六本木・天王洲のギャラリーKOTARO NUKAGAで、ロンドンを拠点として活動するアーティスト、アニー・モリス(Annie Morris)とイドリス・カーン(Idris Khan)の二人展「A Petal Silently Falls」が開催中だ。両者ともに日本では初の展覧会で会期は12月26日まで。
アニー・モリスは「Stack」シリーズと呼ばれる彫刻作品群で知られる。精彩に富んだ色調と不均一なフォルムの球体があやういバランスで積み重ねられた彫刻作品で、石膏や鋳造のブロンズと鮮やかな顔料を用いて生み出されるテクスチャーは、電子顕微鏡で見る卵子や細胞にも似た生命のトーンを帯び、作家自身の深い喪失の体験と、それをめぐる終わりなき問いや人生観が織り込まれている。また同様に不規則な大きさと形の多彩な円が平面に重なり合い花びらを思わせる作品「Petal」シリーズは、花を頭部に戴いた女性をモチーフにした「Flower Woman」シリーズと並び、ともに花と女性が内包する美しさと儚さの二重性、ひいては人生において積み重ねられる瞬間の尊さが表現されている。
イドリス・カーンは、時間の蓄積、記憶の痕跡、宗教、アイデンティティーといったテーマを探求し、バッハの楽譜やロラン・バルトの文学、自身のルーツに深く関わるコーランなどの文化的テクストを素材とし、パネル上に何重にも印字を重ね構築した静謐な佇まいの作品で知られる。本展で公開されている近作「Illegible this world」(2025)についても、一見カラーフィールド・ペインティング的な抽象絵画のようだが、近づいて観察すると重複する文字が認識できる。そこで鑑賞者は、自身がこの作品のタイトルに反して無意識にその意味を読み取ろうとしていることに気づく。同展の核心は、モリスとカーンが時間・記憶・喪失・再生という共通の主題を各々の異なる感性と手法で可視化した作品が併存する点にある。モリスが放つ鮮烈な色彩と生々しい質感、カーンの沈静で思索的な情調が響き合い、可視と不可視、記録と忘却、生と死といった表裏一体の概念が浮かび上がる。その間から、パートナーでもある二人が共有する時間と記憶が立ちのぼり、刹那に過ぎ去る生の尊い瞬間を自身のうちに留めておきたいという人間の根源的な希求が映し出される。
同展のオープニングに来日したモリスとカーンに、作品のバックグラウンドに流れる彼らの個人的な記憶や時間について、また色彩やモチーフに込めた思念について話を聞いた。
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色彩に宿る記憶
ーーモリスさんとカーンさんはそれぞれに確立した作品世界と手法があります。今回二人展を開催するに当たり、お互いの創造性に対して意識したことはありますか?
イドリス・カーン(以下、カーン):これまでモノクロ作品中心に制作していましたが、最近はより多くの色を用いる色彩表現を重視するようになりました。2020年のコロナ禍の時期、自然の中で長い時間を過ごした経験を活かして、モノクロームから脱却し色彩豊かな作品へとシフトしていく道を探りたかった。アニーは色彩を多用することで有名な存在ですから。彼女とスタジオを共有し多くの時間を一緒に過ごすうちに、やはり影響を受けずにはいられなかった。タイミングは多くのアートにおいて要となるものだから、今このタイミングで我々の双方の手法を組み合わせて、同時に作品を発表するという試みは実に興味深いです。
ーーモリスさんの作品に見られる鮮烈な色彩の背景には、どのような考えや感情があるのでしょうか。
アニー・モリス(以下、モリス):多くの色を使うことは私にとって本能的な行為。色彩の中にはたくさんの記憶が包み込まれているという感覚を持っています。だから私にとって色彩とは単なる色ではない。色彩の質感によって、ある種の脆弱性を表現しようとしているんです。絵の具の塗り方は、使用する色の選択以上に大切な要素。漆喰や砂、様々な素材を重ねることによって、まるで絵の具が乾いていないかのような質感を生み出すことが重要なんです。
ーーモリスさんはペインティングの質感を駆使して、オブジェクトに生命感を吹き込んでいるようですね。カーンさんがコロナ禍において自然の中で過ごした経験から得た色彩のインスピレーションは具体的にどのようなものでしたか?
カーン:今でも鮮明に思い出せる、あの時間があったからこそ新たな作品へと踏み出す足がかりを作れました。自然の営みを意識的に見つめ、様々な季節の移ろいを観察していました。景色が茶色や紫、オレンジや緑へと変化していくのを実際に目の当たりにしたんです。
ーー今回はお二人とも日本初の展示開催となりますが、日本ならではの特別な構想はありましたか?
モリス:今回の展示は、我々のスタジオ内部を人々に公開するような構想なんです。というのも、日本国内では我々の作品は個人コレクションに所蔵されているものの、ほとんどの人が我々の作品をまだ見たことがない。だから我々がスタジオで制作している作品の幅広さを示すために、今回ギャラリースペースにはブロンズ作品や様々なサイズのタペストリーを展示し、使用素材も顔料・水彩・油彩など多様化することにしました。
カーン:僕は日本を初めて訪れた時の印象が強くて、ある種ロマンチックに日本を捉えています。物事に対し非常に精緻で、繊細で詩的な感覚。それがこのエキシビジョンの詩的なタイトルに表れている。今回のアニーの「Stack」ミニチュアシリーズは、極小で精密な存在ゆえに、普段の大規模な造形作品とは全く異なる視点での深い洞察を必要とするので、僕はこの展示を気に入っているんです。凝縮された感覚がある。
ーー創作過程における二人のコミュニケーションや、スタジオでの活動について教えてください。
モリス:子どもたちがいるととにかく忙しくて。人生の中で自分のために使える時間は思うほど多くないから、スタジオにいる時はその分集中する。シリーズの創作初期には色々アイデアを共有できることもあるけど、日常生活ではほとんどが家族の時間ですね。
カーン:それでも、生活やスタジオ、そのほか全てを共有するからこそ生まれる独特の雰囲気があります。それに我々のスタジオには本当に素晴らしいチームがいて、彼らはスタジオで過ごせる限られた時間のプロセスとタイミングについてよく理解してくれています。つまり、素早く決断を下せるってことですね。
モリス:素晴らしいことに、私とイドリスはそれぞれ全然違う活動スタイルなんです。私は自分の時間を確保して、一人でたくさん描くのが好き。だから家で描くこともあるし、そういう個人的な絵をスタジオに持ち込んでタペストリーに使うこともあります。一方、イドリスは詩を読むのが好きで、その言葉を作品に活かしています。だから各々の活動をスタジオと自宅に分かれて取り組むことができる。制作場所と時間を分散できるってことは極めて重要ですね。私達が使っているイースト・ロンドンのスタジオは元おもちゃ工場だった場所で、本当に素晴らしい雰囲気です。ガラスがたくさん使われていて光がたっぷり差し込む。同じ通り沿いに5つほどあるスタジオを行き来しています。
カーン:僕のスタジオはアニーのスタジオと隣接していて、キッチンを共有しているんです。僕はアニーのスタジオから彼女の作品の球体のひとつを自分の空間に持ち込んでは「あの色とあの色か。確かに調和する」と呟いたりします。お互いの実践の相互作用が見て取れるんです。
「花びらが落ちる瞬間」に込められた暗示
ーー今回の展覧会のタイトル「A Petal Silently Falls ― ひとひらの音」に織り込まれた意味や意図について教えてください。
モリス:花になぞらえるようになったのは「Flower Woman」の時から。女性の顔部分が花の形になっているのは、老いや変化によって花びらが散るさまを暗示しています。そしてこのギャラリーに入ってすぐ目に入る、フラットな空間で制作する平面絵画「Petal」シリーズは、花びらが繊細で美しく儚い存在だという発想から生まれたもの。今回のタイトルの「Petal」も同じです。「Flower Woman」は一種の自画像で、突然散る花びらが老化や変化の比喩となり、しがみつくような感覚を暗示しています。まるで時が止まった瞬間を捉えたような。彼女はそのタイトルそのものから生まれた存在のようです。
カーン:タイトルに関しては、この展示をとりまく詩的な調和を生み出すこと。また、繊細さの根源的な本質、詩情など、様々なことを暗示しています。「Petal(花びら)」という言葉は「時間の断片」を意味しています。「Silently(静寂)」とは、何かが落ちるか落ちないかの瞬間、またそれが音を立てるか立てないかの瞬間を意味するのでしょう。その後に「falls(落ちる)」という言葉が続きます。
モリス:鑑賞者がこれらの作品を見つめていると、どの彫刻にも不安定な瞬間を見出すと思います。「何も崩れ落ちていない」という瞬間が捉えられているから。花びらが落ちる瞬間、それはつまり死の瞬間であり、今は花びらが落ちずに留まっている状態を表現しています。だから、私の作品の多くは死と関わりがあると思います。死への恐怖という概念、そして失われてしまった赤ちゃんの命をいつまでもつなぎ続けたいという、ある種の絶望的な思いが込められています。
️時間を1つの瞬間に圧縮する
ーー個人的な経験や作品を制作する上で、空間や時間の概念をどのように捉えていますか?
モリス:作品を制作するにあたって、時間はこれ以上ないほどに大切な要素。さっきも話したように、命をつなぎとめて死にたくないという気持ち、未知への恐怖、そして私たちが抱く人の喜びの美しさを必死に守ろうとする気持ち……それが私にとって全てなんです。なぜならそのすべてがとても刹那的だと感じるから。そうじゃないですか?ほんの一瞬でなくなってしまうものだから。
長いように感じても、同時に、とてもとても儚い。イドリスがあるインタビューで話していたように、彼の母親が59歳で亡くなったときも、そして私が赤ちゃんを失った経験も、いかに一瞬で全てが消え去るかを理解する上で非常に重要だったと思います。
カーン:この20年、僕は時間をひとつの瞬間に圧縮する概念と向き合ってきた。君(モリス)は何をしてきたんだい?説明するのは難しいだろうけど、おそらく君も理解しているはずだよ。僕たちが全てを記憶に留めておくことは不可能だから。
モリス:戦っている。おそらくすべてのそういう瞬間を1つのものにして閉じ込めようとしているんだと思う。記憶というものは、時にもどかしくもある。イドリスの母親が亡くなった時、残された彼女の写真はわずかだったんです。ある人の人生を写した写真がほんのわずかしか残っていないなんて、胸が張り裂けそうになります。だからイドリスは全身全霊を傾けて、残された大切な写真を使ってタワーのような物理的な彫刻「My Mother」(2019)を作ったんです。
カーン:僕が問いかけていたのは、人生でどれほどの写真を撮影するのかという「量」の問題。人生の瞬間を必死に繋ぎとめようとして、僕はこれまでに10万枚の写真を撮ってきました。彼女は15万枚。多すぎますね。写真の量は膨大ですけど、記憶は徐々に忘れていってしまいます。だからできる限り様々な記憶や思いを全て1つにギュッと圧縮したい。それが僕にとっての時間と空間の考え方です。
モリス:写真を撮ることによって、記憶を留め、保有できる感覚になる。ただ写真を見ても、過去への思いを蘇らせることしかできないから、作品の中で“限られた尊い時間“というものを表現したいんです。
「重ねる」行為が生み出すエネルギー、希望の表現
ーー二人の作品は、色彩や文字、造形などを“重ねる“ことによって、普段我々の目が直接捉えることのできない世界の深遠な部分や、生や死、時間といったものの重みを表しているように感じます。重ねるという表現行為に込められた考えについて教えてください。
モリス:球を重ねて彫刻を造るという行為は、私にとって希望のタワーを作っているようなもの。そして複数の色を用いてひとつの絵画を描く表現と同様に、色彩を立体的に重ねることで表現しています。抽象画を描くように彫刻を制作している感じです。本来であれば球は自立せずに崩れてしまうような、非現実的で不可能な重ね方をしています。
カーン:アニーの彫刻作品は、形状とカラーのバランスを表現していて、その中に膨大なパワーとエネルギーを感じます。僕の作品は詩を書くことから始まります。これまでに様々な悲しい経験をしてから詩を書くようになり、その詩を1つのアートとして創りたいと考えるようになりました。でも詩によって全てをさらけ出すのではなく、キャンバスで言葉や文字をレイヤリングすることによって、詩が徐々に隠れていく。
鑑賞者には、重なり合った色彩の合間に僅かに見え隠れする文字や言葉から、自分なりの何かを想像してほしいと思っています。
■アニー・モリス & イドリス・カーン A Petal Silently Falls – ひとひらの音
日程:12月26日まで
時間:11:30〜18:00
休館日:日、月曜、祝日
場所:KOTARO NUKAGA(六本木)(天王洲)
住所:東京都港区六本木6-6-9 ピラミデビル2階(六本木)、東京都品川区東品川1-32-8 テラダ アート コンプレックスⅡ 1階(天王洲)