2021年末で「ヴォーグ ジャパン(VOGUE JAPAN)」の編集長を退任した渡辺三津子はこのほど、THE EDITを立ち上げ、フリーのエディター/ライター/ファッション ・ジャーナリストとして歩み始めた。30年のキャリア、うち13年に及んだ「ヴォーグ ジャパン」編集長時代、そしてこの後立ち上げたいと願う「ファッション長生き研究所」とは?22年早々、彼女に話を聞いた。

WWD:フリーのエディター/ライター/ファッション ・ジャーナリストとしての活動をスタートする現在の心境は?
渡辺三津子(以下、渡辺):30年以上、毎月締め切りのある生活で人生のリズムを作ってきました。「ヴォーグ ジャパン」を去る時、改めて「私の喜びは?」「やりがいってなんだろう?」と考えた時、やっぱり「編集が好き」って思ったんです。ファッションは、社会の「写し鏡」。「ヴォーグ ジャパン」は、特に本誌ではシーズンのファッションから毎号のテーマを定め、時代の気分や人々の無意識の欲望を掘り下げてきました。私にとって、「考える」と「編集する」は同義。そういう生き方になっていったんです。だとしたら編集者の仕事を続けることが、自分らしく考え続けることなのでは?そう考え、気力や体力が許す限り、この仕事を続けたいと考えました。雑誌に主軸を置いていた私にとって、デジタルは課題であり、新しい挑戦であり、自分の考え方さえ考え直すチャンスです。一方、実現できるか、こんな時代に受け入れられるかはわからないけれど、紙でなければできないこともあるでしょう。新しい考え方で向き合ってみたいとも思っています。私自身「書店で売る雑誌は、ちょっと変わるべき」と感じているので、新しい紙媒体は時間のかかるプロジェクトだと思いますが、じっくり妄想したいと思います。日本における「ラグジュアリーとは、何なのか?」も探求したいですね。最近「富裕層マーケティング」という言葉をよく聞きますが、私はどこか馴染めなくて。「人々の生き方を豊かにする、普遍的なラグジュアリー」を表現することで、結果として「富裕層」にも響くコンテンツや出版物ができたらと思います。簡単なわかりやすさや効率とは別の価値観を示したいです。いろんなことを考えていますが、まずは「一人でコツコツできること」と「コミュニティの協力を得ること」から始めたいと思います。「一人でコツコツできること」には、原稿執筆とともに、本を出版するという目標があります。デザイナーやクリエイターたちへのインタビューや、私が今まで見てきた約30年間のファッション界、クリエイションと時代の関係などを書いてみたいです。
WWD:これまでの30年間を振り返ると?
渡辺:大学を卒業して間もなく「花椿」で働き、平山景子(1982~92年まで同誌編集長)さんと仲條正義(長年にわたり同誌のアートディレクターを担当)さんに編集の基礎の全てを教えていただきました。あの時の経験があったからこそ、「ヴォーグ ジャパン」でやってこれたと思います。実用的なことのみならず、それを超越したイマジネーションを刺激するコンテンツはどうすれば作れて、誌面で表現できるのか?そして、イマジネーションを刺激できたときの喜びも教えていただきました。フリーのジャーナリストばかりが日本から取材に赴く中、20代から先陣を切って、編集部員として海外コレクションにも行かせていただきました。でも正直ファッションは当時、私にとっては「情熱」というより「仕事のスキル」でした。誰よりも早くコレクション取材まで経験したから、編集者として生きていく上でファッションは最も強い「売り」や「強み」になるな、という感覚だったんです。でも結局、一番喜びを感じるテーマになったんですけれどね(笑)。だからこそ今はファッションに「恩返ししたい。一生、お付き合いしたい」と思っています。
WWD:改めてファッションの魅力とは?
渡辺:「ヴォーグ ジャパン」の編集長になってからは、想像もつかない世界も体験しました。一方で、そこには光があれば影もあり、後者の存在は足を踏み入れないと体感できないものだったと思います。他の人には「無駄」かもしれないものに喜びが存在すること、一瞬で終わってしまう儚いものに情熱を込めること、それはファッションでしかなし得ないことです。無駄は、無駄じゃない。それを実感できるような大人になったので、伝えていきたいんです。そんな世界を形作るデザイナーやスタイリスト、フォトグラファーと関わり、突き抜ける才能が爆発する瞬間に立ち会えたこと、その人だけの輝きの素晴らしさを間近で見られたことも、得難い経験です。時々「ファッションは閉ざされた、排他的な世界だ」と言われることがありますよね?実際、そんな一面はあるんだと思います。でもコミュニティーを形作っているクリエイターたちは、部外者を排除したいんじゃありません。才能を最大限に発揮させるには、限られた人々の中でしか通用しない同じ言語や感覚が必要なときがあるんです。そんな言語や感覚を共有している人たちが特別なグループを形作るのは、ある意味で仕方のないことだと思っています。エディターとして経験を積めば積むほど、才能は得難く、特別なものと実感するようになりました。皆で、大切にしなければならないものです。だからこそ、私は伝える仕事に携わりたい。背後のストーリー、別の角度からの見方、その味わい方、奥深さを語り部の様に発信したいんです。
WWD:「ヴォーグ ジャパン」の編集長時代を振り返ると?
渡辺:(ファッションコンテンツを統括する)ファッション・フィーチャー・ディレクターとしても長年誌面作りをリードしてきたので、編集長に就任したからと言って、誌面を大きく変えることはありませんでした。ただ編集長と、ファッション・フィーチャー・ディレクターでは、仕事内容が大きく変わります。内外から求められる、責任や役割が大きくなりました。「ヴォーグ ジャパン」の編集長として、プレッシャーもありました。「編集長になれた。良かった」よりは「どんなものを背負うんだろう?」という不安の方が、正直少しだけ大きかったと思います。そんな時、考えをクリアにするために思いついたのは、「『ヴォーグ ジャパン』編集長」という“大名跡(「市川團十郎」や「尾上菊五郎」のように代々継承される個人名)”を襲名しようという考え方でした。
WWD:「4代目『ヴォーグ ジャパン』編集長の渡辺三津子」を意識した?
渡辺:大名跡を襲名するという感覚を持ったら、いろんなものがクリアになったんです。大きな責任を背負うことは変わらないけれど、「やりたいこと」と「求められること」のバランスを意識できるようになりました。「ヴォーグ ジャパン」が「ヴォーグ ジャパン」であり続けるには、代々伝わる伝統とクオリティ、家を成り立たせるための“ご贔屓(=クライアント)”との関係、雑誌としての社会的責任なども引き継ぎ、発展させる必要があります。「やりたいこと」とは別の責任や役割、その全てを引っくるめて「果たしていく」という感覚になれたんです。「組織を率いる」ことは、時に自分より組織の目的を優先することでもあります。そんな時「どう折り合いをつけるか?」は、編集長が向き合う課題。一方で自分のスタイルを確立しないと「何をやってるんだ?」とも言われてしまいます。組織を背負っているからこそ、「守るべきこと」と「やりがい」のバランスは重要です。今は、その大名跡をお返しした。そんな感覚ですね。
WWD:「求められること」から解放されたからこそ、今は「やりたいこと」だけが追求できる感覚?「やりたいこと」だけを追求する編集は、新しい世界?
渡辺:今は、名跡の衣装を脱いだ、一人の、裸の編集者という感覚ですね(笑)。ただ、これまでに得た経験や関係性、スキルは、私自身の財産です。今度は「初代 渡辺三津子」として芸を磨き、精進したいと思っています(笑)。仕事は「求められない」と成立しないので、皆さんのお役に立つことが基本ですが、一方で自分が「心騒ぐ」原点にシンプルに戻ってもみたいですね。
WWD:大名跡を返上しようと思った理由は?
渡辺:前々から「10年後も、今の大名跡のまま仕事をしていることはないだろう」と思っていました。「気力や体力があるうちに、違う荒野に出る」ことは、考えていたんです。そんな時、ジャパン社を含むコンデナストの大改革(編集部注:グローバル・エディトリアル・ディレクターに就任したアナ・ウィンター(Anna Wintour)は今後、各国の「ヴォーグ」へのディレクションも強化すると言われている)が始まりました。「私の役割は終わった」という感覚がありました。内的、外的要因が同時にあって、「今が、そのタイミング」と自然に思えたんです。退任発表は2021年の5月でしたが、2月くらいには「終わる時が来た」と感じていました。変化は時代の必然的な流れですから、「良い」も「悪い」もありません。ただ「私ができることは、ここまで。自分の限界はもちろんあるけれど、やれるだけのことは、やったかな」と思っていますし、コンデナストには「これまで一緒に素晴らしい仕事ができて、本当にありがとうございます」と心から感謝しています。
WWD:そして、どんなことをやりたい?
渡辺:「ファッション長生き研究所(Fashion Longevity Lab)」とでも呼んだらいいでしょうか?何らかのコミュニティが作れないか?と考えています。「Longevity」は「永続性」という意味で、英語圏では、サステナビリティーの代わりに用いられる言葉でもありますね。環境や地球はもちろん、個々人のクリエイティビティも含めて、ファッションの命を永らえるようなアクションやプロジェクトに取り組み、楽しく、刺激的に、いろんな人たちとゆるく繋がるコミュニティができたらと思っています。一着の服と大切に付き合い長生きさせる日常的なアイデアから、ファッションそのものの魅力までを紹介していければと思います。ファッション業界には多くの女性が働いているので、労働環境や権利などの問題を考え、改善することで私たちの業界が他のモデルとなれば、それがひいてはファッションの命を長らえることにも繋がるのではなんて考えています。また、中里唯馬さんがリードして2021年に発足した、社会課題の解決と創造性の両立を目指して未来の才能を発掘、育成する「Fashion Frontier Program」の審査には、これまで「ヴォーグ ジャパン」の編集長として参加してきましたが、これからも関わる予定です。別の野望としては、最初にお話した通り紙の出版物の新たな可能性も探ってみたいです。欲張りですが(笑)。