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パフューム・ジーニアスの創造的思考に迫る——音楽からファッション、映画、ジェンダーまで

2010年のデビュー以降、パーソナルな感情を出発点に、それを普遍的な物語へと昇華させてきたアメリカ・シアトル出身のシンガー・ソング・ライターのパフューム・ジーニアス(Perfume Genius)ことマイク・ハドレアス(Mike Hadreas)。繊細なピアノと囁(ささや)くような歌声で誘う内省的なバラードから、シンセサイザーや打ち込みを駆使した広がりのあるサウンドへと変貌を遂げてきたその音楽は、ポップと実験の境界を自在に行き来することで独自の表現領域を押し広げてきた。今年3月にリリースされた最新アルバム「Glory」は、こうした歩みを凝縮した集大成といえる。パートナーでもあるアラン・ワイフェルズ、さらにプロデューサーを務めたブレイク・ミルズらとのコラボレーションを経て完成した今作は、フォークやクラシカルな響きにエレクトロニックやノイズの要素を溶け合わせたハイブリッドで濃密な音像を描きつつ、ハドレアスの内面へと静かに踏み込むような作品となっている。

そうした中、パフューム・ジーニアスというアーティストを特徴づけてきたのが、音楽を通して「身体」を語る視点だ。そこには、ハドレアスが幼少期から抱えてきた孤独や葛藤、ジェンダーの流動性やセクシュアリティにまつわる実体験が深く刻まれている。そして、その経験を表現へと昇華するための試行錯誤があった。特に近年の作品では、こうしたテーマが単なる告白や主張を超え、より複雑で抽象的なかたちを帯びているのも印象的だ。ハドレアスの「歌」は、現実と夢想のあわいを漂いながら、そこに確かに存在する身体と感情をすくい上げ、聴く者の感情や記憶を映し返す鏡のように響く。

先日の「フジロックフェスティバル2025(FUJI ROCK FESTIVAL 2025)」(以下、「フジロック」)で初日のレッドマーキーに登場し、11年ぶりに日本でライブを披露したパフューム・ジーニアス。登場したハドレアスは、繊細な歌声に突如として爆発的な動きや挑発的なポーズを差し込み、踊り、身をくねらせ、時に叫びながら、まるで音と身体がその場で絶えず交渉し合うようなパフォーマンスで空間全体を支配し観客を魅了していた。「美しくても、醜くても、複雑でもいい。そういう感情を全て受け止めてくれる唯一の場所が音楽なんだ」——。そのステージ前日、都内のホテルで行われたハドレアスへのインタビューでは、「身体性」をキーワードに、音楽からファッション、映画、ジェンダー表現に至るまで広く話題が及んだ。

音楽だから表現できること

——10年以上前にイベント(2014年の「ホステス・クラブ・ウィークエンダー(Hostess Club Weekender)」)で初来日した際に、後日小さなアートスペースのような場所で弾き語りのライブをされましたよね。

マイク・ハドレアス(以下、マイク):うん、シークレット・ライブみたいな感じで、たしか2曲だけ演奏したんだ。オーウェン・パレットとブラッドフォード・コックス(ディアハンター)も見に来てたよ。

——まだデビューして間もないタイミングだったと思いますが、当時、今のようなキャリアを築くことができると想像できましたか。

マイク:いや、今の自分のパフォーマンス・スタイルを考えると、当時とはまるで違うからね。あの頃はとても緊張していて、最初の数回のツアーなんかずっとうつむいて、ピアノの後ろに隠れてるような感じだった。でも今は、叫んだり、踊ったり、身体をめちゃくちゃに動かしたりしてて(笑)、自分自身もパフォーマンスを心から楽しめるようになったと思う。

——確かにあの頃とはいろんなことが大きく変わったと思いますが、ただ、あなたの音楽がたたえている、リスナーの一人ひとりに歌いかけるような親密さは今も変わっていない気がします。

マイク:たぶん僕は、音楽の鍵って“あの感覚”を持ち続けることなんだって気付いたんだと思う。どれだけスケールが大きくなっても、どれだけ過激になったり、広がっていっても——全部、最初のあの感情から生まれているものだから。

それに、言葉にできない感情って、本当にたくさんあるよね。日常の会話の中ではうまく言えなかったり、複雑すぎたり、矛盾していたり、時には怖くて人に伝えられなかったり。僕にとっては、そういう感情って、普通の会話では到底伝えきれないんだ。すごく感情的なんだけど、自分でもどう扱っていいのか分からない瞬間があるし、そこに触れるのが怖いこともある。でも音楽は、そういう感情を全て受け止めてくれるセーフ・スペースなんだ。美しくても、醜くても、複雑でもいい。それを丸ごと表現できる、唯一の場所が音楽なんだと思う。

——新作の「Glory」は、あなたのパートナーであるアラン(・ワイフェルズ)やプロデューサーのブレイク・ミルズなど多くの人たちと作り上げたコラボレーティブなアルバムで、音楽的にもこれまでの集大成と呼べるようなハイブリッドな作品だと思います。そうした中で、親密さや“あの感覚”が損なわれないように心掛けたことがあれば教えてください。

マイク:長年やってきて気付いたんだけど、たとえ関わる人が増えても、コラボレーションを通じて生まれるものって、むしろ自分のアイデアがより純化された形になることがあるんだよね。というのも、僕が「こういうふうに感じさせたい」っていう感覚を周りに伝えると、みんながそれを一緒に形にしてくれる。まるで、自分の感情を翻訳してくれているような感じでね。

もちろん、うまく伝えたつもりでも伝わってないこともある。例えば、パートナーのアランにデモを聴かせて「この曲ってこういうことを歌ってるんだ」って言ったら、「そうは聴こえないけどな」って返されることもある。そうすると、「じゃあどうすれば伝わるんだろう?」って、もう一度考え直したりもするんだ。でも面白いのは、逆に彼が何か新しいアイデアを持ち込んできたことで、その曲がもっと「自分のもの」に感じられることもあって。関わってる人数が多くなっても、出来上がったものが、より深いレベルで自分の感情に触れていると感じる時があるんだよね。「私たちのもの」であると同時に、「私自身のもの」としても感じられる。それがコラボレーションの不思議な力なんだと思う。

アートワークと映画

——今作「Glory」はアートワークもとても鮮烈です。映画のワン・シーンや事件の決定的な瞬間、あるいはダンスのポーズを捉えたようなハプニング性が感じられて、曖昧さと緊張感が同居したようなイメージが目を惹きます。

マイク:うん、今きみが説明してくれた通りなんだけど(笑)、ビジュアルの参考にしたのは、全部映画のワン・シーンなんだ。でも、そのシーンそのものを再現したかったわけじゃなくて、そこに漂っている「空気」みたいなもの——緊張感とか、複雑さとか、曖昧で揺れる感覚——を写しとりたかった。

写真家のコーディー(・クリッチロー Cody Critcheloe)と共有したシーンは、どれも感情的にも心理的にもとても強烈だった。だけど、同時にちょっと笑っちゃうような瞬間があったり、どこかやり過ぎない感じもあって。だから、ある日はその突き抜けた感じが面白く見えるかもしれないし、別の日、もし自分の気分が沈んでいたら、同じシーンが不穏で押しつぶされそうに感じられることもある。僕はそういう振れ幅のあるものがすごく好きなんだ。

最終的に選んだ写真にも、ちゃんとその“感じ”があった。例えば、写真の中の僕は、傷ついているようにも見えるし、逆に恍惚の中で踊っているようにも見える。部屋の中の小道具や細かいイースターエッグ的な要素も、まるで映画の一場面を切り取ったようで、見る人に「この前に何があったんだろう?」「この後、何が起きるんだろう?」って想像させるんだ。その一瞬を閉じ込めた、たった1枚のフレーム——でも、そこには無数の感情が流れている。そんな写真になったと思う。

——具体的にどんな映画を参考にしたんですか?

マイク:「ピアニスト」とか、(ピエル・パオロ・)パゾリーニの「テオレマ」、それから(イングマール・)ベルイマンの「叫びとささやき」とか、いろいろ参考にしたよ。そうした作品の中の印象的なシーンが、今回のビジュアルの元になってるんだ。

——今作に限らず、パフューム・ジーニアスのビジュアル表現に影響を与えてきたアーティストや作品を教えてください。

マイク:本当にいろんなものから影響を受けてるよ。音楽と同じで、ジャンルとか関係なくいろんなものが好きなんだ。若い頃からずっと大好きなのはデヴィッド・リンチ。彼自身の言葉もそうだし、アンジェロ・バダラメンティが手掛けたサウンドトラックも自分にとってはすごく大きな影響だったと思う。それからラース・フォン・トリアーの映画もね。もちろん、彼自身にはいろいろ問題があるけど、それでもあの映画の持つ力には惹かれるものがある。

あと、ホラー映画もよく観るよ。日本の作品も好きで、例えば三池崇史とか。彼の映画って、すごく過激で、不穏で、でもその不穏さの中に笑える瞬間があったり、やり過ぎなくらいド派手だったりして。でもふとした瞬間に、とても親密で静かな空気が流れるような場面もあって。フィルモグラフィー全体は散漫で、一貫性や統一感があるとは言い難いけれど、その振れ幅が面白いんだ。たぶん僕は、度胸があって、本能に訴えかけてくるようなものに惹かれるんだと思う。

——ちなみに、一番好きな三池作品は?

マイク:特に好きなのは「GOZU(極道恐怖大劇場 牛頭)」だね。

——すごいところ挙げましたね(笑)。

マイク:(笑)たしか、あれは弟と一緒に観たんだ。でも弟は、僕がその映画を見せたことに、ちょっと怒ってしまって。僕たち2人とも当時は20代だったので、無理やり観せたわけじゃないんだけど(笑)。

それと、「HOUSE ハウス」(1977年 大林宣彦)も大好き。フランスのホラー映画も好きでよく観るんだけど、どちらも共通してとても過激で極端なんだよね。極端なもの、奇妙なもの、不条理なもの――そういう作品に惹かれるんだ。そういうのを見ると逆に落ち着くというか、安心感すらあるというか。僕は普段から、理由もなく不安を感じることが多くて、でもそういう映画には「ちゃんと理由があって不安になる状況」が描かれているから、不安の行き場ができて落ち着く。そんな感覚になるんだ。

——そういえば、ゲストのオルダス・ハーディングと濃厚なラブシーンを演じた「No Front Teeth」のMVも強烈でした。

マイク:(MVのディレクターの)コーディーに連絡して、まずはムードボードを送ったんだ。そこには映画のワンシーンや写真、その他いろんなジャンルのイメージを詰め込んでて、もう“狂気のるつぼ”みたいな内容だった(笑)。で、「さて、これをどうやって一つのシーンにする?」っていうところからスタートしたんだ。

それとね、実はずっと前から、誰にも見せずに作ってた映像があって。フィギュアスケートで転倒する瞬間を集めたもので、転ぶところと立ち上がる瞬間を編集で全部カットして、まるで氷の上で眠ってるように見えるようにしたんだ。自分でもびっくりするくらい、実際そう見えたんだよね。それが、今回の“フィギュア・スケーター”というモチーフの原点になった気がする。

なんて言えばいいんだろう……不穏なんだけど、どこかおかしさもあって、笑っていいのか迷うような。深刻なのか冗談なのか、自分でもよく分からない。でも確かに、何か強い感情がそこに詰まってる——そういうイメージを軸にしながら、少しずつ物語が形になっていった感じなんだ。

音楽とファッションの関係

——これも10年近く前の話になりますが(2016年)、「プラダ(PRADA)」とコラボレーションして、エルヴィス・プレスリーの「Can't Help Falling in Love」のカバーをリリースされたことがありましたね。あれって、あなたの音楽とファッションの関係がすごくはっきり見えた瞬間だったと思うのですが、あなたがファッションの世界、あるいはファッションと音楽の関係についてどんな関心や興味を向けられてきたか、教えていただけますか。

マイク:それに気付いたのは、けっこう後になってからだったかな。最初にフォト・シュートをやったり、スタイリストと一緒に仕事を始めたり——アルバムのためにそういう準備をしていく中で、「あれ、ファッションってこんなにクリエイティブなんだ」「自分のアイデアを、まったく別の形で伝える手段になるんだ」って思うようになって、視界が一気に広がった感じだった。それからは、音楽や映画と同じように、常に何かを見て、掘り下げて、面白いものを探すようになったんだ。

それに単純に、楽しいんだよね。「今日はどんな服で遊ぼう?」っていう感覚もあるし、ものすごくシンプルで無邪気な部分がある。でもその一方で、冷たさとか、ちょっとチクチクするような刺激とか、そういう感覚もあって——その振れ幅を丸ごと楽しんでるんだと思う。

——今回のアルバムジャケットにまつわるファッションに関しては、どんなふうにしてイメージを膨らませていったんですか。

マイク:インスピレーションの多くは、やっぱり映画のワン・シーンみたいなものとか、昔のプレス写真から来てるんだ。例えば、リヴァー・フェニックスがレッドカーペットに現れた時のような写真。そういう「本当にこの世界で生きていた人たち」の佇(たたず)まいから影響を受けることが多い。どこか無造作なんだけど美しいし、ファッションとしても“演出されすぎていない感じ”がすごく惹かれるんだよね。昔のハイファッションのアーカイブをがっつり研究するというよりは、もっと日常の延長にあるような感覚というか。

でも今回は、たまたま過去数十年分の「VOGUE」アーカイブを見つけて、それがかなり面白かったんだ。適当にリンクをクリックすると、いきなり1984年のファッションエディトリアルが出てきたりして、まるで時代の空気に一瞬で引き込まれるような感覚だった。そこから特定の年やムードを掘っていって、その年代の文化や服、広告なんかをランダムに検索してムードボードを作ったりもした。

今回のアルバムでは、「ハイ」と「ロー」のミックス、つまり“高級そうで安っぽい”“安っぽいのに高級に見える”みたいな、そのアンバランスを意識してた。完璧過ぎず、でもちゃんとスタイルがあって、どこか不思議な余白を残すようなビジュアルにしたかった。その違和感やコントラストが面白いなと思ってね。

——ファッションを選ぶ際の基準、哲学みたいなものはありますか。

マイク:ある程度リスキーじゃないといけないと思うし、最初はちょっと居心地の悪さを感じるくらいがちょうどいいんだと思う。慣れてしまえば自然に振る舞えるようになるけど、まずは「試してみる」ことが大事なんだよね。音楽もそれにすごく似ていて、最初は怖くてできなかったことが、いつの間にか当たり前になっていく。情熱って、そういうふうに自分の許容範囲を広げてくれるものなんじゃないかと思う。

今回のアルバムでは、かなりローライズなパンツやすごくタイトな服、ベビーティーみたいなアイテムを着てるんだけど、最初にそれでステージに立ったときは正直ちょっと気恥ずかしさもあった。でも今ではもう、ステージに上がってしまえば全く気にならない——いや、少しはあるかもしれないけど(笑)。

音楽でもファッションでも、僕は常に新しいことがしたいんだ。たとえそれが「自分にとって新しい」だけだったとしても、同じことを繰り返すのは嫌だし、そこで止まりたくない。常に「もう一段階先」を目指したい。ファッションも、僕にとってはまさにそういうものなんだ。

——ちなみに、好きなデザイナーやブランド、影響を受けたファッション・アイコンがいたら教えてください。

マイク:グレン・マーティンス(Glenn Martens)は大好き。彼は今の「ディーゼル(DIESEL)」のクリエイティブ・ディレクターで、その感性には本当に惹かれる。(以前グレン・マーティンスがクリエイティブ・ディレクターを務めた)「Y/プロジェクト(Y/PROJECT)」の服も大好きなんだけど——あの極端さとか、ちょっとバカっぽいくらい大げさなところがすごく魅力的で。すごく美しいのに、どこかズレてる。見た瞬間に「あれ? 何か変だぞ」って思わせる、その違和感がたまらないんだ。

それから、ちょっと意外かもしれないけど(モデル・俳優の)ブリジット・ニールセンも好き。「コナン・ザ・グレート」にも出ていたし、あの全体的な雰囲気は本当にアイコン的だと思う。アメリカでは少しネガティブに捉えられることもあるけど、私にとっては唯一無二の存在。

あと、チッチョリーナ(Cicciolina)も好き(笑)。彼女はイタリア出身のポルノ女優(後に国会議員)だけど、その生き方や姿勢にはずっと魅力を感じてきたんだ。たぶん僕は、型にはまらない、伝統的な枠組みから外れた人たちに強く惹かれるんだと思う。

——具体的に、今回のアルバムのアートワークで着ているファッションはどんなコンセンプトで選んでいったんですか。

マイク:今回は自分が10代だった頃のものとリンクしている。例えば、ベビードールTシャツとか、コートニー・ラブみたいなスタイル、当時のライオットガールのムードや90年代の空気感。「デリアス(DELIA’S )」や「ミス シックスティ(MISS SIXTY)」みたいなティーン向けブランドの影響もあったし、そういう要素が自然に入っていて。

でも同時に、すごく「ロックンロール」らしい雰囲気もちゃんとあって、それもかなり伝統的なロックのスタイルなんだよね。そういうクラシックさと、自分の原体験が混ざる感じが気に入っているよ。

それから、赤毛と日焼け。僕は生まれつき赤毛で、母も赤毛だからすごく個人的な要素なんだけど、同時にすごく人工的に見えることもある。「あ、染めてるな」って思われるような感じにもなっていて。

そういう二面性は、ほかの部分にもある。例えばあのベルト――めちゃくちゃ美しい「メゾン マルジェラ(MAISON MARGIELA)」のベルトなんだけど、ほとんど腰に引っかかってるだけで、サイズも合ってない。ただそこに“ある”って感じで。でも、その「マルジェラ」のベルトに、3ドルのTシャツを合わせている。この、ラグジュアリーとチープが同居しているバランスがすごく好きなんだよね。

ダンスによる解放

——ところで、先ほども「ダンス」という言葉が出ましたが、マイクさんは以前にコレオグラファー/ダンス・カンパニーとコラボレートした作品「The Sun Still Burns Here」(19年)、「Ugly Season」(22年)をリリースされましたね。あの経験が、その後のあなたの音楽や感情の表現にどんな影響を与えたと思いますか。

マイク:自分でも気付いていなかったんだけど、ダンスのリハーサルをしているとき、すごく感情が揺さぶられていたんだ。ただ踊っているだけなのに、急に泣き出してしまったり、リフトで持ち上げられた瞬間や、即興で動いているときに涙が出てきたり。

さっきも言ったけど、僕は感情を外に出すのがすごく苦手で、感情がたくさんあるのは分かっているけど、それが何なのかうまく理解できないし、あまりに強くて怖いから、つい押し込めてしまう。でも、“安全な出口”があると、そこから自然に出すことができる。僕にとって音楽がその出口だったんだと思う。

そして、ダンスが新しい出口になった。ダンスを通して、「どんな感情でも感じきって、それでいいと受け入れること」こそが全ての目的なんじゃないかって気付いたんだ。それに、感情って時に反転することもある。僕の曲にも多いけど、例えば嫌な感情や怖い気持ちを、ただ恐れるんじゃなく、それを力や武器に変えることだってできる。恥や罪悪感として抱え込むのではなく、そのエネルギーで何かを変えるような感覚というか。

ある動きや姿勢をしたとき、「これってやり過ぎかな」「バカっぽく見えないかな」「私には似合わないんじゃないかな」って思うこともあった。でも、思いきってやってみたら、すごく解放された。大きな声で自分を表現できたような感覚があって、気付かなかった感情が一気にあふれ出してきたんだ。すごくワクワクしたし、今までやったことがなかったからこそ、新しい扉を開いたような感覚だった。あの時以来、それはもう自分の一部になったと思う。これからもずっと、離れることはないと思うよ。

——ファッション、ダンス、そしてクィアネス――それぞれ異なる表現領域ですが、「身体性」や「身体感覚の拡張」という観点で見ると、あなたの中ではどこかで地続きにつながっているように感じられます。そうした関係性について、ご自身ではどう考えていますか。

マイク:不思議なんだけど、僕が作るものって、すごく純粋なアイデアから生まれることが多いんだ。まるで子どもの頃――世界のルールを知る前、「こう感じちゃいけない」「こう思っちゃダメ」なんて知らなかった時の感情や思考から出てくるみたいにね。だからステージでも、あたかも何のルールも知らないまま、「誰もこれはダメだなんて言ってない」という前提でパフォーマンスしている感覚になる。それはすごく無垢でありながら、同時にとても反抗的で、「クソくらえ!」と叫んでいるみたいなところもあって。

僕は、そういう相反する感情が同時に存在しているのが好きなんだ。無邪気で心からのものなのに、同時に挑発的で、身体を通して語られる政治的なメッセージにもなっているから。

——例えば「Too Bright」(14年)のときは、ゲイであることや女性らしさを隠さずに「強く、美しく見せたい」と話されてましたよね。逆に「Set My Heart on Fire Immediately」(20年)では、ステレオタイプな男性像を風刺的に描いた「On The Floor」のMVも印象的でした。あなたの中で、いわゆる「男性性」のビジュアル表現に対する考え方やアプローチは、どんなふうに変わってきたといえますか。

マイク:最近になって、自分がどれだけ“流動的”なのかに気付いたんだ。ダンスのためにトレーニングして体を鍛えてた時でさえ、なぜか前よりも女性らしく感じてて。それは「女性的な強さ」という感覚で、男性的になるというよりは、もっと“たくましい女性”としての自分だった。

それで思ったのは、こういう感覚って全部“作られたもの”なんじゃないかということで。ある日は自分の中の男性性を強く感じ、次の日はそうでもない。でも、それらは競い合うものではなくて、100%男性的でありながら、同時に100%女性的であることだってできる。どちらかを犠牲にする必要なんてないんだよ。

「Set My Heart on Fire Immediately」では、いくつものアーキタイプ(典型的なイメージ)を試して、それをどう“着こなすか”を考えるのが楽しかった。そして、どんなに明確な参照元があっても、最終的に自分がやるとどこか“異質”に見える——「あれ、何か違うぞ」という感覚になる。その感覚がまた面白いんだよね。

ジェンダーや表現にまつわるテーマは複雑で、時に恥や混乱を伴う。でも同時に、それは“遊び”にもなるし、特にトラウマを経た後では、なおさらそう感じるんだ。

——そういえば、最近のインタビューで、インディー・ロックにおけるクィアな男性アーティストの少なさを指摘しつつ、ストレートな男性がスカートを着るトレンドを「サポートする」とユーモラスに語っていましたね。ジェンダー表現が自由で開放的になっている今の状況については、どんなふうに感じ、見ていますか。

マイク:すごくいいと思う。例えばクィアのアーティストたちの中には、ガソリンスタンドの制服みたいな格好をしたり、「すごく男らしい」とされる職業の作業服をわざと着たりする人が増えてきてる。今のアメリカだと、それがある意味「ゲイのサイン」になっていたりするのが面白い。逆に、男性でネイルをしていたり、ふわっとしたシャツを着ていたりすると、むしろストレートだったりする。こういうのって、全部もともとは誰かが勝手に作ったルールで、本当は意味なんてないんだよね。理由があったのかもしれないけど、結局はただの作り話みたいなもので。

だからこそ、今の若い世代が、そういうルールを気にも留めずに自然に無視しているのを見るのがすごく好きなんだ。まるで最初からそんな決まりなんてなかったかのように振る舞ってるのが、最高にかっこいいと思う。

——これまでさまざまな形で“自分”というものを表現されてきたと思います。今のマイクさんにとって、改めて「自分らしさ」とはどう定義されるものなのでしょうか。

マイク:もしその答えが分かってしまったら、もう何かを作ることはやめてしまうと思う。今はもう、その答えを知ることにこだわっていないんだ。歳を重ねるほど、「理解しなきゃ」と思う気持ちは薄れていっていて。ある日はこうだと思っても、次の日には考えが変わってもいいし、それで全然かまわない。そうやって、解明しようとする執着がなくなっていく一方で、歳を取るほどに——不思議と、それがどうでもよくなってくるんだよね。

PHOTOS:TAKUROH TOYAMA

パフューム・ジーニアス「Glory」

◾️パフューム・ジーニアス「Glory」
2025年3月28日リリース
TRACKLISTING
01. It's a Mirror
02. No Front Teeth feat. Aldous Harding
03. Clean Heart
04. Me & Angel
05. Left For Tomorrow
06. Full On
07. Capezio
08. Dion
09. In a Row
10. Hanging Out
11. Glory
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=14644

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