ファッション
連載 高橋瑞木の香港アート&テキスタイル

新型コロナと有力アーティストを魅了する糸と布 【高橋瑞木の香港アート&テキスタイル 連載vol.3】

 新型コロナウイルスは香港のアート事情にも大きな影響を与えている。水戸芸術館現代美術センターのキュレーターを経て、現在は香港のCHAT (Centre for Heritage, Arts and Textile)で共同ディレクターを務める高橋瑞木氏による連載3回目は新型コロナウイルスが与えた香港アート界への影響について。

 1月下旬の旧正月直前、香港と周辺諸国のテキスタイルとアートについての執筆を進めていた矢先に、新型コロナウイルスの感染が中国で判明し、あれよあれよという間に香港も感染防止のための非常態勢に突入した。私は旧正月の休暇で、1月24日から成田空港経由でメキシコへと渡航したのだが、成田空港内のドラッグストアはすでにマスクを購入する客の長蛇の列。2月5日の復路で成田空港に再び到着したときは、すでにマスクが販売されていた棚は空っぽだった。

 2003年にSARSの流行を経験している香港は、感染防止には不特定多数が集まる場所になるべく行かないことが一番と、政府は公立の文化施設の臨時休館や大掛かりなイベントのキャンセルを宣言(それでも中国との国境や中国からの人の流入の制限を早期に実施しなかったことで批判を受けている)。街中を行き交う人たちは、ほぼ全員がマスクを着用している。この原稿を書いている2月中旬現在では、学校や企業も自宅待機やネットによる授業や業務へと切り替えているところが多い。CHATもこうした決定を受けて、旧正月以来閉館をしている。渾身の展覧会、「須藤玲子の仕事-NUNOのテキスタイルができるまで(Sudo Reiko : Making NUNO Textile)」は、香港のオーディエンスからも大好評で、中国からの団体客の訪問なども予定されていただけに、この臨時休館は苦渋の決定だった。その代わり会期を1週間延長して、2月の最終週に再度開館する予定になっている。ちなみに、こんな非常事態にも関わらず須藤氏のテキスタイル作りに関わっている滋賀のなかにし染工の中西一平氏と、福井で和紙を製作している滝製紙所から滝英晃氏が、NUNOの展覧会を見に弾丸で香港を訪れてくれた。貸し切り状態の展覧会会場で、ゆっくりと時間をかけながら展覧会を満喫した両氏のフットワークの軽さと好奇心に、日本のもの作りの未来に光明を見る思いがした。

 香港の観光産業やホスピタリティービジネスは、昨年からの抗議活動に続いての新型コロナウィルス騒動で大打撃を受けている。アートに関して言えば、毎年3月に開催される世界最大規模のアートフェア「アートバーゼル香港(ART BASEL HONGKONG)」が中止になったため、世界各国からアート関係者やアートラヴァーが香港に訪れる賑やかな機会が流れてしまった。

 そんな状況でも、すでに香港をベースに活動するアート関係者たちは事態が収束を迎える頃合いを見計らいながら、粛々と企画やイベントの準備を進めている。CHATも春の展示のオープンを予定より1週間延期して、3月20日から開催することになっている。「Unconstrained Textiles: Stitching Methods, Crossing Ideas(自由なテキスタイル:縫い合す方法、交差する思考)」というタイトルの現代アートのグループ展は、香港、タイ、中国、韓国、アメリカ、フィリピン、日本にルーツを持つアーティストの作品を紹介する展示だ。香港からは各国のビエンナーレやトリエンナーレから引っ張りだこの楊嘉輝(サムソン・ヤン)、タイと中国からは注目のアーティストのカウィータ・ヴァタナジャンクール(Kawita Vatanajyankur)、ビ・ロンロン(毕蓉蓉、Bi Rongrong)、韓国からは北朝鮮の刺繍職人とのコラボレーションした作品で「ニューヨーク・タイムズ(The New York Times)」にも大きく取り上げられたハム・キョンア(Ham Kyungha)、優れたミッドキャリアの画家に送られるロバート・デ・ニーロJrプライズを先日受賞した韓国系アメリカ人のバイロン・キム(Byron Kim)、伝説的キュレーターのハロルド・ゼーマン(Harald Szeemann)が1969年にスイスで企画した有名な展覧会「態度が形になるとき(Live in Your Head: When Attitudes Become Form)」に、唯一東南アジア系のアーティストとして三回したロンドン在住のフィリピン人アーティストのデヴィッド・メダラ(David Medalla)、日本からは去年の原美術館での個展も記憶に新しい加藤泉が参加することになっている。この7人のアーティストたちが、作品のコンセプトや理想とする形、テクスチャーや色を実現するため、どのような方法でテキスタイルの素材や技法を用いているのかを紹介する「テキスタイルの視点から現代美術を鑑賞してみる」展覧会となる。

 実はテキスタイルが盛り上がっているのは、香港とCHATだけではない。香港の現代アートの老舗オルタナティブスペース「パラサイト(Para Site)」でも、実は昨年冬からトンガの伝統的なテキスタイルの展覧会が開催された。布には、繊維を織り上げるだけでなく木の皮をたたいてできるものがあるが、トンガの伝統的なテキスタイルは後者で、抽象的なパターンが描かれたテキスタイルをショッキングピンクに塗られたギャラリーに陳列した展覧会は、展示物と空間のデザインの間にユニークなシナジーを生み出し、それらを作り上げる女性たちの優れた技術と古びることのない美しさを伝える興味深いものだった。

 また、旧正月前にはマレーシアのコタキナバル(KOTA KINABALU)をベースに活躍するアーティストのイー・イ・ラーン(Yee I-Lann)の個展が東南アジアを代表する、フィリピンの現代アートギャラリー「シルバーレンズ・ギャラリー(SILVERLENS GALLERY)」で開催中だったので、弾丸トリップでマニラを訪れた。イ・ラーンは近年サバでパンダナスという植物の葉を使って織物を作っている職人たちとコラボレーションしながら作品を制作しており、シンガポールのナショナルギャラリーに委託された大型の作品が去年お披露目されたばかりだ。個展では色とりどりの織物が壁を覆っており、その織物のひとつひとつにテーブルや机が織り込まれている。聞くところによれば、大航海時代にポルトガルの植民地になってテーブルや机が生活にもたらされる以前は、現地の人々はこのマットの上で食事をし、物を書いたりしていたという。イー・ランと職人たちによる織物は、机とテーブルを「マットに戻した」作品だということだ。植民地化による現地の人々の伝統や生活習慣の変化について言及している作品だが、同時に現在でも残るマット織りの職人たちの見事な高い技術と色彩感覚が強く印象に残った。

 アートからパンデミックまで、盛りだくさん過ぎたこの2カ月。来月には少し状況が好転していることを望まずにいられない。

高橋瑞木(たかはし・みずき)/CHAT(Centre for Heritage, Arts and Textile)共同ディレクター:ロンドン大学東洋アフリカ学学院MAを修了後、森美術館開設準備室、水戸芸術館現代美術センターで学芸員を務め、2016年4月CHAT開設のため香港に移住。17年3月末から現職。主な国内外の企画として「Beuys in Japan:ボイスがいた8日間」(2009)「新次元:マンガ表現の現在」(2010)「クワイエット・アテンションズ 彼女からの出発」(2011)「高嶺格のクールジャパン」(2012)、「拡張するファッション」(2013、以上は水戸芸術館)「Ariadne`s Thread」(2016)「(In)tangible Reminiscence」(2017、以上はCHAT)など

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