
佐々木拓也/「ティーエスティーエス(TSTS)」デザイナー
PROFILE: 1990年青森県生まれ。文化服装学院、ここのがっこう、アントワープ王立芸術アカデミーで学ぶ。「サカイ」でインターンを経験後、「タイガ タカハシ」(現T.T)の立ち上げに携わる。2023年、パタンナー井指友里恵とともに「ティーエスティーエス」を始動 PHOTO:NAOYA TOITA
佐々木拓也が手掛けるファッションブランド「TSTS」が、今、静かに存在感を高めている。ブランド名は“TAKUYA SASAKI TEST SAMPLES”の略。軍服の実験的試作品に由来し、試行錯誤を前提とした服作りと、アントワープ仕込みのシュールなユーモアを核に据える。
オンラインでの発信も特徴的だ。noteでは「ファッションデザイナーを目指したきっかけは?」という一つの問いに対し、12回の投稿、5万字超で回答。自身の半生やアントワープ王立芸術アカデミーでの教育、葛藤を綴ったその記録は、狭き門を志す人々にとって貴重な資料となっている。
ストリートとモード、東京とアントワープ、その間にある「二面性」は、どのようにして形づくられてきたのか。ブランドの現在地と、その先に見据えるものを聞いた。
──ファッションに目覚めたきっかけは?
最初のきっかけは9歳の時、「ナイキ(NIKE)」のスニーカーを初めて自分の意志で選んで買ってもらったことです。そこから足元からトータルコーディネートを考えるようになっていきました。
2つ目が中学1年生の時。雑誌「ブーン(Boon)」を通して、地元とは異なる、東京や世界の都市のファッションに触れたことです。自分の日常の延長線上にないファッションと出合えたのは大きかった。
3つ目が高校1年生の時。エディ・スリマン(Hedi Slimane)の「ディオール オム(DIOR HOMME)」を知り、ストリートからモードへと視野が一気に広がりました。
──佐々木さんの学生時代はオンラインのコミュニティーが台頭し始めてきた頃ですよね。
青森の小さな村で育った僕でも、インターネットがあったからこそ、一歩踏み込んだファッション情報にアクセスできました。特に高校で携帯電話を持ったことが大きかった。ミクシーやモバゲーにはマニアックなコミュニティーがあり、かなり深い情報交換が行われていました。
16歳で「ディオール オム」に夢中になった年には、クリス・ヴァン・アッシュ(Kris Van Assche)やルカ・オッセンドライバー(Lucas Ossendrijver)の名前も自然と知るようになっていました。
東京とアントワープで学んだ
異なるファッション教育
──文化服装学院、ここのがっこう、アントワープと3つの学校で学ばれましたが、それぞれから得たものは?
文化服装学院では、まず技術を学びました。当時はファッションデザイナーになれるとは思っていなくて、「近くで何かしら手伝える存在になれたら」くらいの気持ちでした。
ここのがっこうは、海外式のファッションデザインへの入口でした。主宰の山縣良和さんはセント・マーチンズ出身で、授業では「自分は何者か」「本当に作りたいものは何か」を徹底的に掘り下げる。そのプロセスが自分にはとても合っていて、正直、得意だと感じました。
アントワープ王立芸術アカデミーでは、ファッションデザイナーになるための実践的なトレーニングを受けました。当時の学長、ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク(Walter Van Beirendonck)から直接学べたことも大きな糧です。毎シーズン制作するリサーチブックは学生時代からの習慣で、自分の思考を整理すると同時に、他者に伝えるためのプレゼンテーションツールでもあります。
──帰国後はどのような経験を積みましたか?
東京に戻ってから、思いつくブランドすべてに履歴書を送り、見事に全滅しました(笑)。その後、「サカイ(SACAI)」でパタンナーアシスタントとして9カ月間働くことになります。
同時期に、友人の故・髙橋大雅くんの誘いで「タイガ・タカハシ(TAIGA TAKAHASHI)」の立ち上げに参加し、デザイン以外の業務を担当しました。その経験を経て、アントワープ時代から共に制作してきたパタンナーの井指(友里恵)に背中を押され、2023年に「ティーエスティーエス」をスタートさせました。
ギンガムや絵文字が象徴する
2年で確立されたシグネチャー
──ブランドを3つのキーワードで表すとしたら?
「二面性」「東京」「アントワープ」です。青森にいながら東京のストリートカルチャーに憧れていた経験と、アントワープで培ったコンセプチュアルな思考。その両方が、自分の服作りの軸になっています。
──「ティーエスティーエス」だと一目見て分かるシグネチャーも生まれていますね。
ファーストシーズンで「二面性」を表現するため、服の内と外で異なるギンガムチェックを使ったのが始まりです。それがどんどん膨らんで、気づけば“ギンガムのブランド”になっていました(笑)。
サックスブルーや絵文字風グラフィックも、今ではブランドを象徴する要素になっています。
──絵文字風グラフィックが生まれた経緯は?
精神的な不調を経験していた25年春夏の制作時に、村上隆さんの「言い訳ペインティング」に出合いました。僕も「もう思いつきません」「ちょっと調子悪いです」という言い訳をチャット画面風のプリントに落とし込んだんです。絵文字はAppleが商標を持っているので、すべてオリジナルで制作しています。

──コレクションには社会批評性とユーモアの共存が感じられます。
アントワープでの卒業コレクションのテーマは「お笑い」でした。服の中で大喜利をするような感覚で、小さなボケを積み重ねていく。それが結果的にコンセプチュアルに見えるものになっていました。理屈っぽく考えるのがもともと好きなので、アントワープ的なシュールさを意図的に混ぜるようになりました。
ファーストシーズンでは、チャーリー・チャップリンの映画「独裁者」をメインモチーフに採用しました。反戦や反差別、資本主義へのアンチテーゼを投げかけつつも、ポジティブなムードを添えたかったので、ポップな色使いを意識しました。
サカナクション山口にヒントを得た
新たなコミュニケーションの在り方
──インスタグラムのQ&Aでファンとコミュニケーションを取られるようになった理由は?
インディペンデントブランドの本質は、デザイナーとファンの結びつき、コミュニティーの形成にあると思っています。かつてDCブランドや裏原がフィジカルな場を持てていたけど、今ブランドではそれを実現できない。それならば、SNSという非物理的な場をどう使うかが重要だと感じました。
影響を受けたのは、サカナクションの山口一郎さんのYouTube配信です。物作りの苦悩やプロセスをファンと共有して、一体感を作る。音楽という質量のないものに概念を乗せることで、質量を与える。その姿勢に強く共感しました。ただ、僕はYouTube向きじゃないなと。顔出しもしておらず、喋りも下手だと思っていたので、テキストベースのコミュニケーションをしたいと思ったんです。
──自身のことを赤裸々に綴っているが、反響は?
インスタグラムのQ&Aは反響も大きかったですが、賛否もありました。フォロワーが増える一方で、同じくらい減る(笑)。デザイナーに興味がない洋服好きの方には、Q&Aがノイズになってしまうと思いました。それなら、興味のある人だけが読める場所でやろうとnoteに移行。制限なく書けて、写真も掲載できる。有料コンテンツにすることで、濃度の高いファンのフィルターになっていると感じます。
─現在のブランドのフェーズをどう捉えていますか?
卸先は全国に広がり、理想としていた店舗にも並ぶようになりました。ただ、一般認知はまだこれから。2026年以降は海外展開も視野に入れ、いつかはランウェイショーにも開催したいです。
──憧れのブランドは?
「コム デ ギャルソン(COMME DES GARCONS)」です。川久保玲さんたちが築いた土壌があるからこそ、日本のファッション業界はインフラが整っていると感じます。その恩恵を受けられる時代だからこそ、自分たちも挑戦できる。意思決定の速さと自由さを武器に、ブランドイメージを高く保ちながら、着実に成長していくことが目標です。