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映画「ハムネット」クロエ・ジャオ監督インタビュー 人生の痛みや喪失を乗り越える“創造の力”

ウィリアム・シェイクスピアの名作戯曲「ハムレット」の誕生の背景にあった、悲劇と愛の物語。4月10日に公開となった映画「ハムネット」は北アイルランド出身の作家マギー・オファーレルのフィクション小説を基に、第93回アカデミー賞受賞作「ノマドランド」のクロエ・ジャオ(Chloe Zhao)監督が映像化した作品だ。

舞台は1580年、イングランドの小さな村。自然を愛し、不思議な力を持つアグネス(ジェシー・バックリー)は、まだ作家として名を成す前のウィリアム・シェイクスピア(ポール・メスカル)と恋に落ち、家族を築く。やがて子どもに恵まれ、ウィリアムが作家として名を馳せ始めた頃、一家に思いがけない出来事が訪れる——。

愛と喪失、そして“物語ること”の力をドラマチックに描く本作は、第98回アカデミー賞にて作品賞をはじめ計8部門にノミネートされ、バックリーが主演女優賞を受賞するなど大きな注目を集めている。戯曲と人生が思わぬかたちで交差していくこの物語のどこにクロエ・ジャオは惹かれたのか。繊細な小説を映像化していくプロセスや、映像作家として感じる物語の力、戯曲「ハムレット」の本質などについて話を伺った。

映像化に当たって考えたこと

——原作小説「ハムネット」を読んだときに、魂レベルで惹きつけられたそうですね。物語のどういう部分にそれほど惹かれたのでしょうか?

クロエ・ジャオ(以下、ジャオ):愛と死、そして変容の要素ですね。それと同時に、アグネス自身が“創造する存在”であるという点にも惹かれました。ウィリアムと同じく、彼女もまた語り手なんです。ただし彼女の語りは古代からのもので、それは直感や感受性が礎となっている。かつてはそれを“魔術”と呼んだりもした。私はそこに共感しました。身体と自然が繋がっていると、人は非常に鋭い直感や感受性を持つようになります。人の感情や行動を感じ取り、ときには出来事の流れさえ予測できるようになる。パターンに気付くとも言えますね。

かつてはそうした女性は火あぶりにされましたが、例えばアグネスのような“天候を読む魔女”というのは、ただ自然のパターンに敏感な人だとも考えられます。彼女はそうやって何かを見るし、感じる。そういった直感的な語りは、長い間失われてきたものでもあります。そして私の中にもアグネスのような部分がある。だから私はアグネスが語り手として創造する側面にもとても興味があるのです。

——本作が描く「物語を創造すること」が持つ再生の力について、映像作家の立場からどのように考えますか?

ジャオ:「なぜ物語を語るのか」と自分に問いかけることがあります。そのときに考えるのは、人間としてこの世界に存在することは、かなり難しいということ。素晴らしい側面ももちろんあるけれど、そうではない側面も同じだけある。だから私たちは”物語”を通して、痛みや喪失、そしてやがて訪れる死に意味を与えてきたのだと思います。意味がなければ、それらを受け入れるのはとても困難ですから。スピリチュアルや宗教も、いわばある種の物語ですよね。演劇や映画は、その現代的なかたちなのだと思います。きっと私たちの誰もが、人生の痛みや喪失を乗り越える創造の力があるのでしょうから。

——原作の美点は詩的で慈愛に満ちた筆致にあると思います。それをどのように映像言語として作品に落とし込んでいったのでしょうか。

ジャオ:まず小説自体が実に素晴らしい出来栄えですよね。作者であるマギー・オファーレルは登場人物の内なる景色をとても丁寧に綴っていて、物語全体がとても内省的です。それが監督である私にとって好都合でした。登場人物の内なる景色が分かれば、私や各部門の責任者たち——撮影監督やプロダクションデザイナー、衣装、ヘアメイクなど——は、その内面の景色をいかに外側の景色へと変換するかを最優先に考えていく。私たちは単に「美しいから」といった理由だけでロケーションを選んだり、セットを設営したりすることは決してありません。すべてはキャラクターの内側で起きている複雑な感情を反映させるために行うことですから。

シェイクスピアの描き方

——原作ではウィリアム・シェイクスピアという名前は登場せず、”父”や”夫”といった呼称でしか描かれません。一方、映画ではウィリアムにもフォーカスして描かれていますが、彼の役柄をどのように掘り下げていったのでしょうか?

ジャオ:この物語はアグネスとウィリアム、2人の物語なんです。彼女たちは結ばれ、離れ、そして再び結ばれる。そこが重要でした。そもそもシェイクスピアという人物について、私たちは実際には何も知りません。あくまで知っているのは彼の作品です。

私は、役者がいてこそキャラクターが存在すると考えます。だから「このキャラクターはこういう人物だ」とイメージを先に決めて、そこに役者を当てはめるようなことは決してしません。そうではなく、まずそのキャラクターの資質を持った役者を見つける。そして役者自身にその人物を探求させ、映画の中に持ち寄ってもらう。そうしてポール・メスカルとウィリアム・シェイクスピアの“半分ずつ”のような存在を作っていきました。ポールはシェイクスピアの戯曲と長い時間向き合い、自分なりの人物像を掘り下げていきました。例えば劇中にはウィリアムが劇のリハーサルをしているシーンがありますよね。その部分は原作にはありませんが、ポールが「ウィリアムならそうする」と撮ることを選んだシーンなんです。

映画ならではのオリジナル要素

——繰り返し描かれる「振り返る」という動作が作中では重要な役割を果たします。その起点となるのがウィリアムがアグネスに語るギリシャ神話「オルフェオとエウリディーチェ」ですね。これが映画オリジナルであることに驚いたのですが、その要素はどのようにして生まれたのでしょうか?

ジャオ:アグネスが「私を見て」と願う様子は小説にもありましたが、その前段となる「オルフェオとエウリディーチェ」に関しては確かに新たに加えたものです。それはアグネスがウィリアムに恋をした理由を観客に見せたいと考えたから。アグネスがハヤブサを腕に乗せて現れたとき、ウィリアムはその美しさに惹かれる。それは理解できますが、では逆にアグネスはなぜ彼に惹かれたのでしょうか?ウィリアムには職も生計を立てる手段もなく、彼女より若く内気で多くを語らない。けれどひとたび「物語」を語り始めると、その瞬間に私たちは彼の虜になりますよね。だからこそ彼に物語を語らせたいと考えました。

またジェシー(・バックリー)は制作中にいろいろ画像やメッセージを送ってきてくれたんですが、その中に「たとえ影でも、たとえ夢でも」という言葉が入った画像があったんです。そこから「オルフェオとエウリディーチェ」のイメージが湧き上がってきて、若きウィリアムにこのギリシャ神話を語らせることにしました。

——また原作では少ししか描かれていなかった劇中劇「ハムレット」上演の模様が、映画ではカタルシスを伴う見事なクライマックスとして機能していましたね。このシークエンスはどのように構築していったのでしょうか?

ジャオ:原作は「私を覚えていて」という言葉で終わり、その後を読者に想像させる余白がありますよね。文章というメディアは映画よりも古い表現形式ですが、小説が「私を覚えていて」という言葉で終える場合と、映画が「私を覚えていて」という台詞で暗転し完結する場合とではまったく異なる感覚になってしまいます。なので今回の映画では、小説の終わり方で生まれる感情と同じものを表現するために、20分近い時間をかける必要がありました。

ハムレットが命を落とすという戯曲の結末は周知の通りなので、彼が死にゆくラストシーンを劇中劇として映すことは早い段階から決まっていました。そのラストを決めた上で、私とマギーは劇の勝負どころとなる場面を一緒に選んでいったんです。そしてその決定を下したあとで、私たちは映画の前半へと遡り、ラストシーンに繋がる場面を作っていきました。たとえば前半で息子が放つ「剣で闘う役者になりたい」という台詞は、劇中劇の決闘するシーンに活きてくる。彼らの人生の中に戯曲のイースターエッグが入り込んでいくような構造。つまり、人生と戯曲が交差していくんです。

“愛と死”について

——“愛と死”という大きなテーマを扱うことは、ジャオ監督にとってどういう挑戦でしたか?

ジャオ:私はずっと死を恐れてきました。そしてその恐れが、愛や生きることへの恐れにも繋がっていたと思います。この映画を制作していた頃、私は個人的にも愛の喪失を経験していました。つまりグローブ座で「ハムレット」を観る人々が感じたカタルシスと同じものを、私自身も制作の中で経験したんです。その結果、不思議なことに、以前より少しだけ死を恐れなくなりました。そしてそれは、愛を恐れなくなることにも繋がった。そういう意味で、本作の制作はとても個人的な体験でもあったんです。

——ウィリアム・シェイクスピア、あるいは「ハムレット」に対するイメージはこの作品を手掛けたことで変わりましたか?

ジャオ:シェイクスピアへの見方自体は大きく変わっていません。彼が偉大な語り手であり、人間を深く理解した作家であることはずっと分かっていました。ですが「ハムレット」に対する見方は大きく変わりました。実は私はずっと「マクベス」派だったんです。「ハムレット」はあまり好きにはなれなかった。なぜならそれが復讐の物語だと思っていたから。みんなも「ハムレットは復讐劇だ」と言うでしょう? でも今はそれは本質ではないと感じています。

「ハムレット」が描くのは死について、そしてだからこそ生の物語でもある。例えば「生あるものはすべて死を免れない。自然の理を通り、永遠へと旅立つ」という台詞があるように、死の不可避性と、それが自然や永遠、そして愛へと繋がっていくことを語っている。同時に生きることの難しさについても。とてもヒューマニズムに満ちた戯曲です。「生きるか死ぬか、それこそが問題だ」と言い、沈黙が残る。もちろん「ハムレット」が復讐の物語というのは間違いではありませんが、同時に生と死をめぐる物語でもあると今は思います。

映画「ハムネット」

◾️映画「ハムネット」
全国公開中
出演:ジェシー・バックリー、ポール・メスカル、エミリー・ワトソン、ジョー・アルウィン
監督:クロエ・ジャオ
脚本:クロエ・ジャオ、マギー・オファーレル
製作:スティーヴン・スピルバーグ、サム・メンデス
2025年/イギリス/1.78:1/126分/カラー/英語/5.1ch/
原題:HAMNET
配給:パルコ ユニバーサル映画
©2025 FOCUS FEATURES LLC.
https://hamnet-movie.jp/

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