パリで開催された欧州最大のテクノロジーの祭典「ビバテクノロジー」。世界中から起業家や投資家が集う中、特に注目を集めたのは仏化粧品大手ロレアル(L’OREAL)のプレスカンファレンスだった。米オープンAI(OpenAI)など巨大テック企業との華々しい提携発表もあったが、その本質は、地球環境や多様性といった社会課題と正面から向き合い、世界中のスタートアップを巻き込んだ巨大な「共創エコシステム」の構築にある。そして何より興味深いのは、100年を超える歴史を持つ同社が、AIという最先端テクノロジーを、人類の「美の探求」の延長線上に位置づけている点だ。
ルネサンスの「鏡」から現代の「AI」へ
「ルネサンス期は、神だけでなく人間や個人に根ざした新しい表現が生まれ、芸術が昇華しました。そして鏡が広く普及したことで、人々は美に対する関心を高めたのです」。
カンファレンスの冒頭、ロレアルグループの ブランカ・ジュティ=コーポレート・アフェアズ&エンゲージメントオフィサーは、1515年のティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio)の絵画を引き合いに出し、テクノロジーがもたらした自己認識の変容を歴史的な視点から語り出した。かつて鏡が人類に「自己の美」を発見させたように、カメラやソーシャルメディアが普及した現代は「人類史上最も視覚的な時代」であるという。2025年にはTikTok単体で美容関連動画が7兆回以上再生され、ChatGPTでは毎週2億8000万件超の美容と健康に関するやり取りが交わされている。
AIという新たなテクノロジーは、もはや単なる効率化のツールではなく、現代における「新たな鏡」として、人間の美への欲求を映し出そうとしている。ロレアルが掲げる「ビューティーオデッセイ(美の探求)」とは、この歴史的な転換点を自らの手でプログラムし、無限の多様性を持つ美のニーズに応えようという壮大な試みなのだ。
スタートアップと描く「オープンイノベーション」の現在地
大企業が自前主義から脱却して外部の知見を取り入れるオープンイノベーションにおいて、ロレアルはその最前線を走っている。
「私たちは業界の内外から最高のパートナーを探している」と、ギーブ・バルーチ=ロレアルグループ グローバルマネージングディレクター、オーグメンテッドビューティー&オープンイノベーション担当が語るように、同社はパリのアクセラレーター施設のステーションFなどを通じ、世界中で2000社以上のスタートアップと協業の枠組みを構築してきた。
今回の発表のなかで特に目を引いたのは、韓国のスタートアップNanoEnTekと協業した「セル バイオプリント(CELL BIOPRINT)」だ。マイクロ流体力学を用いたこのデバイスは、わずか数分で皮膚の生物学的年齢や老化のペースを細胞レベルで分析できるという。また、フランスのディープテック企業DAMAEとは、生きた皮膚の内部を組織を採取することなくリアルタイムで3D画像化する非侵襲的な技術を確立している。
資金とスケールする力を持つ大企業が、機動力と独自の技術を持つスタートアップを支援し、ともに社会実装を目指す。同社のコーポレートベンチャーキャピタル(CVC)である「BOLD(BUSINESS OPPORTUNITIES FOR L'OREAL DEVELOPMENT)」を通じた投資を含め、まさにイノベーションを持続的に生み出すエコシステムの好例と言えるだろう。
「多様性(インクルージョン)」の歴史的変化をデータで包摂する
人類の歴史は、多様化の歴史でもある。ロレアルは今回、「40年までに世界の人口の43%がウェービーやカーリー、コイリーな髪質になり、50年には6人に1人が65歳以上になる」という予測を示した。
この不可逆な多様化と長寿化のうねりに対し、同社は最先端のデータサイエンスで応えようとしている。バーバラ・ラヴェルノ=ロレアルグループ副CEO兼リサーチ&イノベーション テクノロジー責任者によれば、同社はストレートから極度の縮毛まで、世界の8つの髪質を網羅した「毛髪のデジタルツイン」を構築している。AIを用いた仮想モデル上で、従来の物理的テストの30倍に当たる年間300種類もの新分子テストを実施しているという。
あらゆる人種や特性を取り残さない「インクルーシブ(包摂的)」な商品開発を、テクノロジーが劇的に加速させている。これは、多様なルーツを持つ人々が共生する現代社会において、企業が果たすべき重要な社会的責任への一つの回答と言える。
文化と購買体験への実装──
「ビューティテイメント」と「エージェンティックAI」
さらに驚かされるのは、これらのテクノロジーがすでに消費者の日常的なエンターテインメントや購買体験にまで深く入り込んでいることだ。ロレアルグループのアスミタ・デュベイ=チーフデジタル&マーケティングオフィサーは消費者の関心を集めるため、映画やドラマ、音楽、スポーツなどの文化にブランドを組み込む「ビューティテイメント」戦略の具体例を挙げた。
例えば傘下のブランドの「メイベリン ニューヨーク(MAYBELLINE NEW YORK)」はポップアイコンのマイリー・サイラス(Miley Cyrus)を起用し、歴史的なブランドジングル「Maybe it's Maybelline」をアレンジ。これがYouTube Musicで約1000万回のオーガニック再生を記録したという。さらに映像作品への進出として、Netflixの「エミリー、パリへ行く」だけでなく、Prime Videoの新しいオリジナルシリーズ「キューティ・ブロンド(Elle)」や、ディズニーの「プラダを着た悪魔 2」などにも「ロレアル パリ(L'ORÉAL PARIS)」のブランドを組み込んだ。スポーツ協賛においても、「ラ ロッシュ ポゼ(LA ROCHE POSAY)」はテニス界のトッププレイヤーであるヤニック・シナー(Jannik Sinner)選手とパートナーシップを結ぶなど、文化の最前線で存在感を示している。
さらに、eコマースにおいては、AIがユーザーに代わって取引を行う「エージェンティック・コマース」の領域で先手を打っている。デュべイ=チーフデジタル&マーケティングオフィサーは、ロレアルがアリババの「AIに関する初のビューティパートナー」となり、米国Amazonにおいては「ブランド360パートナー(ビューティ部門)」となっていることを明かした。
AIは「サステナビリティ」と「倫理」の駆動輪になるか
環境(E)や社会(S)といったESGの視点がテクノロジーの活用に深く組み込まれている点も、これからの企業経営にとって重要だ。例えば、米IBMとの協業ではAI基盤モデルを活用し、30年までに商品成分の75%をバイオベース(植物由来など)にするという高い目標を掲げている。
さらにデュベイ=チーフデジタル&マーケティングオフィサーは、社内マーケター向けに導入した生成AI基盤「CreAIteck」の取り組みを説明した。このプラットフォームには、AIによるコンテンツ生成時のCO2排出量を見積もる機能が新たに搭載されている。エネルギー消費量を「自動車の走行距離」や「ストリーミング再生時間」といったわかりやすい指標に変換し、作り手に環境負荷への気づきを促す試みだ。同時に「AIが生成した本物そっくりの顔や体、肌などを、商品の効能を誇張するために外部コミュニケーションで使用しない」という明確な倫理的ガイドラインも設けている。
100年企業の知見とエコシステムの融合
ここで示した数々のエピソードは、ロレアルのAI戦略が机上の空論ではなく、すでに具体的な成分開発や、消費者のスマホ上のチャット画面、ECサイトでの購買体験にまで深く入り込んでいることを示す重要な事例となっている。
25年時点で、研究開発に年間13億ユーロ(約2400億円)、テクノロジーに15億ユーロ(約2760億円)という途方もない投資を行うロレアル。カンファレンスの最後に電撃的に発表した米オープンAIとの戦略的提携も、単なる話題作りではなく、同社が築き上げてきた広大なエコシステムをさらに盤石なものにするための布石に他ならない。
オープンAIのエマニュエル・マリルEMEA地域マネージングディレクターは、「ロレアルの研究やイノベーションの加速から、社員の新しい働き方の支援、そして消費者にとってより便利で直感的な体験の創出に至るまで、同社の次なる章を共に支えていけることを大変嬉しく思う」と話した。
ルネサンスの鏡から始まり、現代のAIへと至る美の歴史。100年を超える歴史を持つ老舗企業は、その膨大な知見を独占するのではなく、スタートアップとの共創、サステナビリティ、そして多様性の尊重という現代の社会課題解決のど真ん中にAIを据えている。単なる「美容テック」の枠を超え、より良い社会に向けた「美のエコシステム」の創造。そこに、持続可能な資本主義のひとつの解を見出すことができる。