フランス・パリで開催された欧州最大級のテクノロジーイベント「ビバテック(VIVA TECH)」が今年で10周年を迎えた。同イベントの創設パートナーであるLVMHモエ ヘネシー・ルイ ヴィトン(LVMH MOET HENNESSY LOUIS VUITTON)は、グループ全体に浸透する最先端のテクノロジー戦略とオープンイノベーションの全容を明らかにした。会場に設けた没入型の展示パビリオンなどもその一環だ。ベルナール・アルノー(Bernard Arnault)会長兼最高経営責任者(CEO)の「技術は、最も重要なもの、つまり卓越性と魅力に貢献して初めて意味を持つ」の言葉を体現するように、LVMHは生成AI(人工知能)やデータ分析を駆使し、製品の企画・デザインから素材調達、そして顧客体験に至るバリューチェーンの全段階において、ラグジュアリー産業の再定義を進めている。
「スタートアップの集合体」としての
LVMHモエ ヘネシー・ルイ ヴィトン
ビバテックのオープニングセレモニーに登壇したアルノー会長は、自らが率いる巨大ラグジュアリー帝国を「スタートアップの集合体(コングロマリット)」であると定義した。「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」や「ディオール(DIOR)」など、傘下のすべてのブランドは、元をたどれば一人の起業家から始まったためだ。アルノー会長は、事業が世界的な規模に成長してもなお、スタートアップが持つ特有の起業家精神やエネルギーを維持し続けることの重要性を説く。
さらにアルノー会長は、スタートアップが成功を収める上で最も重要なのは「アイデア」そのものではなく「実行力」であると強調した。画期的なアイデアが生まれた瞬間、世界中の他の多くの起業家もほぼ同じことを思いついているのが現実であると指摘。一例としてSNS大手のフェイスブック(現メタ)を挙げ、創業当時は同等のプラットフォームが他に10個ほど存在していたにもかかわらず、1社だけが圧倒的な成功を収めた理由は、ひとえに「実行力」の差だったと語気を強めた。
アルノー会長も、テクノロジーの進化に対して現場レベルで向き合っている。同氏は現在、若手スタッフとともに生成AIを用いたプロダクトデザインのセッションを毎週のように自ら行っており、そこで生み出されたデザインの中には、実際に現実の製品として市場に投入される可能性があるものも含まれているという。この飽くなき探求心こそが、LVMHが業界の先頭を走り続ける原動力となっている。
生成AIはクリエイティビティや
デザイナーの仕事を奪うのか
生成AIの台頭は、ファッション業界の根幹であるクリエイティビティやデザイナーの職を奪うのではないかという懸念を度々巻き起こしている。しかしルイ・ヴィトンのステファン・エマニュエリー(Stephan Emanuely)=マーケティング&プロダクト開発ソリューション担当バイスプレジデントでは、「AIはデザイナーの役割を奪うのではなく、むしろ人間のキュレーション能力やブランドの遺産(ヘリテージ)、文化の重要性をこれまで以上に高める」と明言した。同セッションにはLVMHのトマ・プルネル(Thomas Prunel)=テックデジタルプログラムディレクターらも登壇し、スケッチから店舗導入に至るまでの生成AI活用について議論を深めた。
「人間のキュレーション」が持つ
価値の再定義
LVMHは、極めて機密性の高い知的財産やデザインデータを保護するため、「MaIA」と呼ばれるクローズドな社内AIツールを構築し、デザイナーの業務に導入している。このツールの導入により、素材の色の変更や高品質なレンダリング画像の作成が、従来の数時間からわずか1分へと劇的に短縮された。ステークホルダー間のコミュニケーションが円滑になり、意思決定プロセスが大幅に加速している。
同セッションに登壇した、クリスチャン・ディオール・クチュールのジェイド・デ・グエルツ(Jade De Gueltz)=ウィンドウクリエイション&スペシャルサステナブルプロジェクトディレクターも、世界中で毎日400から600もの店舗ウィンドウを展開する中で、「画像生成や動画生成AIが強力なアクセルになっている」と証言する。半年という短い準備期間で大量のクリエイティブを創出する上で、AIは不可欠なツールとなっている。しかし同時に、「AIによって限界がなくなったように感じるからこそ、すべてのステップにおいて人間のプロセスが重要になる」とも語る。デジタル一辺倒になるのではなく、水彩画のようなアナログの手法とAIを意図的に使い分けるバランス感覚こそが、ラグジュアリーブランドの美意識を支えている。
200社以上のスタートアップと協業した
LVMHのオープンイノベーション
LVMHがテクノロジーの最前線に立ち続けられる背景には、世界中のスタートアップとの強力な共創エコシステムがある。アルノー会長によれば、LVMHはこれまでにビバテックを通じて発掘した200社以上のスタートアップと実際に協業してきた。
LVMHのオリビエ・ル・ガルランテゼック(Olivier Le Garlantezec)=テックパートナーシップ&アクセラレータープログラム担当グローバルバイスプレジデントの解説によれば、社内向けには2018年からパリ本社内にイノベーション施設を常設している。ここでは年間2000人以上の従業員が、150以上の最新テクノロジーに直接触れることができる。例えば、顧客や職人など特定の役割になりきってソリューションを体験することで、ビジネス課題の解決に向けたプロトタイプ作成や導入を加速させている。
さらにスタートアップ支援の拠点「Station F」では、9年間にわたりアクセラレータープログラムを展開し、250社以上を支援してきた。毎年約2000社の応募から数十社を厳選し、投資ありきではなく、半年間のパイロットテストを通じてグループ傘下の各メゾンの課題とマッチングさせる。テストで成果が出ればグローバル展開へとスケールアップさせるという、極めて実務的でビジネスに直結した支援体制を築いている。
LVMHイノベーション・アワード2026
が示すテクノロジーの最新トレンド
ビバテックの目玉企画の一つでもある「LVMHイノベーション・アワード」では、今年も最先端のスタートアップが表彰された。「ベスト・インパクト賞」を受賞したフランスのフェアリー メイド(FAIRLY MADE)は、サプライチェーンの透明性と環境負荷の測定プラットフォームを提供しており、すでにLVMHの多くのファッションブランドと協業している。「ベスト・ビジネス賞」には、テキストや資料からAIアバターが多言語で解説する動画を生成する英国のシンセシア(SYNTHESIA)が選ばれた。同社の技術は「ティファニー(TIFFANY & CO.)」でのパイロット導入を経て、「ロエベ(LOEWE)」や「ゲラン(GUERLAIN)」など複数のメゾンで9万人以上のクライアントアドバイザーの教育ツールとして採用されている。
「モスト・プロミシング賞(最も将来性のある賞)」を獲得したのは、米国ニューヨーク発のブルーフィッシュ AI(BLUEFISH AI)だ。同社は、様々な生成AIプラットフォーム(LLMなど)上でのブランドの可視性やイメージを測定・監視するツールを提供している。毎月6000万回以上のAIプロンプトを分析しており、AI時代の新たなブランドマーケティングのあり方をLVMHとともに切り拓いている。
イノベーションアワードは、LVMHがスタートアップとの連携で、自社の事業でどのようにデジタル化を進めるつもりなのか、鏡のように映し出している。
オリンピック金メダリストと語る企業姿勢
「卓越性」への飽くなき探求
ビバテックのメインステージでは、LVMHのアントワン・アルノー=コミュニケーション&イメージ統括および持株会社クリスチャン ディオールSEの副会長兼CEOと、パリオリンピックで最も多くのメダルを獲得した水泳選手であり「ルイ・ヴィトン」のアンバサダーを務めるレオン・マルシャン(Leon Marchand)による「卓越性」をテーマにした対談も行われた。マルシャン氏は「メダルを獲得するのは自分かもしれないが、卓越性は決して一人では達成できない。それは集団的な冒険である」と語った。
これに対しアントワーヌ・アルノー統括も「すべてのビジネスはチームスポーツだ。デザイナーのアイデアを魅力的な製品へと変えるには、エコシステム全体を動員する必要がある」と応じ、ラグジュアリービジネスにおける共創の重要性を強調した。
技術の進化がどれほど加速しようとも、LVMHの根底に流れるのは「卓越性」への飽くなき探求と、それを支える人間の情熱。最新のAIやデータを駆使しながらも、最終的な価値を決定づける職人の技やデザイナーの感性を中心に据えるLVMHの戦略は、伝統産業がいかにしてデジタル時代を生き抜き、さらに飛躍していくかを示す一つの「最適解」と言えるだろう。ビバテック2026で示された数々の革新は、テクノロジーが高級ブランドの「夢」を壊すのではなく、むしろより鮮明に、より速く、世界中に届けるための最強の武器となることを証明している。