PROFILE: RiRia/俳優、マルチクリエイター

レッドカーペットやハリウッド、映画や音楽、ファッションの煌びやかな世界と大自然が共存する大都市ロサンゼルス。世界のエンターテイメントの発信地であるこの地へ、日本からさまざまなクリエイターが移住している。ロサンゼルスに移住して3年、スタイリスト歴23年の水嶋和恵が、ロサンゼルスで活躍する日本人クリエイターに成功の秘訣をインタビュー。多様な生き方を知り、人生やビジネスのヒントを探る。第6回はマルチクリエイターのRiRiaに、フルート奏者から俳優へ転向しマルチクリエイターとして活躍する半生を聞く。
マイケル・ジャクソンに胸を打たれてロサンゼルスへ
水嶋和恵(以下、水嶋):ロサンゼルスに至るまでの経歴は?
RiRia:3歳でリコーダー、7歳でクラシックフルートの演奏を始め、10歳でプロフルート奏者としてデビューしました。人生のとても早い段階でプロになり、14歳でプロフィギュアスケーターの浅田真央選手の競技使用曲を演奏しました。
水嶋:日本で活躍している中、なぜロサンゼルスに移住したのですか?
RiRia:16歳で自分の中で限界を感じてしまったんです。元々話すことが大好きで、両手と口がふさがるフルートの表現に限界を感じました。もっと大きいことがしたい、もっと表現がしたいと思っていた矢先、テレビをつけたらマイケル・ジャクソン(Michael Jackson)の姿が。2009年、彼が亡くなる4カ月前でした。エンターテイメントの世界で、同じ表現者でもこれだけ違うのかと衝撃を受けました。パフォーマーである彼から観客がエネルギーを感じ取っている。その姿を見て、マイケルがいるアメリカ・ロサンゼルスで表現者になりたいと思いました。彼を超えていく!と。

水嶋:人生のターニングポイントですね。
RiRia:はい。両親に米国移住の決意を伝えたところ、「次の国際大会で優勝したら、アメリカへの片道チケットをプレゼントする」と言ってくれました。11年のマクサンス・ラリュー国際フルートコンクールで最年少優勝することができ、12年1月、両親との約束を胸に、米国への移住を見据えてニューヨークとロサンゼルスを視察しました。行った時期のニューヨークが極寒だったこともあり、ロサンゼルスに行くことを決めました。
ただ、ロサンゼルスに来てがっかりしたこともあります。私はファッションが大好き。ロサンゼルスはセレブや水嶋さんのようなファッション業界のおしゃれな人であふれていると思っていたので、移住して最初の頃は、人々があまりにもカジュアルなのを見て、正直残念に感じましたね。それでも気候は素晴らしく、エンタメの中心地です。舞台ではなく映像で俳優をしたいという思いもあり、やはり自分が住むのにふさわしいのはハリウッドだと思いました。
水嶋:ロサンゼルスに来てすぐの頃は、どんな生活をしていましたか?
RiRia:移住をするのに高校卒業まで待てない自分がいて、高校2年生でロサンゼルスへ。最初は公立高校に通いながら、音楽大学付属のプレカレッジに通い、学生寮に住んでいました。俳優・表現者になりたいとロサンゼルスに来たけれど、最初の4~5年は音楽留学となってしまい、やりたいことを思うようにできない時期でした。
水嶋:移住した当初の英語力はどうでしたか?
RiRia:英語力は全くなく、人に話かけることもハグをすることもできなかったですね。いつの間にか英語力が身についたのですが、音楽をやってきたのは英語習得において、ラッキーだったかなと。
水嶋:リスニング(聴力)に長けていそうですよね!
RiRia:また、公立高校に通ったことで英語力がついたように思います。周りに日本人もいなかったので、その環境にもまれながら、高校生活を送れたのは大きかったです。
米国で俳優、マルチクリエイターとして活躍の幅を広げる
水嶋:卒業してから、仕事を得るまでの道のりはどのようなものでしたか?
RiRia:17年、EB-1ビザ(第一優先枠:突出した能力や知名度を持つ人物に与えられるビザ)を取得し、米国で就労可能に。そこから階段を登るように、表現者としてコマーシャル出演、さまざまな方のミュージックビデオ出演と仕事が決まっていき、エージェントもつきました。
水嶋:エンタメの地ロサンゼルスでは、多くの事務所が存在しますが、自分に合うエージェントを見つけるのは容易ではなかったのでは。
RiRia:巡り合わせがとても重要でした。大きな事務所だからといって、仕事が入ってくるとは限らない。小さい事務所だからこそ、親身になってくれる場合もあります。日本のマネージメントの仕組みとは異なり、米国では短い期間であっても、納得のいく結果が得られない場合は、タレントが事務所を変更できます。今までに7回事務所を変え、やっとしっくりくるマネージメントと共に仕事をしています。
水嶋:俳優業をしながら、グラフィックデザインや動画クリエイションをしていますが、マルチクリエーターとして活動するに至った経緯を教えてください。
RiRia:幼いときから、コラージュやペーパークラフトをはじめ、何かを創造するのが好きでした。パンデミック中に「おうち時間で何か楽しいことをしよう。みんなを勇気づけられたら」という思いで、自分の作品をソーシャルメディアに投稿したのがきっかけです。自分の体を紙人形に見立てて着せ替えするデジタル作品“RiRia紙人形”。この作品への反響がとても大きく、企業からのコラボ案件をいただくようになりました。
水嶋:紙人形という古くから日本に伝わるものを、デジタルで表現するなんて素敵ですね!
RiRia:ありがとうございます。この作品をきっかけに、韓国女性グループ 2NE1のメンバーの一人であるCLがソロデビューをする際のミュージックビデオ「+DONE161201+」を監修してほしいとの依頼が。本人からインスタグラム経由でオファーをいただいたので「見てくれている人がいる、こんなことがあるんだ」と驚きました。
水嶋:カメオ出演もされたんですよね。まさに、アメリカンドリーム!多くのミュージックビデオや広告のクリエイティブを担当していますが、最近はどのようなプロジェクトがありましたか?
RiRia:キャセイパシフィック航空のウェブCMのクリエイティブを担当しました。自分をコラージュにして、世界を舞台に「駆ける、架ける、賭けるRiRia」を表現したストップモーションビデオです。少しユーモアのある、遊び心のある作品に仕上がりました。
水嶋:トヨタ自動車とクリエイターとの共創プロジェクト「トヨタ ディレクターズカット(TOYOTA DIRECTORSCUT)」での、RiRiaさんの映像作品も記憶に新しいですが、いかがでしたか?
RiRia:空想のゲームをつくり、キャラクターをデザインし、グラフィックを作り込み、実写でも登場する。ディレクション、編集、そして出演もしたので、大変な作業でした。でも、自分の頭の中のものを一番忠実にアウトプットできるのは自分しかいないと思うので、自分で全てできてしまうのは、アーティストとしての強みだなと思います。
フルート奏者から俳優へ、気持ちが切り替わった転機
水嶋:俳優として出演した思い出深い作品はありますか?
RiRia:ユナイテッド航空のテレビCM出演が印象に残っています。フルートの演奏ができて、奇抜な容姿の俳優を探しているとのことでした。
水嶋:それは、RiRiaさんしかいないですね!
RiRia:私以外に誰かいるのかな?いるなら見てみたい!と思いましたね。撮影はグランドキャニオンの頂上で一人。クルーは数km先まで下山をし、ヘリコプターからの撮影でした。フルート奏者としての自分から、俳優としての自分に切り替わった瞬間に、自分の中で「これだ」と腑に落ちました。今まで積み重ねてきたことから、これから目指す自分が見えました。今でも、あのグランドキャニオンから見た夕焼けと、そのときの自分の感情を思い出します。
水嶋:プロの俳優として歩み出した、素晴らしいターニングポイントですね。
RiRia:そこからドラマ出演も決まるようになりました。「ドールフェイス」(Huluオリジナル)でチェリーという名のロックスター役で出演、またエミー賞9冠を受賞した「ハックス」(HBOオリジナル)に出演。実はスタイリスト役なんです!
水嶋:そうなのですね!ファッションが好きだとおっしゃっていましたが、現場の印象はいかがでしたか?
RiRia:ファッションが好きな私としては、憧れの職業でもあるスタイリストの役を演じられるのは、夢のような時間でした。セットの作り込みも、用意されている衣装も素晴らしく、その空間にいるだけで、ワクワクしました。少しでも自分の性格を投影できる役はしっくりきますね。日本人限定でキャスティングされるよりも、人種関係なく自分がハマる役に挑んでいきたいです。それが自分の役者スタイルだと思います。米国の人々が思う日本のイメージはあると思いますが、ニュー・トーキョー、ニュー・ジャパンを彷彿させる役者でいたいと思っています。
水嶋:RiRiaさんとの出会いは、ロサンゼルス日本大使館主催のイベント「JX」。女優のAKEMIさんが紹介してくれました。とてもファッショナブルで、日本人とは違う存在感とすてきなオーラを感じました。さすがハリウッドで活躍している人だと思いました。
RiRia:私は「東京産、ロサンゼルス製」。二つの土地の素晴らしさを融合して、クリエイションを続けたいです。日本に向けて何かを制作するのは、私にとってグローバル。25年は日本での活動も増やしていきたいです!