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“NUNO”展と抗議活動、展覧会がもたらしたもの 【高橋瑞木の香港アート&テキスタイル 連載vol.2】

 水戸芸術館現代美術センターのキュレーター時代に「拡張するファッション」(2013)などの展覧会を手掛け、現在は香港のCHAT (Centre for Heritage, Arts and Textile)で共同ディレクターを務める高橋瑞木氏が、“アジアのアートハブ”香港発のアートやテキスタイルの新潮流をリポートする。2回目は日本を代表するテキスタイルデザイナー須藤玲子氏の展覧会と香港の抗議活動、そして展覧会の現地での評判について。

 日本はお正月休みムードもすっかり抜けて、人々があわただしい日常に戻っているころだろう。しかし、香港は1月末から始まる旧正月を本格的に祝うため、今が師走の時期にあたる。しかし、香港は元英国領だったこともあり、クリスマスの時期も連休になり、CHATには多くのファミリーやカップルが訪れ、日本を代表するテキスタイルデザイナー須藤玲子氏の展覧会「Sudo Reiko: Making NUNO Textiles(邦題:須藤玲子の仕事-NUNOのテキスタイルができるまで)」や、須藤氏のテキスタイルによる鯉のぼりのインスタレーションを満喫した。

 展覧会が無事オープンした今だから落ち着いて振り返ることができるが、実はこの展覧会がちゃんと予定通り開催できるか直前まで確信が持てなかった。というのも、去年の6月から始まった逃亡犯条例改正案に反対する市民の抗議運動と、それに対する警察の度を超えた暴力的な取り締まりが、ちょうど展覧会設営の時期にピークを迎えていたからである。

 抗議運動の実施日時や場所についての情報は事前にSNSなどで拡散されていたが、11月は地下鉄構内が破壊されたり、抗議者と警察の衝突が頻繁に起こったため、公共交通網に影響が及んだ。そのため、多くの人が自宅から職場まで通勤できなかったり、自宅に無事にたどり着くために早退しなくてはならないという事態に陥った。状況は刻一刻と目まぐるしく変化し、激しい衝突が起こった後でも数日後には何事もなかったかのように普通の日常が戻ってくる、という調子だった。

 CHATは須藤玲子展の設営のために、 須藤氏をはじめ、NUNOのスタッフ、本展のアーティスティックディレクター、ライゾマティクス・アーキテクチャの齋藤精一氏と彼のチーム、展示デザイナーのたしろまさふみ氏や設営のチームなど、およそ10名近くを香港に招聘していたので、毎日抗議運動の様子に神経を尖らせながら、デモの影響が比較的少ない場所にホテルを変更したり、 移動手段にマイクロバスを借り切るなど、万全の態勢で日本人クルーを迎える準備を整えた。そして、最悪の場合は展覧会を中止しなくてはならないだろうとも考えていた。日本では抗議運動の激しい場面がテレビなどで繰り返し報道されていたらしいから、日本人クルーはさぞかし不安だったと思う。実際、NUNOの設営チームの先発隊が香港に到着した直後には、学生と警察の激しい衝突が起こり、大学構内で火炎瓶と催涙ガスの応酬が繰り広げられた。

 そんな緊張感に包まれる中の香港に到着した須藤氏だが、偶然にもその到着のタイミングが区議会選挙の直前に重なり、 抗議運動を理由に選挙を政府によって中止させてはなるまいと、激化の一方だった抗議運動は市民によって驚異的なスピードで 沈静化した。したがって、私たちは予定通り設営作業を進めることができ、夜には美味しい中華料理に舌鼓を打つ余裕さえあった。

 今回の展覧会のキモは、「須藤玲子氏とNUNOのテキスタイルのクリエーションの秘密を余すところなく公開」すること。須藤氏のデザインのインスピレーションの源から、デザインスケッチ、サンプルから使用された素材まで陳列した。そして、今回の展示で画期的なのは、工場での染めや織りといった特殊な加工の過程をインスタレーションとして再現していること。齋藤精一のチームが手がけた映像、照明、音声による演出で、展覧会会場は8つのテキスタイル機械によるパフォーマンスような構成になっている。こればかりは会場で実際に体験してもらわないと伝わらないかもしれないが、CHATのビデオでさわりを見ることができる。

 迎えた展覧会オープニング当日の11月23日。100匹の鯉のぼりが雄大に空中を泳ぐ下で「Sudo Reiko: Making NUNO Textiles」の幕が開いた。レインボーカラーの鯉のぼりが、CHATの会場をめがけて泳いでいく展示構成を手掛けたのは、須藤とフランス、アメリカ、東京など各地でタッグを組んでいるフランス人デザイナー、アドリアン・ガルデール。香港人たちは、早速スマホで記念写真やセルフィーを撮っていた。単に布を展示するだけでなく、その“布ができるまで”にもフォーカスし、デジタル映像やサウンドを駆使した展示は、これまでにない新しいテキスタイルデザインの展覧会だと関係者一同満足している。普段見ることのないテキスタイルデザインと製造の過程を感覚的に学ぶことができ、 NUNOの美しいテキスタイルを間近で見て触れるため、本展は香港の観客に大好評だ。何よりも鯉のぼりのインスタレーションは、日々テレビやパソコンで香港の殺伐とした様子を見てばかりいた香港人にとって、 久しぶりに見る色とりどりの美しい光景だったのだと思う。展示に加えて、CHATのテキスタイルチームは“ワークショップマラソン“と銘打ったイベントを開催。NUNOのテキスタイルを使った手芸のワークショップは大人気で、連日たくさんの人が参加していた。

 展覧会が開いて間もなく、恒例のCHAT主催「国際フォーラム」の時期がやってきた。これは香港で毎年12月1週目に開催されるビジネス・オブ・デザイン・ウイーク(Business of Design Week)と同時期に開催されていて、今年で4回目となる。このフォーラムは毎年特定のテーマのもとに10人以上のキュレーター、アーティスト、デザイナーや学者を世界各地から招聘し、それぞれがリサーチやプロジェクトについて発表し、意見を交換するもの。ちなみに2016年に開催された第1回目のテーマは「テキスタイルと女性とテクノロジー」、第2回目は「テキスタイルとコミュニティ、パブリックスペース」、第3回目は「テキスタイルのヘリテージ」、そして19年は「Staging Textiles」。テキスタイルやファッションの展示、プレゼンテーションの方法がテーマだった。20年は「テキスタイルとコンピューター、デジタルテクノロジー」がテーマになる予定だ。

 フォーラムにはロサンゼルス・カウンティ美術館(Los Angeles County Museum of Art、通称LACMA)で長年テキスタイルとファッション部門のキュレーターを務めているシャロン・タケダ(Sharon Takeda)氏をはじめ、パリでオートクチュールコレクションを発表している中国人ファッションデザイナー、グオ・ペイ(Guo Pei)の個展をシンガポールのアジア文明美術館で企画したキュレーター、ジャッキー・ユン(Jackie Yoong)氏、日本人若手デザイナーの富永航氏、前回のドクメンタ(DOCUMENTA)の参加アーティストでインディゴの栽培から染め、ファッションデザインまでおこなっているアフリカ・マリのアーティスト、アブバカール・フォファナ(Aboubakar Fofana)氏など、普段は絶対に一堂に会することはない多彩な顔ぶれが集まった(このフォーラムの様子はCHATのYouTube channel から見ることができる)。もちろん、須藤玲子、齋藤精一の両氏はフォーラムの最初のセッションに登壇していただき、須藤氏の展覧会の軌跡とともに、CHATの個展の制作の裏側を話していただいた。

 怒濤のように過ぎていった11月と12月。そして気がつけば1月もすでに半ば!「Sudo Reiko: Making NUNO Textiles」の会期は2月23日まで。今の香港は観光客も少なく、通常は宿泊代が高いホテルも格安のパックを売り出している。いつも数時間待ちのピークトラムもほぼ待ち時間なしで乗れる。私は普段は予約がいっぱいのレストランに当日の電話で入ることができた。そして今のところ「Sudo Reiko: Making NUNO Textiles」は日本巡回の予定なし、ということだけはお伝えしておこう。

高橋瑞木(たかはし・みずき)/CHAT(Centre for Heritage, Arts and Textile)共同ディレクター:ロンドン大学東洋アフリカ学学院MAを修了後、森美術館開設準備室、水戸芸術館現代美術センターで学芸員を務め、2016年4月CHAT開設のため香港に移住。17年3月末から現職。主な国内外の企画として「Beuys in Japan:ボイスがいた8日間」(2009)「新次元:マンガ表現の現在」(2010)「クワイエット・アテンションズ 彼女からの出発」(2011)「高嶺格のクールジャパン」(2012)、「拡張するファッション」(2013、以上は水戸芸術館)「Ariadne`s Thread」(2016)「(In)tangible Reminiscence」(2017、以上はCHAT)など