ファッション

マリエが本音で語る「私の33年目のサステナブル」 Vol.6 ファッション好きの少女がデザイナーになるまで【幼少期編】

前回までの「私がサステナブルになった理由」でもお伝えした通り、もともと自分のブランドを熱望していたわけではない。そんな私が、どういう経緯でサステナブルなブランドのデザイナーになったのか。幼少期からモデル時代、そしてさまざまな経験や悩みを乗り越え、デザイナーになるまでをお話する。

私は、幼稚園生のころからファッションが大好きな子どもだった。嫌いなピアノのレッスンを続けられたのも、発表会でドレスを着ることができたから。発表会のたびに母がドレスを新調してくれるのが楽しみで、チュールスカートの枚数を姉と毎回競い合っていた。

小学校は制服だったので、私服が着られる遠足前は、友人がお菓子の話で盛り上がる中、私は一人当日のコーディネートをノートに描いて興奮していた。ずっと私服でいられる修学旅行前になると、頭の中はドーパミンで溢れていた(笑)。

成長した今も、その愛は変わらない。

ただ、ファッションが大好きでも、自分のブランドが欲しいと思ったことは一度もなかった。デザイナーは尊敬していたけれど、自分がなりたいなんて考えたこともなかった。ましてやサステナブルな思考なんて、お菓子のゴミが邪魔だな……くらいだ。

1990年代の日本は、オーガニックやエシカルなライフスタイルの重要性に気が付ける環境ではなかった。当時の“サステナブル”なんて、倉本聰監督のドラマ「北の国から」の中ぐらいだろう。(大人になってから観て、「こんなに時代の最先端をキャプションした物語だったのか!」と感動した)。もし生まれてくる時代や受ける教育が違っていたら、オーガニックなライフスタイルの価値にもっと早く気づけたのかもしれない。

つづく……