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「N.ハリウッド」と尾花大輔の19年 ルーツを貫き通すことでにじむ強さ

 LAで古着を買い付けていたことから“ミスターハリウッド”の愛称で親しまれた男が、東京・神宮前に同名の古着店を開いたのは2000年のこと。その翌年に立ち上げた自身のブランドには「N.ハリウッド(N.HOOLYWOOD)」と名付けた。尾花大輔が“ミスターハリウッド”を掲げて、来年20周年を迎える。10年からはコレクション発表の舞台を東京からニューヨークに移し、今ではニューヨーク・メンズ・コレクションで最も長く発表を続けているブランドとなった。18年に東京で行った凱旋ショーでは「N.ハリウッド」と古着をミックスしたスタイルで会場を沸かせ、強い存在感を示したのは記憶に新しいところである。さらに東京オリンピック・パラリンピック開催に先駆けて行われる聖火ランナーのユニホームのデザイン監修を担当するなど、ブランドとしても個人としても活動の幅を広げている。精力的な活動には何か理由があるのではないか--そんな思いから、尾花大輔を訪ねた。

「クリエイティブぶっていた」初期

 「N.ハリウッド」は現在、全国に直営店7店を構え、年間の売り上げも10億円を超える。社員は50人を抱え、日本を代表するメンズブランドの一つに成長したが、原点は東京・神宮前に手作りで開いた小さなショップだった。「店から始まったブランドだから、サービス業のマインドはいまだに抜けていない。コレクションでも独りよがりな服は作らず、自分の経験と新しく体験したことを組み合わせ続けているだけ。自分は学歴があるわけじゃないし、芸術家肌でもないから」と尾花デザイナー。しかし「N.ハリウッド」設立当初からそうだったわけではない。「ブランドを立ち上げてすぐのころは、ファッションデザイナーはシュールであるべきだと勝手に決めつけていた。あえて内向的になってみたり、事務所は朝から晩まで本当は聴きもしないバッハをずっと流したりしていた(笑)」。しかし、渋カジや古着に夢中になってファッションの世界に飛び込んだ尾花デザイナーにとって「クリエイティブぶることは自分らしくない」と、すぐに気がついた。「振り返ってみると、自分は与えられたチャンスを掴んできただけで、ずっと受け身だった。だからクリエイティブって何だろうと冷静に考えて、クリエイティブな人間を目指すことをやめた」。

注目ブランドとしての重圧

 「N.ハリウッド」は02年春夏シーズンの本格デビュー早々から若者を中心に話題となった。注目の東京ブランドとしてメディアでの露出も増えていった。急に注目度が高まったことに戸惑い、重圧を感じながらも、買ってくれる店や着てくれるファンを思い、手探りを続けた。「1回目のコレクションが売れて重圧がかかり、2回目は得意なシンプル路線にかじを切った。3回目でまた硬ければメディアは見てくれない。そういった風に、デザインというよりも気持ちで攻められるかが、毎シーズン自分との闘いだった。年に2回のコレクションに追われるのが嫌な時期もあったが、お客さんが待ってくれているから」。慎重で堅実な姿勢はビジネスにも表れている。「これまで、攻めた商売は一度もしたことがない。出店も全てオファーをいただいたことがきっかけ。今は伊勢丹新宿本店メンズ館にも出店しているが、立ち上げた当時は自分たちでコントロールできる直営店のみでやりたかった。結果的にビジネスのやり方から商品の品質まで、いろいろと教えてもらうきっかけになった」。尾花デザイナーが親しんだ古着は破れやほつれが当たり前で、それらがほかにはない“味”として受け入れられる。しかし百貨店では当然許されない。破れていてはいけない、洗えないといけないなど、百貨店での数多くのルールを学んだことが一つのきっかけとなり、ブランドの物作りが少しずつ安定していったのかもしれない。

 だが取材中に「安定感」という言葉を出すと、尾花デザイナーは少し苦い表情を見せた。なぜなら9年前に発表の場を東京から海外に移した理由の一つも「安定感」という評価を嫌ったからだった。「日本でショーを行っても、『さすがNハリ』『安定のNハリ』という評価ばかりで物足りなかった。もっといろいろな人から厳しい評価も聞きたかった。当時はまだ今ほどSNSは普及していなかったが、いずれSNSなどで世界のどこからでもショーが見られる時代は来るという予感はあったので、日本を離れる決意をした」。その後パリを経て現在でも発表を続けるニューヨークに舞台を移し、卸先も時間をかけて徐々に広がっていった。最近のニューヨーク・メンズ・ファッション・ウイークはバイヤーやメディアが重視せず、ビジネスの場としては厳しいという声もあるが「そうは思わない」と反論する。「最初は幕下のような扱いだったが、今ではニューヨーク・メンズで一番長く出続けているブランドになった。ここ2〜3年はアジア系の売り上げが伸びており、香港や韓国のバイヤーも“日本ブランド”ではなく、“外国ブランド”という感覚で買い付けてくれている。パリや東京など場所に関係なく、一度やると決めたことはやり続ける覚悟がないと成功はない」。

「ファッションは相手を楽しませないと」

 クリエイションでもビジネスでも、尾花デザイナーの決断や行動は大胆ではあるが、目標を達成するためのプロセスは緻密に組み立てる。「海外でのショーといっても、日本でやっていたころと比べて渡航費を含め予算は変わっていない。デザイナーは表現者ではあってもアーティストではないので、物事の方程式とお金の出入りの感覚は必要なこと」。また「N.ハリウッド」のデザイナー以外にも、個人として「無印良品」の“ムジラボ(MUJI Labo)”のデザイン・ディレクターやユナイテッドアローズとの協業などを行なっているが、「専門分野のスペシャリストたちをいかに循環させるかということを第一に考えている。途中でつまずくのが嫌いだから、下準備をするのが大好き。だって、真面目だから」と笑う。

 ブランドや自身の活動の先に、尾花デザイナーは何を見ているのか。「ファッション業界を盛り上げたいという気持ちまでは持っていない」と語るものの、自身の視点でファッション業界の未来を見る。「今、アパレルの循環が危機的状況なのは間違いない。このまま業界が衰退していっては本当に困る。自分に豊かな社会を作ることはできないけど、ファッションを通じて人の感情や表現力を豊かにし、楽しませることはできる。ファッションはただカッコつけるだけじゃなくて、相手を楽しまることを考えないと」。自身やブランドの将来についても大げさな夢は掲げず、慎重だ。「流行は常に変わるものだから、1年半先のことを考えるスタンスは今後も変わらない」。

精力的な活動には強い思いが

 今回の取材で繰り返していた「自分はクリエイティブじゃない」という言葉を素直に口にできるところに、尾花デザイナーと「N.ハリウッド」の強さを見た。自分自身を客観的に見ることができ、今の自分に何ができるかを考え、分析し、少しずつ歩みを進める。当たり前のことのようだが、“かっこいい”を保ちながら続けるのは誰もができることではない。古着、アメカジ、ショップ発という自身のルーツを愚直に貫き続けるからこそクリエイションに尾花大輔という男の生き方がにじみ、共感を生み出しているのだ。精力的な活動にも「全て『N.ハリウッド』のため」と言い切るブレない思いがあり、「ここ3シーズンは自身の体験や旅で得たイメージをコレクションでうまく表現できていて、僕にしかできないものを見せられている」と自信を見せる。尾花デザイナーの活動の幅が広がれば広がるほど、「N.ハリウッド」はこれからもどんどん進化する。