彼女はルーの人生における「もう一人の女性」であり、ジャッキーとは真逆の方向に彼女を引き込もうとします。ルーの問題はさまざまな理由、とりわけ臆病な性格と恐怖心から現状に囚われていることにあります。クソみたいな街を嫌う彼女は家族に文句を言うけれど、自らそこから去ろうとはしません。JJに暴力をふるわれているベスを、ルーは自分が人生を進めないことの言い訳にしているようにも思えます。「姉を守らないと」という気持ちはもちろん真実ですが、同時に行動に移さないことを正当化する便利な逃げ道にしているんです。

また、デイジーは私が本作で一番好きなキャラクターかもしれません。ヴェロニカも私も彼女が登場するシーンをとても楽しみながら書きました。アンナ・バリシニコフの演技も素晴らしく、たくさん笑わせてくれました。デイジーもルーにとっては見慣れた日常の一部なんです。ジャッキーが現れてすべてをぶち壊す前までは、ですが。デイジーはルーに夢中なのに、ルーはデイジーを利用するためにたまに優しくするくらいで、基本的に冷めた感じであしらう。感情的にかなり距離を置かれていますが、それでもデイジーは決して諦めません。彼女のそういうところが好きなんですよね。

——筋肉や銃、ピックアップトラックといったアイテムは、これまで「男性的な象徴」として描かれてきましたよね。それらで女性の関係を描いたことは特別な意図があったのでしょうか?

グラス:女性の中にも男性的な部分と女性的な部分があります。程度の差はあれど、すべての女性は暴力的で反発的な衝動やエネルギーを持っている。少なくとも私はそう思っているんですが。私にとってそういった部分を扱うことはとても自然なことで、本作ではさらにそれを色濃く描きたいと考えました。確かに銃や筋肉は極端な視覚的表現として一般的に「男性的なもの」として扱われてきましたが、その本質にあるのは暴力性ではないでしょうか。つまり世界に対して自分を主張し、暴力的で力強くありたいという欲望。それは男性的であると同時に女性的なものでもあると思います。

デヴィッド・クローネンバーグ
からの影響

——本作を観てデヴィッド・クローネンバーグの「ヒストリー・オブ・バイオレンス」(05)を想起しましたが、インタビューによれば同監督の「クラッシュ」(04)に影響を受けたそうですね。

グラス:脚本を執筆している段階では「ヒストリー・オブ・バイオレンス」のことは頭になかったんですが、製作に入ってから物語面で通じる部分が多いことに気付きました。小さな街に暮らす寡黙な人物が自らのなかにある暴力的な過去を掘り起こす点や、終盤の展開がそうですね。そういう物語構造の部分で共通のDNAが流れていますし、本作にエド(・ハリス)をキャスティングしたのも「ヒストリー・オブ・バイオレンス」でエドが披露した素晴らしい演技が頭にあってのことでした。ですが映画のスタイルやムードという点で言えば、「クラッシュ」がクローネンバーグ作品の中では一番のお気に入りで、何度も見返しています。そのため本作のスタイルやムードは「クラッシュ」とより近い。よく見れば設定は明らかに異なりますが、映画が独自の世界観で展開されていくという意味では共通していると思います。私たちの生きる世界と地続きで見覚えはあるけれど、どこか奇妙で、エロティシズムや官能性が漂っていて、暴力や邪悪な要素とも結びついた世界観とでも言いましょうか。

なので本作を撮る上で、キャスト陣には事前に「クラッシュ」を観ておくようにお願いしました。ほかには「ショーガール」(95)や「六月の蛇」(02)などの作品もそうですね。本作とそれほど類似性があるわけではないですが、ベン図で表すならフィーリングの部分で重なると思うんです。とりわけ「クラッシュ」と「六月の蛇」は身体とセクシュアリティと同時に、一種のフェティシズムを描いています。車の衝突事故を見て誰が性的に興奮するんだろうかと思っていても、その作品を観ると不思議と理解できてしてしまう。官能的で誘惑的な手法で観客を奇妙な世界に引き込む力があるんですよね。それが私はとても魅力的に感じるのです。

——女性同士のクィアな関係性は健やかに描くべきという風潮もがある中で、あえてドロドロした依存性や暴力性を選んだのは、ある種これまでの映画に対する反骨心もあったのでしょうか?

グラス:4、5年前に脚本を執筆しているときにはまったく意識していませんでした。あくまでごく自然に沸き上がってきたアイデアではあるんですが、仰っていることは確かに一理あると思います。興味深いクィア映画はたくさんありますが、私たちが脚本を書いていた当時やその前後は「上品な歴史劇的レズビアン映画」が多かったように思います。もちろんその中にも素晴らしい作品はありましたが、少し控えめで上品すぎるため私好みではありませんでした。一方で私が作りたい映画はごく自然に狂気じみた部分があるもの。さらに笑えて破茶滅茶な内容のものにより惹かれるんです。でもそれは特段意識して作っているわけではありません。

——ルーとジャッキーのヘアスタイルとファッションが最高にクールでした! ジャージやタンクトップ、スタジャンなどスポーティーでどれも格好良かったですが、そこへのこだわりを教えてもらえますか?

グラス:衣裳デザイナーであるオルガ・ミルのおかげです。私は脚本を書き進めながらムードボードを用意して、それを基にオルガや撮影監督のベン(・フォーデスマン)、美術担当と話し合いを行いました。そこからそれぞれが各分野のアイデアを考えていってくれたんです。私は当初「滑稽に見えるかもしれないから、80年代っぽくしすぎないように」とリクエストしていたんですが、実際80年代に人々がジムで着ていた衣装をオルガがリサーチしてくれて。それを見た瞬間に「最高!」となりました。なので80年代の寂れたリアルな雰囲気を出しつつ、服はあえて強調するようにしたんです。また私達は当初から、衣装には生活感と汗ばんだ質感が必要だと感じていました。かつセクシーで力強く、自信に満ちた印象を与える素敵なデザインで、それぞれのキャラクター性が表れていることも重要なこと。理想は絵に描いただけで誰の衣装か分かるような衣装ですね。それを基本的な指針として進めてもらいましたが、オルガとの仕事は本当に楽しかったです。

髪型も最初は80年代すぎないように……と思っていましたが、実際舞台は80年代ですからね。キャラクター性を表す重要な要素として、ジャッキーとルーの髪型は当時の写真を見て作っていきました。ルーの参考にした人は忘れてしまったんですが、ジャッキーに関してはリサ・ライオンという女性ボディービルダーをベースにしています。写真家のロバート・メイプルソープがライオンを撮影したシリーズがあるのですが、ジャッキーの髪型やファッションの参考資料として大いに役立ちました。残念なことにライオンは数年前に亡くなってしまったのですが。

クリスティンはこの撮影が始まる直前に「スペンサー ダイアナの決意」を撮り終えたばかりだったので、アルバカーキに来たときは長いブロンドヘアをなびかせていました。彼女は急いで役に入り込まなければいけなかったので、友人のヘアスタイリストを私の家に連れてきて、その場で髪を切ったんです。とてもクールなマレットヘアに仕上がったんですが、あまりに完璧でクールすぎたんでしょうね。鏡の前で「自分で切ったように見せないと」と言って、クリスティンはスタイリストからハサミを借りて自ら髪を切り始めました。そして髪を切り終えた後、そこにルーがいたんです。ほかのキャラクターの髪型にしても、それぞれの人生を宿すようなものになっていったので、撮影していてとても楽しかったですね。

————————以降、結末に触れるので未鑑賞の方はご注意ください——————————

ローズ・グラス監督が
描きたいもの

——後半の展開、特にジャッキーが巨大化する展開に驚く人も多いと思います。よく見るとJJの殺害シーンでも微かに大きくなっていますが、これは俗に言う「愛の力」をカリカチュア化したものなのでしょうか?

グラス:この物語を作り始めた当初から巨大化というアイデアはありました。ただあまりに馬鹿げていて、受け入れてもらえないかもしれないという懸念から一度はやめようかとも思ったんです。そこでより現実的で地に足のついた結末を書こうともしたんですが、満足するような結果にはつながらず、当初の巨大化のアイデアを戻しました。結果的にそれで良かったと思います。

ジャッキーがステロイドを打ち始めてから、身体が変容していく様子は作品全編を通じて感じることができますし、あなたの言う通り彼女の肉体が大きくなっていることを示すシーンもいくつかありますね。それはステロイドが作用したというよりも、「愛の力」と2人の関係がジャッキーに与える影響によるもの。とりわけ出会ったばかりの彼女たちの間にあるような、芽生えたての愛の力ですね。まだよく知らない人と純粋に惹かれあったときに生まれる感情がいかにパワフルで、ときにどれほど狂気的であるかをジャッキーの肉体は表しているんです。だから巨大化は「愛の力」なのか、という質問の答えはイエスです。

——ちなみに原題は「Love Lies Bleeding(愛は血を流す)」ですが、日本では「愛はステロイド(Love is steroid)」というタイトルで公開されるんですよ。私はピッタリなタイトルだと思いました。

グラス:「愛はステロイド」!? 最高だと思います。日本語だとより響きが良いですね。映画の中でも愛とステロイドは密接に結びついていますし、最初から直接的にそれを示すのも一つの手だと思います。というのも私としては最初からステロイドが何を象徴しているのか明確だったんですが、それを誰もが理解できたわけではなかったんです。なので映画全体に身体が変容していくというヒントを散りばめる必要があった。編集段階でジャッキーの筋肉が大きくなるシーンを足してみたりね。だからそれを的確に示す「愛はステロイド」というタイトルは良いと思いますね。日本語版の予告編も素晴らしかったです。

——「セイント・モード/狂信」と本作は「依存と愛ゆえの暴走」を描いているという点で共通しています。監督がこのテーマに惹かれる理由を教えてもらえますか?

グラス:「セイント・モード/狂信」では神に対する愛でしたが、確かに共通する部分ではありますね。人生をコントロールしようとする手段としての愛を描くのが好きなんです。本作のジャッキーと「セイント・モード/狂信」のモードは、自らの人生や肉体や行動を過剰なまでにコントロールしようとしますが、過剰さが故に最終的に爆発して混沌へと突き進んでしまう。彼女たちに限らず、極限まで支配や抑圧を受けるとやがて混乱に行き着くのが常ですよね。説明するのが難しいんですが……映画を撮ることの核心にあるのは、こうやって言語化しづらいことを表現することだと思うんです。こうした話をするうちに、自分でも少しずつ言葉が見つかり分かってくるんですが。

ともかく私が物語を書くと、支配やコントロールを伴う人間関係、それも大概不健全なものに行き着くんです。それがどういう理由で、何を意味しているかは分かりませんが。人間というのはしばしば一見理解できない極端なことをしでかしますが、私はそういう奇妙な行動の裏にある意味や目的を追求することに興味があるんです。理解できないように見えても、それは普遍的で共感できる欲求から生まれていることがほとんど。例えば他者に認められたいとか、大切に思われたい、誰かと繋がりたいといったものです。それを実現しようとして行動するけれど、簡単には叶わず苦悩する。そういうものを書くのが楽しいんですよね。

映画「愛はステロイド」

◾️映画「愛はステロイド」
8月29日から全国公開中
監督&脚本:ローズ・グラス(「セイント・モード/狂信」)
共同脚本:ヴェロニカ・トフィウスカキャスト
出演:クリステン・スチュワート、ケイティ・オブライアン、エド・ハリス、ジェナ・マローン
2024年|イギリス・アメリカ|カラー|104分|英語|原題:Love Lies Bleeding|R-15
配給:ハピネットファントム・スタジオ
© 2023 CRACK IN THE EARTH LLC; CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION ALL RIGHTS RESERVED
https://a24jp.com/films/loveliesbleeding/

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