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「音楽が僕の人生を救った」——テディ・スウィムズが語る「どん底からの再生」、最新作が示す希望

2023年に初のスタジオ・アルバム「I've Tried Everything but Therapy (Part 1)」を発表し、今年のグラミー賞で「Best New Artist」にノミネートされたことでも注目を浴びたアメリカのジョージア州コンヤーズ出身のシンガー・ソングライター、テディ・スウィムズ(Teddy Swims)。キャリアの初期からさまざまなジャンル——オルタナティブ・ロックやポスト・ハードコア、ヘアメタルのカバー・バンドやプログレッシブ・ロックまで——を渡り歩き、ボーカル・スキルを磨いた彼は、その“Chameleon Soul”とも評されるボーダーレスなスタイルによって近年のアメリカのポップ・シーンで存在感を高めてきた。今年1月にリリースした最新アルバム「I've Tried Everything but Therapy (Part 2)」は、モータウン風のビンテージ・ソウルと現代的なプロダクションを融合した前作のアプローチを基盤に、ギヴィオンやマニー・ロングらモダン・ソウル/R&Bを代表すアーティストもゲストに迎えて、よりダンサブルに、より“ポップ”としての方向性を追求した作品。今作で示された彼の成長と躍進は、同アルバムが先日発表された来年度のグラミー賞で「Best Pop Vocal Album」の候補作に選ばれた事実からも明らかだろう。

そして、そんなテディ・スウィムズの音楽の根底には、彼が育ったジョージアという土地の豊かな音楽遺産がある。ソウル、R&B、カントリー、さらにはヒップホップが交差し、複数の文化が混ざり合うことで新しい表現が生まれてきた場所で育ったことは、ジャンルを軽やかに横断し、どんな音でも自分の表現として受け止める彼の感性を形づくってきた。加えて、愛や赦し、再生といったスピリチュアルなテーマが一貫して流れている彼の歌には、幼少の頃から親しんできたゴスペルの精神が深く息づいている。

いわば“ルーツ”と“越境性”が重なり合う地点に立ち、アメリカのポップ・ソウルを新たな方向へと押し広げているテディ・スウィムズ。そうした彼のスタイルはどのようにして生まれたのか、昨年の「フジロック」出演に続き2度目の来日を果たした彼に聞いた。

新作「I’ve Tried Everything but Therapy (Part 2)」について

——昨夜は素晴らしいステージでした。

テディ・スウィムズ(以下、テディ):ああ、本当に最高だったよ。すごく親密で美しくて、とても楽しかった。あんなにもみんなから愛をもらえるなんて思ってなかったよ。

——今年リリースしたアルバム「I’ve Tried Everything but Therapy (Part 2)」が、先日発表された来年のグラミー賞の「最優秀ポップ・ボーカル・アルバム賞」の候補作にノミネートされました。おめでとうございます!

テディ:ありがとう。正直、今年は一つもノミネートされないんじゃないかって思ってたんだよね。寝ていたら、まるで誕生日みたいにたくさんの人から電話がかかってきて。「え、何ごと? どうしたの?」って(笑)。だから、アルバム全体とボーカルという2部門で選んでもらえたのはすごく光栄だし、感謝している。自分の表現そのものが評価されたっていう感じがして、それこそ意味がある。この作品には、本当にたくさんの時間と労力を注ぎ込んだからね。

——テディさんにとって、今作はどんなアルバムになりましたか。

テディ:これはすごく正直で、自分の“本当の気持ち”をそのまま出した作品なんだと思う。結局のところ、一番“本物”で“正直”なものこそ、人とつながり続けると感じていて。今作では本当に思い切ったことをやったよ。ロックンロールからR&B、ソウルまで、とにかく自分たちが「気持ちいい」と思えることを全部詰め込んだ。だからこそ、リスナーも“一つのジャンルに閉じない”ところを受け入れてくれたんじゃないかな。それがうまく伝わったことは、本当にうれしかったよ。

——ご自身では、ミュージシャン/リリシストとしてどんな変化や成長を感じていますか。

テディ:うん、間違いなく成長したと思う。でも、自分にとって一番大きかったのは、「I've Tried Everything but Therapy(Part 1)」をつくり終えたとき、自分が本当にどん底にいたってことなんだ。ひどく傷ついて、混乱していてね。だから「I've Tried Everything but Therapy(Part 2)」をつくろうと思ったとき、「このままリスナーを終わりの見えない悲しみの中に置いておきたくない」って思ったんだよ。そのあと、自分は失恋から立ち直って、また恋をして、子どもが生まれて、成功も家族もあって……人生が再び美しいものになっていった。だから、その変化を「ひと続きの物語として伝える」ことが、自分自身のためにもリスナーのためにも大事だと感じたんだ。失恋の先にはちゃんと良いことがあるし、人生はずっと悲しいままじゃない。だからこそ、物語をきちんと閉じることに意味があると思った。

——サウンドについてはいかがですか。今作はR&Bやソウルを基盤にしつつ、“ポップ”としてのアクセシビリティーが大きく増した印象を受けます。

テディ:「〜(Part 1)」のときは、「これはちょっとカントリー寄りすぎるかな」とか「これはR&Bに寄りすぎかな」みたいに、踏み込みすぎることに少し躊躇があったんだ。でも「〜(Part 2)」では、そういう“枠”を気にするのをやめた。「〇〇っぽすぎるかもしれない」とか考えず、とにかく“心が向かう方”を信じた。怖いと思う方向にも逃げずに進んだ。そこには完全な自由があったんだ。

——さまざまな音楽スタイルを経験してきたテディさんですが、ジャンルを超えて音楽をつくるとき、何を一番大切にしていますか。

テディ:自分にとって一番大事なのは、常に「(歌という)クラフト=技術」そのものなんだ。”声”という楽器を愛しているからこそ、「自分にはできないことを誰かができる」と思うと、悔しくてたまらないんだよね。だからこそ、この“声”という楽器をきちんと極めたいと思っている。

それに、ジャンルが違えば表現できる感情のニュアンスも変わってくる。ある感情はこのジャンルの方が自然に乗る、みたいなことが絶対にあるんだ。だから、自分がジャンルをまたいで“本物の感じ”で歌えるなら、その時々の感情に一番合ったサウンドを選べる。それが結果的に、自分の感情を一番正しい形で、一番伝わりやすい形で表現することにつながる。逆に、ジャンルを固定したり、無理に別の形に収めようとしてしまうと語れないことも出てきてしまうからね。そういう意味でも、このやり方は自分をよりオープンに、より”vulnerable (弱さを見せやすい状態)”にしてくれたと思うよ。

アウトキャストからの影響

——テディさんの地元のコンヤーズ、そしてアトランタを含むジョージア州は、オーティス・レディングやレイ・チャールズらを生んだソウル・ミュージックの聖地であり、アウトキャストやフューチャーらが築いた現代のヒップホップ〜トラップの中心地でもある、アメリカ南部でも特に音楽的な土壌が豊かな地域です。そうした環境は、今のテディさんの多様な音楽スタイルを形づくる上で大きな影響を与えたと思いますか。

テディ:間違いないね。ジョージアって、文化もジャンルも本当に混ざり合った「るつぼ(メルティングポット)」のような場所なんだ。アウトキャストやジェイ・Zのような最高のヒップホップから、アッシャーのようなR&B、オーティス・レディングやレイ・チャールズのような本物のソウル・ミュージック……そして素晴らしいカントリー・ミュージックもたくさん生まれている。そういう多様なレジェンドたちの音楽に囲まれて育ってきたことが、自分の生き方や音楽に対する姿勢、音楽を吸収する方法を大きく形づくってくれたんだと思う。

——今も名前が挙がりましたが、数々の地元のレジェンドの中でも、アウトキャストはテディさんにとって特別な存在ですよね。

テディ:いやもう、本当に全部が素晴らしいんだ! どのアルバムも——特に「Stankonia」から「Aquemini」まで——とにかく最高だと思ってる。先週ちょうど地元に戻っていたとき、幸運にも彼らが「ロックの殿堂(Rock and Roll Hall of Fame)」入りする式典に参加できて、その場に立ち会えたんだ。しかもようやく本人たちと直接会うこともできて、本当に感動的な経験だった。

彼らは、僕の音楽の好みやセンスの大部分を形づくってくれた存在だと思う。音楽における“自由”と“勇敢さ”のパイオニアというか、思いつく限りあらゆるサウンドを混ぜ合わせて、それでいてちゃんと成立させてしまう。僕の“好き”の基準も、音楽に対する野心も、すごく影響を受けているよ。

——アウトキャストの「Aquemini」は、自分の人生を変えた一枚だと聞いています。

テディ:やっぱり、彼らの大胆さ、勇気に尽きると思うんだよね。自分たちが影響を受けてきたあらゆるサウンドを思い切って全部混ぜ込んで、当時のヒップホップの“定番ルート”に収まろうとしなかった。例えばレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのようなクールなロック・バンドから要素を取り入れたり、ロックの質感を大胆に混ぜたり、ソウルやブルースのホーンや生々しいエッセンスを組み込んだり……とにかく全部を投げ込んで、それを見事に一つの音像として成立させた。

その結果、完全に“自分たちだけのサウンド”をつくり上げて、それが後の世代のアーティストたちに大きな影響を与えた。あれだけ多様な要素を入れながら、完全に“アウトキャストの音”として成立させたというのは、本当に偉業だと思う。それは自分も目指しているところでもあるし、常に手本にしている部分なんだ。

——そのアウトキャストとの対面の場となった「ロックの殿堂」では、ジョー・コッカーのトリビュート企画でパフォーマンスも披露されました。ステージではどんなことを感じましたか。

テディ:最高だったよ。本当に特別な夜だった。僕はジョー・コッカーの曲をいくつか歌うことができたんだ。彼は、キャリアの初期にカバー曲を歌って名を上げた人物で、その点でも、自分にとって大きな影響を与えてくれた存在なんだ。

それに、シンディ・ローパーやホワイト・ストライプス、アウトキャストみたいな素晴らしいアーティストたちが次々と殿堂入りしていくのをその場で見ることもできて。しかも、そのシンディ・ローパーやブライアン・アダムスと同じステージに立てたわけだから。ずっと憧れてきた、尊敬するミュージシャンやシンガーたちと同じ場所歌えたなんて、今でも不思議な気持ちだよ。本当に信じられないような経験だったね。

ファッションのこだわり

——ところで、テディさんはファッションも個性的で、今日のスタイルも目を引きます。お気に入りのブランドがあれば教えてもらえますか。

テディ:うーん、それは難しい質問だね(笑)。ジュエリーで言えば、最近「ケイ ジュエラーズ(KAY JEWELERS)」と仕事をするようになって、彼らが用意してくれるアイテムはどれも本当に素晴らしくて気に入ってる。でも、好きなブランドを一つに絞るのは無理だな。いろんなところから少しずつ選んでいて、「これが一番好き」って決める感じではないんだ。

——音楽やサウンドと同じように、ファッションもいろいろなテイストを試しながら、今のスタイルに辿り着いた感じですか。

テディ:そうだね。それに自分のスタイルには、常に少しだけ“パンク・ロックっぽい要素”を残すようにしてる。ベースはストリート寄りなんだけど、同時にクラシックな雰囲気もほんの少し入れたい。きちんと整って見えるけど、どこかに”角がある”というか、粗削りな部分が残っている感じが好きなんだ。今の自分のスタイルは、たぶんその方向性がすごくハッキリしていて。クラシックなノート(ひねり)がありつつ、そこに少しの粗さやパンクのエッジを加えている。そのバランスがしっくり来てるんだと思う。

——ちなみに、今日のコーディネートのポイントは?

テディ:えーっと、靴は「スティーブ マデン(STEVE MADDEN)」のデニム生地のブーツで、すごくかわいいやつ。でも、このジャケットは何のブランドだったかな……僕は覚えきれなくて(笑)。メモに控えてあるから後で見せてあげるよ。

※メモによると。ジャケット:テル・ザ・トゥルース(TELL THE TRUTH)、シャツ:ユニバーサル・コスチューム・ハウス(UNIVERSAL COSTUME HOUSE)、パンツ:シアージ(SILLAGE)、シューズ:スティーブ マデン(STEVE MADDEN)、ネクタイ:ディオール(DIOR)、ジュエリー:ジ・アーカイブ × ヤナ(THE ARCHIVE × YANA)

——テディさんにとっては、タトゥーも大切な”スタイル”の一つですよね

テディ:そうだね、本当にありがたいことに、ツアーでいろんな土地を回るたびに、インスタで声をかけてくれる人や、その地域のタトゥー・アーティストから連絡をもらえるんだ。だから僕の身体には、いろんなスタイルのタトゥーが入ってる。ハワイではポリネシアンの伝統的な柄を彫ってもらったし、アメリカや日本のクラシックなスタイル、ニュースクールまで、なんでもある。で、僕のやり方としては、旅先でタトゥーを入れてもらうときは基本、そのアーティストがその場で感じたものを自由にデザインしてもらうんだ。そして必ず本人のサインも入れてもらう。そうやって、その土地の“ひとかけら”を身体に刻んでいく感じかな。結果として、いろんなスタイルがごちゃ混ぜになってるんだけど、それがすごく楽しいんだよね。どこへ行っても、その場所の一部を持ち帰れるような気がして。

——タトゥーにまつわる思い出のエピソードがあれば、ぜひ聞かせてください。

テディ:そうだな……一つ特にお気に入りがあって。親友にデレクっていうタトゥー・アーティストがいるんだけど、地元の仲間で、僕のタトゥーの多くを入れてくれてるんだ。彼がタトゥーを始めたばかりの頃、“ポートレートを彫るのが怖い”って言っててさ。だから僕の腕に“彼自身の顔”のポートレートを彫らせたんだよ。「自分の顔なんだから、変にはしないだろ?」って思って(笑)。そのあと彼はデイヴ・シャペルのポートレートも彫ってくれた。実は僕、ミュージシャンよりコメディアンのタトゥーのほうが多いんだ(笑)。

あと、もう消しちゃったんだけど、16歳のときに入れたタトゥーがあって……すごくダサかったんだ(笑)。十字架に自分の名字、それから“EST.1992”って書いたバナーがついてる、いかにも若気の至りみたいなやつで。結局カバーアップ(※上から別のタトゥーを彫って隠すこと)したんだけど、まぁ、タトゥーに関して偉そうなこと言える立場じゃないけど、16歳に“一生ものの決断”をさせるのはおすすめしないね(笑)。もう少し大人になって、自分が本当に入れたいものが見えてからでも全然遅くないと思うよ。

「歌う」ことへの想い

——テディさんの歌には、ジャンルを超えて“人の心を動かす”力があります。少し大きな質問になってしまいますが、テディさんにとって「歌う」という行為にはどんな意味がありますか。

テディ:うん、音楽は本当に、いろんな意味で僕の人生を救ってくれたと思う。自分を表現できる場所をくれたし、道を踏み外さずにいられた理由でもある。今も僕のバンドでギターを弾いてくれてる親友のジェシーと、15歳くらいの頃にミュージカルにのめり込んだんだけど、それが僕らに“やるべきこと”を与えてくれた。当時の僕は、正直あまり良くない方向に進んでいて、地元でドラッグを売ったり、ストリートで過ごす時間も多かった。でも音楽が、そこから抜け出すきっかけをくれたんだ。

学校が終わった後に熱中できるもの、心を注げるもの、気持ちを吐き出せる場所、自分が理解されていると感じられるコミュニティー。それを全部、音楽が与えてくれた。今一緒に演奏しているバンド仲間たちも、子どもの頃からの友人で、ずっと続いている“家族”のような存在。考えてみれば、音楽だけが唯一、僕を生かしてくれたものだったんじゃないかと思う。だからこそ、本当に感謝しているんだ。

特に傷ついている時期、音楽は僕に“痛みのオーナーシップ(主導権)を取り戻す場所”をくれた。つらい出来事をただのトラウマとして抱えるんじゃなくて、作品として昇華して、人と共有できるものに変えられる。そうすると、それが“恥”や“絶望”ではなく、“乗り越えた証”になるんだ。痛みを無駄にしなかったというか、自分のためにも、誰かのためにも役立てるものにできた。その感覚は、本当に大きかったと思うよ。

——テディさんの歌はしばしば“希望”や“赦し”をテーマにしていますが、その根底には、少年時代に教会でゴスペルを歌われていた経験が大きくあり続けているように思います。

テディ:その通りで、自分の歌の技術やソウル/ジャズ的な表現の多くは、あの頃に身についたものだと思う。それに、僕の人生の“基礎”みたいなものもあの環境で育まれた。

祖父はペンテコステ派(※キリスト教プロテスタントの一派)の牧師で、その教えの中には正直、今の僕には受け入れられない部分もたくさんある。でも、人を愛すること、受け入れること、優しくあること、そして働くことの大切さ――そういう人生を支える指針は、あの場所から確かにもらったものだ。もちろん、”judgmental(断罪的)”な側面も多くて、それが原因のトラウマもあったから、手放さなきゃいけない部分もあった。でも、乗り越えた先には“良いもの”もあったんだと思う。

——“良いもの”?

テディ:うん。僕にとって一番大事なのは、“痛みを無駄にしない”ということなんだ。痛みって、本当は素晴らしいエネルギーにもなり得る。表現するための出口さえあれば、誰かを助けるきっかけにもなるし、自分の“居場所”を見つける手がかりにもなる。いまの時代は特に、気持ちをシェアしやすいよね。自分が抱えていることを打ち明けるだけで、1人かもしれないし100万人かもしれないけれど、同じような思いを持つ誰かに届くかもしれない。そこで“自分はひとりじゃない”と思えるなら、それだけで大きな意味がある。僕自身もそうやって救われてきたし、誰かにも同じ安心を届けたいと思っている。

結局、僕が願っているのはただ“見てもらいたい、聞いてもらいたい”、そして同じ安心感を誰かにも感じてもらいたいということ。泣きたい人は泣けて、笑いたい人は笑えて、自由に動ける——そんな安全な場所をつくりたい。そうやっていくうちに、自分の“トライブ”、自分と同じ感覚を持った仲間が自然と集まってくると思うんだ。痛みを抱えている人たちも、その中に必ずいるはずでね。みんな愛と喪失を知っているし……それに、誰だって“おならは面白い”って思うでしょ?(笑)。つまり、僕ら人間ってそこまで違わないんだと思うんだ。

——ジョージアには、オーティス・レディング、レイ・チャールズ、アウトキャストなど、それそれの時代に”新しい南部の声”を生み出したアーティストがいました。自分もその系譜の一部にいる――という自覚はありますか。

テディ:そうだな……僕が尊敬してきたアーティストたちに対して言える最大のオマージュは、彼らが持っていた“むき出しの感情”、つまり”弱さ(vulnerability)”を自分も大切にすることだと思っている。特に男性は、弱さや感情を見せることが“弱い”と結びつけられがちだけど、本当は全く逆で、心を開いて感情を表現できるのって、ものすごく“強い”ことなんだよ。僕が聴いてきた彼らは、まるでセラピストのようにそのことを教えてくれた。“脆さを見せていい”、“傷つくことも、喜ぶことも、全部そのままでいい”って。その姿に触れたからこそ、僕も自分の感情を隠さずいられるし、それを誰かに伝えることがかっこいいことだって、胸を張って言えるようになったんだ。

——新作の「I’ve Tried Everything But Therapy」というタイトルには、とても率直で人間的な響きがあります。振り返ってみて、この作品を通じて見つけたものは何だったと思いますか。

テディ:さっきも言ったけど、前作(〜Part1)をつくっていた頃は本当に人生のどん底みたいな時期で。そこから今回の作品に向かう過程で、ついにセラピーに行くようになって、本当に多くのことを学んだんだ。ずっとセラピーには“怖さ”があったんだよね。自分の中の何かが変わってしまうんじゃないかとか、知らないものが掘り起こされるんじゃないか、とか。でも実際に行ってみたら全く違っていて、とても助けられたし、温かく受け止めてもらえる時間だった。

どんな状況にいる人でも——幸せでも、落ち込んでいても——セラピーは良いものだと思う。誰にとってもプラスになり得る。だからこそ、アルバムにこのタイトルをつけたのは、メンタルヘルスの話題がもっと日常的に語られるようになればいい、という願いもあったんだ。メンタルヘルスについて話し合い、それを把握することがいかに重要不可欠であるかを議論すること。なぜなら、身体の健康と同じぐらい、きちんと向き合うべきものだから。

——先ほど「物語をきちんと閉じることに意味があると思った」とおっしゃってましたが、次のアルバムは「〜(Part 3)」にはならない?

テディ:いや、それはもう、さすがに別のステージに進むよ(笑)。

PHOTOS:TAKAHIRO OTSUJI

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