「そして、最後には黒が残ったということです」。
ショーの終了後、「コム デ ギャルソン(COMME DES GARCONS)」の川久保玲は、こう語った。確かにコレクションは、黒で幕を開け、しばらくはオールブラック。すると今後は一転してフューシャピンクのコレクションが6体続いたが、それは束の間。最後にはまた黒に戻っている。
「最後には黒が残った」とは、どういう意味だろうか?
アメリカとイスラエルがイランに侵攻している現状を考えると、そして過去の「戦争なんてクソ喰らえ」というメッセージさえ発信した「コム デ ギャルソン」のアティチュードを考えると、それは今の世の中を憂いているようにも思える。しかし、今シーズンのコレクションからは、そんな悲壮感は感じない。レースを筆頭にブロケードやシフォンを駆使して、スポンジのような芯地を入れることで球形から彫刻のように有機的なフォルムを生んだクリエイションからは、憂いのようなムードは感じ難い。であれば、中盤にピンクのパートは挟まないだろう。
とすれば「最後には黒が残った」とは、究極に研ぎ澄ませていった先に残ったもの、つまりは本質とか、アイデンティティーと捉えるのが適切ではないだろうか?川久保は、「黒はまさに最強で、創造力を発揮するのに最適で、反骨精神を体現する色。そして宇宙やブラックホールという、最も大きな意味を持つ色」とも語ったという。やはり「最後には黒が残った」とは、自身の本質であり、森羅万象の根幹でもあると捉えた色へのオマージュなのだ。
黒いパートとピンクのパートで、根本的なクリエイションは変わっていない。さまざまな素材にヒダを寄せ、時には芯地を入れ、さらにはそれさえ別の生地で覆うことにより、巨大なフォームのドレスを生み出している。だが「最後には黒が残った」とするならば、ピンクのパートは、華やかゆえある程度は素晴らしいものにはなり得るが、究極のものにはなり得なかったという表現なのだろう。その時、例えば、多くの人が心血を注いだコレクションをさも見たかのように語りつつSNSで安直にバッシングする人たちへの疑義や、本質を語れないセレブリティーへのコメント取りに終始してコレクションにまつわるコンテンツを生み出したかのように錯覚してしまう自身への反省などが頭を掠めた。
今回のコレクションを見て同じように、内省したり、決意を新たにしたりする人がいるだろうか?そんな人とともに分かち合いたいのは、結論は結局「コム デ ギャルソン」における黒のように、シンプルかもしれないということ。私たちは、シンプルに、突き詰めることの重要性をもう一度考えるべきなのかもしれない。