PROFILE: 井原倫子/仿古堂社長

スポンジやパフ、ブラシといったメイクツールの国内市場規模は、直近3年間で16%拡大しており(2023〜26年、インテージ調べ)、今後も成長が見込まれる。中でも化粧筆は、ベースメイクから目元の細かなメイクまで幅広い用途に使われ、世界市場でも大きなシェアを占めるカテゴリーだ。その国内生産を支える一大産地が、広島県安芸郡熊野町だ。熊野町には、約100社のメーカーが集積し、日本製化粧筆の8割以上を生産する。一方で近年は、海外メーカーとの価格競争や後継者不足などが課題となっている。こうした環境の中で、1900年創業の老舗メーカー仿古堂(ほうこどう)はどのように独自の地位を築いてきたのか。4代目社長の井原倫子氏に、商品戦略や職人育成、伝統を次世代につなぐ経営について聞いた。
日常に寄り添う化粧筆をプロデュース
WWD:化粧筆を手掛けるようになった経緯は?
井原倫子社長(以下、井原):仿古堂は曽祖父の代に書道筆の製造・卸売りから始まり、約40年前に化粧筆の仕入れと販売を始めました。書道人口が減少する中、化粧筆市場はこれから伸びるという感覚があり、約30年前に自社での商品開発に踏み切ったんです。在庫を抱えるリスクもあり、先代の父は決断を迷っていましたが、当時20代だった私は化粧にも興味があり、自分で化粧筆を作れることにワクワクしていました。現在、売り上げの7割を書道筆、3割を化粧筆が占めています。書道筆の売り上げは年々減少傾向にありますが、化粧筆の成長がそれをカバーし、全体の売上高は横ばいで推移しています。
WWD:熊野筆メーカーの中で仿古堂の特徴は?
井原:一般女性の日常に寄り添った化粧筆をプロデュースしていることです。ほとんどの人はプロから化粧を学ぶのではなく、自己流でメイクをしています。だからこそ、たくさんの種類から選ぶのではなく、自分に合う筆を見つけて、色が混ざらないように何本か使い分ける方法がいいのではないかと考えています。
WWD:販売チャネルと、好調な販路は?
井原:百貨店やセレクトショップ、書道用品店、ECなどで販売しています。売り上げの大半はECが占め、購入者の3〜4割がリピーターです。ここ5〜6年は、ふるさと納税の返礼品として選ばれることも増えました。当社を知ってもらうきっかけになっています。
車で5分ほどの場所には、熊野町が設置し、一般財団法人筆の里振興事業団が管理・運営する博物館「筆の里工房」があります。筆づくりの歴史や文化を紹介する同館を訪れた帰りに、仿古堂の本店へ立ち寄るお客さまもいます。
深刻化する職人不足と後継者育成の課題
WWD:熊野筆業界を取り巻く環境はどのように変化している?
井原:熊野筆に携わる人は減り続けています。当社は長く勤めてくれる従業員が多いのですが、家庭の事情や定年退職などで欠員が出ても、十分に補充できていません。伝統工芸全般に言えることですが、後継者の育成が課題です。筆作りは、一人前になるまで化粧筆で2〜3年、書道筆では10年近くかかります。企業はその間、人件費などを先行投資しなければなりません。修業中は給料もなかなか上げられず、長く続けられない人もいます。
昔は師匠に弟子入りして技術を学び、いずれ独立する流れが一般的でした。給料は出なくても、師匠が衣食住の面倒を見てくれたんです。今はそうした仕組みがなく、修行しながら生計を立てることが難しくなっています。
WWD:筆作りを支える周辺産業の状況は?
井原:筆を作るための道具を作る職人も減っています。筆を作る職人だけを育てても、関連技術が失われれば産地全体を維持できません。熊野町だけでなく、呉市の川尻や奈良など、全国に筆作りの技術を持つ人たちがいます。今後は熊野筆という産地の枠を超え、日本の筆業界全体を支える仕組みが必要です。熊野町は全国でも生産量が多い産地ですから、仿古堂も業界をけん引する一助になりたいです。
WWD:職人の育成に向けて、どのような取り組みをしている?
井原:職人を目指す応募者は少ないですが、受け入れられるよう、利益を生み出せる経営を常に考えています。5年前には、56歳の男性を筆職人として採用しました。その男性は若いときから筆職人になりたかったそうですが、42歳で別の場所で応募した際は、年齢を理由に断られたそうです。当社の募集を見て、最後のチャンスだと思い、電話をくれました。
WWD:56歳の未経験者を採用した理由と、職人を育てる上での考え方は?
井原:職人に向いているかどうかは、手の動きを見れば分かります。工房で試しに手を動かしてもらうと、几帳面で丁寧な人だと感じました。若い人も採用してきましたが、2〜3年で辞めてしまうことが多いんです。彼の年齢で、残りの人生を筆作りに懸けようとするのは並大抵の覚悟ではありません。長く続けてくれるのではないかと思いました。
66歳で一人前になり、その後20年ほど勤めてくれれば、投資としては収支が合う計算です。でもそれ以上に、技術を受け継ぐ人が育つのであれば、採用する価値があると思いました。今もまだ手は遅く、採算は合っていませんが、生き生きと働く姿を見ると、会社にとって大切な財産だと感じます。
WWD:会社を存続させる上で、大切にしていることは?
井原:一人一人の人生に向き合うことです。会社を存続させるには、お客さまはもちろん、職人や従業員も大切です。同時に、時代の変化に合わせて会社も変わっていく必要があります。私自身もAIなどの新しい技術を積極的に使い、従業員向けのワークショップを開くなど、社内での活用を促しています。
伝統を受け継ぎ、新たな挑戦で筆業界をけん引
WWD:120年以上事業を続けてこられた最大の理由は?
井原:アーティストのための筆を作ってきたことだと思います。鉛筆が普及する前、筆は日常の筆記用具として、どこの家庭にもありました。しかし明治時代以降に鉛筆が普及し、戦後は教育現場で書道などの位置付けも変わりました。こうした時代の変化の中で、日常的に使う書道筆を作っていた筆屋の多くは廃業しました。
一方で、書道は今も文化・芸術として残り、陶芸や漆器などの伝統工芸でも筆が使われています。当社の2代目は芸術への関心が高く、自らも書道を学んでいました。そこで築いたつながりから、版画家の棟方志功や書道家の上田桑鳩といった芸術家の筆を手掛けるようになりました。
WWD:社長就任後、特に注力してきたことは?
井原:常に新しいことに挑戦する姿勢を大切にしています。コロナ禍が始まったころには、デジタル化を進める資金をクラウドファンディングで募りました。父には「物乞いのようではないか」「会社の暖簾に傷をつける気か」と反対されましたが、会社を前進させるためには挑戦する必要があると、踏み切りました。
WWD:クラウドファンディングではどのような工夫をした?
井原:当時、書道筆メーカーでクラウドファンディングに取り組んでいるところはほとんどなかったと思います。目標額を100万円に設定し、書道筆と化粧筆を返礼品にしました。支援者にはお礼のメールをすぐに送り、返礼品には手書きのお礼状を添えました。ブログや動画でも発信するなど、デジタルとアナログの両方を生かしながら、支援してくださった人とのつながりを大切にしたことが、口コミの広がりにも結びつきました。最終的には140万円近くの支援が集まり、ほかの筆メーカーからも成功の秘訣を尋ねられました。今後も、誰かが始めたことを後から追うのではなく、自ら新しいことに挑戦し、筆業界をけん引していきたいと考えています。
WWD:仿古堂として、次世代に残したいものは?
井原:日本が古くから受け継いできた“品格”です。筆屋に生まれ育って良かったと思うのは、書道家や神社、お寺で働く人々など、日本の品格を体現する人たちと出会えたことです。品格は礼の仕方や話し方、姿勢に表れるものだと思います。何となく素敵だなと思わせる佇まい。それは、筆を使う仕草にも表れます。仿古堂は、筆を通して日本の品格を残していきたい。そして若い世代や海外にも、それが日本の誇りであることを伝えていきたいです。
