ファッション
連載 マリエが本音で語る「私の33年目のサステナブル」

マリエが本音で語る「私の33年目のサステナブル」 Vol.7 ファッション好きの少女がデザイナーになるまで【小学生編】

前回は、「デザイナーになりたい、自分のブランドが欲しいなんて夢を思い描いたことなかった」とお伝えした。だが、実は12歳のとき一度だけ「デザイナーになりたい」と両親に嘘をついたことがある。

私は三姉妹の末っ子で、服から音楽まで全て姉の真似ばかりして、うっとうしがられる妹だった。姉は当時モデルをしていたので、私もどうしてもモデルになりたかった。

チャンスがあってモデル事務所に所属したのは11歳のとき。キッズモデルとして仕事を始めて1年が経ったころ、私の活動が学校の目に止まるようになり、周りがざわつき始めた。

小学校は大学までエスカレーター式に進学できる私立の女子校で、厳格な校風だった。昨日観たテレビ番組ですら、校内で大声で話をすればすこぶる怒られるほどだった。在校生の芸能界入りがバレれば、きっと退学だったと思う。

学校か、モデルかの決断を迫られ、私がモデルを続けるために転校を望んでいると分かると、教育熱心だった母は「せっかくいい学校に入学させたのに」と泣き、夢を大事にする父でさえ「大学までの人生プランを報告しなさい。それ次第で考える」と怒っていた。そんな状況でただ「モデルになりたい」と言うだけでは、両親は絶対に納得しない。そこで、自由を手にするためについた嘘が「私は、デザイナーになりたい」だった。

「洋服が好きだから、高校を卒業するまでにお金を貯めて、ニューヨークのパーソンズに行ってデザイナーになる。今の学校じゃファッションを学べない」と。すると父は一言「頑張れ」と言ってくれた。

モデルを続けるためにとっさについた嘘が、いつしか本当の夢になっていった。辛い時や苦しい時には「大丈夫。私にはデザイナーという夢がある。こんなところで負けるな。諦めるな」と心の支えになっていた。「洋服が好き」という子どもの純粋な思いから出てきた嘘が、未来絵図となって進むべき道を示し、そこに向かってまっしぐらに走るうちに“デザイナー”という夢は叶っていた。しかもサステナブルなブランドの……。それは、父も想像していなかった私の創造力だった。

つづく……

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